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やっぱり誰かと何かしたい

最近、在宅勤務が増えています。単身赴任先の部屋で1人パソコンに向かって仕事していると、何かを聞きたいときなど、ちょっとした会話ができないことのストレスを感じます。

若い頃は自分は仕事が嫌いだと思っていましたが、今は仕事に対して好きとか嫌いとかはあまり考えません。好き嫌いで仕事を選べるほどの能力もないし、生活もあるので今の仕事を辞めようとも思わない。

会社で仕事することの目的って、まずは生活のためのお金を稼ぐことで、そのためには会社として利益を上げなければならないから組織の一員としてそれに貢献することなんでしょうけど、日々業務をこなすという意味ではそこって割とどうでも良くって、実際は会社に行って、みんなであーだこーだ悩み、ガヤガヤ議論して方向性見いだして、ガツガツ行動するっていう、なんというか、みんなで何かするってことに意義があるんじゃないかなーと思っています。

今は内勤が主の部署なので仕事の成果をあげるという意味では在宅勤務が続いてもそれほど支障はありません。でも、ストレスや物足りなさを感じてしまうのは、やっぱりみんなと一緒に何かするっていう部分が欠けているからだと思う。

もちろんみんなでワイワイガヤガヤやることが苦手だったり嫌いだったりする人もいるだろうし、1人でお金を稼いで、それで他の活動を充実させるという生活も素敵だと思う。でも、私はそういう環境にはないし、会社員として仕事をするなら、せめて周りの人たちと協力的に楽しくやりたいと思ってます。

人との接触を避け、在宅で仕事の成果を上げることはある意味合理的。でも、成果を上げてお金をもらうことだけが働くことの目的ではなくて、成果を上げるまでの過程自体を目的にしたって良いのではないかな。

結局、私は面倒くさくても誰かと一緒に何かしたいってことなんだろうな。生きていく上で一番面倒くさいことは間違いなく人間関係。人間関係がこじれて嫌になってくると、自分に都合の良い『合理性』を持ち出してそこから逃れようとする自分がいる。一時の感情に流されないような人間でありたいと思う。


自分都合の『合理性』とか『効率性』ばっかり言っていると本来の目的を見失うよっていう、自戒も込めて書きました。


よし、今日は出勤日だ。

朝の元気な挨拶から始めよう。



おわり

サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。