三題小説 - 三連符・通学路・定期考査

題:

「ねえ佐伯」
俺、佐伯に話しかけてくるものがいた。
三村という女子である。
「音楽聴きながら勉強してるとさ」
「うん」
「問題文読んだり、答えを書くときにさ。曲のリズムに合わせて考えちゃうよね。ふんふんふーん、って」
こちらを少し見上げながら、三村がそう言う。
 三村とは個別指導塾のロビーで初めて話した。模試の分析結果に大きく記載された『合格判定「D」』の文字列に唆され塾の門を叩くと、そこに彼女がいたのだ。俺達は「これから受験勉強に本腰をいれる」という共通項でそこそこ話に花を咲かせ、塾の入会用紙に揃って記入した。当時も初対面と思えないほど馬が合うと思ったものだが、以来3ヶ月ほど受験の苦楽を共にしていることから考えるに、やはり相性はいいのだろう。
 閑話休題。三村は音楽を聴きながら勉強しているらしい。その手法は俺も試したことがある。受験を意識する遥か昔のことで、子細はよく覚えていないが、学習内容が頭に入らなかった嫌な記憶が蘇る。塾への道を並んで歩きながら、俺は返事を返す。
「俺、勉強の時音楽聴かないわ。全然捗らなくないか?」
俺がそう返事すると、三村は少し驚く様子を見せた後、俺に問いかけた。
「試したことないんだ?」
「昔やったことあるけど、大して効果無かった。手は動くけど頭には入らなかったな」
「そりゃねぇ、」
三村は講釈を垂れる。
「何か覚えるのは無理だよ。音楽を聴くのは、問題を解くときに良いんだよ」
もっともらしいことを言う彼女に、俺は聞いた。
「効果ありそうに思えてくるな。ところで、その勉強法は誰に教わったんだ?」
「自分で考えた」
誇らしげな顔を横目で見ながら、俺は苦笑した。
「三村のオリジナルじゃ信用できないな」
「まあまあ、試してみてよ。損はさせないよ。私、昨日音楽聴いて日本史勉強したら、1日で問題集半分も解いちゃったよ」
ペンをノートに走らせるようなジェスチャーをしながら三村が言う。
 この勉強法は、数年越しに再度試してみてもいいと思えた。三村は―短い付き合いで分かる限りは―いいやつであり、先の発言が虚言だとは考えにくい。とすると、少なくとも三村にとっては、先の勉強法はとても効果的ということになる。
「いーや、きっと効果ない。賭けてもいいね」
会話の成り行き上、俺は本心とは違う言葉を返す。
「そんなこと言って、後悔しても知らないよ?」
売り言葉に買い言葉。ふざけて言い合ううち、俺と三村は、音楽に集中力を高める効果があるかないか、賭けをすることになった。ルールは至ってシンプルで、俺が音楽を聴きながら勉強し、集中できたかできなかったかを判定するというものだ。負けが勝ちに、定期考査の答案返却後にファミレスを奢ることに決まった。
 その後、勉強するときどんな曲を聴いているのかを俺が質問すると、話題は音楽へと移っていった。音楽を勧めてきた当人は、今流行中のJPOP曲をお供としているらしい。俺もよく聴いている曲ではあるのだが、メロディは思い出せなかった。なんとなく悔しいが、今聴いているわけではないのだから仕方ないだろう。
 話しているうちに、塾に着いていた。俺達は受付で二手に分かれる。俺は入って左手の自習室へ向かい、三村は恐らく先生に質問でもするのだろう、ロビーのある反対方向へと足取り軽やかに消えていった。

 自習室で、俺はさっそく三村の勉強法を試してみることにした。今日は世界史の演習問題に取り組む予定で「問題を解くのに良い」という効果を試すのにぴったりだった。もし本当に集中力が高まるのであれば、ファミレスの奢りくらい安いものだ。なにせ、俺はD判定なのである。イヤホンを装着し、問題に向き合う。選んだ曲は、三連符のリズムが特徴的なJ-POP。昔から聞いている曲であり、きっとすぐ耳に馴染むだろう、という安直な理由で選んだ。選曲が良かったのか、或いは本当に勉強法が効果的であって曲目に関係なく効率が上がるのか、問題に没頭するまで時間はかからなかった。
 結局、俺はこの日、過去最高のペースで問題集を解き続けた。

 翌朝の登校時、三村が聞いてきた。
「ねえ、どうだった?」
「何が」
「何って、音楽聴くの。どうだった?」
勉強法のことだと、やり取りから一瞬遅れて理解する。しかし、咄嗟に言葉を返すことができず、俺は三村の方を向いたまま固まってしまった。三村はこちらを見て、俺の言葉を待っている。なんとなく恥ずかしい。すると、
「昨日、自習室でイヤホンしてるのを見たからさ」
俺が何か言う前に言葉を続けられた。昨日音楽を聴いて勉強したことは昨日の出来事であり、なぜ既に三村が知っているか俺が訝しんでいると思ったらしい。
「こっそり見てたのか、この覗き魔」
「覗き魔じゃありませんー、通りすがっただけですー。佐伯こそ自意識過剰だ、ナルシストだ」
金縛りの解けた俺が茶化して返事すると、同じように戯けた答えが返ってきた。この話はここで終わり、他愛の無い雑談へと話題は移っていった。

 この日の放課後も―というよりも、定期考査前日まで毎日―俺は音楽を聴きながら勉強した。効率が上がったことは明々白々であり、やめる理由が見当たらなかったのである。強いて口実を探すならば、得意顔の三村に負けを認めるのは少し悔しい、というくらいだろう。

 そうして、試験当日を迎えた。
 思えば、俺はこれまで万全を期して試験に臨んだことがなかった。だが、今回は違う。厳しい現実を目の当たりにし、気持ちを入れ替え、塾という新たな環境へと踏み出したのだ。特に世界史は三村推薦の勉強法を導入していて、手ごたえもある。これまでよりも努力を重ねたのだから、結果が出て然るべきだろう。自分を励ましているとも説得しているともいえない言葉を頭に浮かべながら、俺は試験開始を待った。

 数分後、始まりを告げるチャイムが鳴った。

 試験終了後、俺は机に突っ伏したまま動けなかった。どれくらいの間そうしていただろうか、いつの間にか俺の机の側まで来ていた三村が不思議そうに声をかけてくる。
「佐伯、どうしたの、元気ないねー?寝不足?」
「いや、睡眠は足りてる。全然解けなかっただけだ」
「え、そうなの?あんなに頑張ったし、音楽聴くのも合ってそうだったじゃん」
「音楽聴く勉強法なんだけどな、駄目だったわ」
「え、なんで?」
俺は答えた。
「いざ試験で机に向かったとき、勉強中に聴いてた曲を思い出せなかったんだ。そうすると、曲とセットで覚えた知識も出てこなかった」

 翌週、試験結果が返ってきた。付記された合格判定は「E」だった。
 蛇足だが、塾での勉強時は集中できていたので賭けとしては負けであり、俺は三村にファミレスを奢る羽目にもなった。


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