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みちをわたってほしになる。
二人の人が先に上がって行った。
信号が変わったようで大通りを人が一斉に渡り、星空に上がってゆく。

出て、夜の静まった町を歩く。
トタンの看板で大きく書かれたものがある。
空家商家という看板。
雷鳴が聞こえ、雨が降ってくる。
タバコ屋で傘を買おうとする。
うなぎの寝床のような店。置くのガラス障子に紫色の光が明滅している。
呼びかけると、黒縁めがねの爺さんが出てくる。
傘を買いたいというと、貸してくれる。



どうも旅行か何かに行こうとしている。
列車は英文字と数字の名前で、聞いたこともない。

ホームに行くと青い電車が止まっている。乗り込むと飛行機のように一人分の座席が通路を挟んで両側に二つずつある。
しかし、窓側に席はなく、そこに人が立つようになっている。
自分は入ったすぐの開いているところに立つ。
席はいくつか開いていたが、どこも隣がいた。
迷ったが立っていた。
次の駅で人が多く乗ってくる。
扉の所に立っていたが、普通の電車のように扉前が空いているわけではなく、扉の前に席がある。坐っている人は、膝を引いて人を通すのであるが、
その時、自分が持ってきて床に積んだ本を坐っている人と自分で崩れないように支える。
自分はたまらず、降りた。
駅の階段を下って、いつのまにか、背中に布団をしょっている。

階段を上がるところで行き先を確認する。
案内に書いてあるのは、言葉ではなくどうも記号でもないらしい。
ただの棒の羅列。
3つくらいホームがあり、一番向うの案内を見る。
次の発車は、あい変らず読めない。
次の「横浜」は読めたから、その階段を上がる。

丁度電車が来たらしく、人が次々と階段一杯に降りてきたが、
これは行き先のわからぬ電車だから急ぐことはない。
それにしても、人々が次々と降りてくる。
しだいに階段の端にいき、布団も持っていられなくなる。
手すりをくぐり、足掻くにつれ。通路が狭くなり、いつの間にかビルの非常階段のようなところを上り、しまいに、いきどまりになり、そこから柵の外へ出て、足の踏み場もおぼつかなくなる。
手すりの策を持って、足を階段の下に乗せている。
階段がエッシャーの騙し絵のように反転している。
下を見れは1000メートルはあるらしかった。


夢をみた。女の子二人くらいと一緒にいて、大きなサンドイッチを食べ合っていた。
一度、目が覚めて、久しぶりに他人と楽しく話せた夢を見たよ、と本木さんに言ったら、それも夢だった。


何人かと何かの帰り、昔のアパートのあたりを夜に歩く。
建物に入るとコンビニで、時計は夜中の一時半を指している。
そのまま抜けて駅まで歩くが、歩道を自転車がなんだいかむかってきて、終電がおそいな、と思う。
じぶんは、誰か、女の人と右手を繋いで歩いている。
自分の手は汗ばんでいる。
コンビに行っていい、と、自分が聞いて、皆とコンビニを探す。いきなり小さな駅に出る。
京王線か、小田急線のような駅であるが、『蔵駅』と出ている。コンビニがみえたので、階段を下りるが皆は別の階段をおりて、自分とその女性だけ別の階段を下りてまた合流する。
歩くうちにセブンイレブンが見える。


どこか、派遣の仕事が決まって、その初日。
普通の大きめの会社。
ホームページの更新だか何かの仕事か、初日が終わって、
場所は変わらないが、イトーヨーカドーにいる。
それよりはるかに豪華でガラスの向うに豪華なプールもある。
イベントらしく、人々がいる。
今回の事は、様々な人からお前が悪い、と言われて、
腹が立って、ボールペンを投げ捨てる。
人々から呆れられる。


自分が彼女に出した手紙に重ねて、彼女が返事を書いている物が近くにある。
目が覚めると、ミニ原稿用紙に彼女の手紙が置いてあった。
最初、いろいろな話にいろいろくわえて聞いていた時は、
タイトルが、六時半
二十一歳七ケ月
とかある。
読むほどに原稿用紙が増えてゆく。


荒俣宏がいて、黒猫が現れる。
黒猫が毛が長い。
荒俣宏が、抑えないといけない。呪が。などと言う。
慌てて右手で首の所を抑えるが、舌を出して手首を舐めはじめる。
その舌が、人間の女のように、柔らかくぬめっていた。


二日降り続く雨、夕方五時ごろ、ふと窓を見ると、灰と赤を混ぜたやうに窓が染まる。空を見に行くと、まだ少し雨が降っている。二羽の烏が並んで飛んでいく。空よりも街が赤く映じている。


スムージーの店にいる。カウンターには、シロップや果物が並んでいる。選べというから、桃やイチゴやらを選んで渡す。出てきた物は、ソーダ水であった。それはきらきらした炭酸の泡が舞いあがり、サクランボがきれいな赤い色をしていた。


昔の小学校の坂を上がったあたりで自転車を漕いでいる。
親父が自動販売機でアイスを山ほど買っていて、『食うか』と言うが、止めておく。
マスクを忘れたのに気づき、戻る。
いつの間にか別の街になっていてドラッグストアの前を走っている。
大通りに出ると、高校生が体操服姿でたくさん登校している。

いつの間にか電車に乗っている。
隣の人が『最近は相続を知らない人にさせている』と言うようなことを話している。
また場面が変わって、学校だか家だかわからないが、女の人が『老人たちが相続をさせたがっているから、相続人になってくれ』
などと言い出し、自分は、その朝の電車の話をして、皆で驚く。


私の一番古い記憶は、教会らしき鐘の音である。映像ではない。次に古い記憶は、学校の保健室で寝ながら白い、やや灰色かがったカーテンを見つめている記憶である。三番目に古い記憶は、小学校三年のゴールデンウィークに肺炎で入院していた記憶である。

しかし、一人で生きている者に取って、思い出と、夢との間にどのような違いがあるというのだろうか。

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