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対等ってなんじゃろね

どうも、のーこです。
先週は休みの取り方をミスり、月曜〜土曜まで6連勤でした。その前の週もイベントやら何やらで忙しく、ほとんど休めていませんでした。
なんとか気合いで乗り切り、無事にゆっくり休めております(本日月曜も休み)。
家で仕事を片付け、一週間分の洗濯物を片付け、ゲームをしてのんびり過ごしております。

人事異動があった影響で、今月からまた別事業所へのヘルプが始まりました。
前回は週一だったのが、今回は週二。休みとか併せると、自分の事業所へいる時間が週の半分しかありません。
「もはや私の所属は別事業所でよくね?」と思いますが、なんやかんややっております。

仕方ないことだから頑張るけどさ、別事業所の利用者さんのことも覚えて対応して、プログラムやったりミーティングにも参加するって負荷すごいからね?お給料増やしてくれませんか?

精神的にも肉体的にもストレスがすごいので、だいぶグッタリしました。早いとこ人員不足をどうにかしてくれないと死ぬ。

自分の事業所と別事業所の利用者さんを含めると、一週間で大体50名くらいの方と関わってます。
全員の顔と名前を覚えて、どんな特性を持っているのかも何となく覚えて、それぞれがよい就職へ繋がるようにどうにかこうにかやってます。

いやーーーーーー疲れるーーーーーー
ヘビーーーーーーーーーーーーーーー

その他にも内部の業務もあるし、このままだと私自身が潰れてまう。
そうなる前に転職しようと決めた次第です。

仕事そのものは嫌いじゃないよ。楽しいし、やり甲斐もあるし。
でもいつまでもこんなやり方じゃ、私みたいにメンタルも肉体も追い詰められる人ばかりになってしまうよ。
会社を変えることは困難だし、自分の環境を変える方が手っ取り早い。

なんか、色々思うところがありすぎて。
疲れましたね、はい。

上司や先輩方が言ってることは間違いではないと思う。
でも自分たちだって出来てない部分ってあるじゃないですか。
私だってそうです。まだまだ未熟です。

でもなんか、自分たちのことを棚に上げてるような感覚を覚える時、非常にモヤっとします。

それと同時に、対等って言葉の意味も分からなくなります。
技術とか労力とか、色んなものの武器の力量に大きな差がなければ対等という言葉は成り立つとは思います。
でもそもそも違う土俵にいる者同士で対等でいるって、中々難儀なことでもあります。

常に対等にいれるように心がけてはいるけれど、出来てる気がしない。
意識だけ持ってれば対等って言える訳ではないと思う。

自分の立場に色んな視点から疑問に思うことが多いです。それがもんのすごい面倒くさいです。

理想像を思い描くのはいいけれど、現実ってそんな綺麗なもんではないって思うんですよ。
私にも出来ないことはある。でも人に比べて出来ることもある。
その出来ることを横に置いときながら、果たして私は本当の意味で人と対等に接しているのか。

接してないと思う。比べてしまってるもの。
でも、比べることが悪とも思わない。比べられることを避けては生きてはいけないとも思う。

私も小さい頃から常に姉と比べられる存在だった。すっごい嫌だったけど、私だって家族と自分を比べてる。社会人としてのスキルは家族の中で一番だと思ってる。だから私は自尊心を保てている。

そんな私は自転車乗れないし、全く泳げない。人よりだいぶ劣っている。でもそれは私の努力不足もある。今更頑張って改善しようとも思わん。

他人より優れているところ・劣っているところがあるのが当たり前だと思うのです。
世の中の人たち全員がお互いに出来る部分を補い合っていきゃええやんって思います。

人と比べてしまう自分を見ないようにして、対等を掲げるのはちげぇなと。
んで、そんな私は福祉の仕事に向いてねぇなって思いました。

とりあえず、自分に出来ることをやっていく。責任も果たしていく。
その上で時期が来たら転職しよーって思ってます。シンプルきつい。

とは言え、仕事で楽しい時があるのも事実です。
利用者さんから信頼してもらえた時もすごく嬉しいです。就職が決まったらめちゃくちゃ嬉しいです。
やれることはしっかりやっていくよ。

んでんで。
一緒に働く好きな人とも、仕事仲間として相変わらず仲良くやっています。
時折り見せるサイコパスな一面がのーこにブッ刺ささります。
この前はマスキングテープを見て「佃煮にできそうですね」って言ってました。意味不明すぎて好きすぎる。

来月からそんな彼の業務の一部を引き継ぐことになりました。
彼一人で抱えてる業務が多くて、前から「しんどい時は引き継ぎますよ」って話してたんですね。
その言葉を信頼してくれたのか、お任せしますと言ってくれました。
好きな人から信頼されるのってめっちゃ嬉しいです。

最近よく恋愛心理について調べるんですけど、男性は信頼されると喜ぶって情報をよく聞くんですよね。
私もそういうタイプなので、どちらかと言うと男性心理の方が共感できてしまいます。

心配されるのも嬉しいとはあまり感じないです。「信頼されてないんだなぁ」って思ってしまいます。
でも好きな人に心配されるのは嬉しいから、都合のいい価値観だなと我ながら思いまする。

好きな人と知り合ってからもう少しで一年が経とうとしています。
恋愛的な関係は全く進展ありません。仕事仲間としての信頼は深まってます。

さすがにどこかで何かしらの区切りはつけようと思ってます。それでも、好きで大切なことに変わりないなぁって思います。

表現が難しいのですが、彼は今の私にとって唯一何かを与えてくれる存在だと思ってます。

私は人に甘えるのが本当に下手です。頼るのも下手です。前の彼氏はそんな私をどうにか甘えさせようとしてくれたので、その人にはめちゃくちゃ甘えてましたね。
でもそれ以外でとことん甘えたことはないです。家族とも仲悪いし。

こんな感じ方は自分でもよろしくないと思うのですが、誰かと接する時の自分というものは、常に何かを与えてるかのような感覚を持っています。
優しさだったり思いやりだったり、もちろんそれらは人に分け与えるためにあるのだけども。
コップに入ってる水みたいなもので、誰かに与えれば与えるほど枯渇していく気がしていて。
今の仕事に就いてから、その感覚がよりいっそう強くなりました。

人に自分のコップの水を分けるのはいいんだけども、じゃあ私のコップの水はどうやって満たせばいいのだろうと。
余裕がある時は音楽やゲームで満たされるけど、その余裕がない時が増えてきました。

そんな中、彼はいつも私にコップの水を分け与えてくれます。多分当人は自覚ないです。

我ながらいつも人のことを考えて、よく先回りして何かをしています。それが得意なことも自覚しています。
だからか、周囲の人の動きや気持ちっていうのは大体予想がつきます。驚くことがあまりないです。

しかし彼は、いつも私の予想外のところにいます。マスキングテープを見て佃煮発言もそうです。常人のそれじゃねぇ。
でも、それが面白くていつも私のコップの水が増えるんですよね。

彼はよく、職場で私の動きを見てくれています。それは私が他の人の動きをよく見ているのと似ていて、先回りして助けてくれることが多いです。
今までこんな人いなかったんですよね。マジで我ながら驕ってるとは思うんですけども、私と同じくらい人に気を遣える人が周りにいなかったんですよ。本当に偉そうな発言ですみません。

でもね、本当にそうなんです。
私はよく「もう一人私がいたら楽なのになぁ」って思います。私の代わりに先回りして何でもやってくれそうだからです。

彼といると、もう一人の私がいるみたいな感覚になります。何も言わずとも、お互いやるべきことが分かっています。アイコンタクトだけで意思疎通する時もあります。

そんな彼がいてくれるだけで、コップの水が満たされます。そうして私はまた頑張れるのです。多分これが本当の対等ってやつです。

こんな人絶対にそうそういないんだけども、だからと言って上手くいくもんじゃないから恋愛って難しいですよねぇ。
でもいいやって思ってます。楽しいもの。

久しぶりに長々と書きました。こんな時間が持てる休みって素晴らしい。
今日一日特にやることないんで、ゲームしてゆっくり過ごします。

最近本当に寒いので、皆さま体調を崩さないようご自愛くださいませ。
私もぶっ倒れないようにやっていきます。自分を大事にするのも大事。

それではまたね。


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