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HDIが出来るまでEp1

高校1年生の時、自分は全くダンスには興味がなかった。
どちらかと言うと、毎週テレビでやっている「ビフォーアフター」家を改造していくテレビにハマっていて建築士になりたい!という漠然な夢を抱えていた!

昔から、MTVの「pimp my ride」というボロボロの車、めちゃくちゃカッコいい車に改造する番組とかが好きだったせいか、どちらかと言うと「モノづくり」にめちゃくちゃ興味があった!

自分には、唯一親友というか、幼なじみというか、家族というか、そんな存在のKAORIってやつがいる。

KAORIは中学(山脇学園)からの友達で、わりかし実家も近く同じAB型で思春期から共に過ごし、悪いことも良いことも、バイトも一緒で、学生の青春を一緒にやっていた、今でも何かあると、ふと連絡を取る子。
KAORIは、高校の時から海外に1人で行ったり、高校卒業と共にアメリカに留学するという、当時は自分からしたらぶっ飛んでなって思っていた唯一の子だったかもしれない。

高校3年の進路の真っ最中、いやもうほぼ進路は決まっている中、KAORIに誘われた事がキッカケに180°路線が変更された。
KAORIが通っていた「ダンススタジオ」について行ったのがキッカケだ。

そこで、自分は完全に「ダンス」の虜になった。

YUKIさんという恩師に出会った。
この頃をキッカケに頭の中は「ダンス」しかなく、KAORIよりダンススタジオに通ったと思う。

この頃は、「ダンサー」という職業という事よりも「ダンスがしたい」だった。

毎日ダンスがしたいただそれだけ。

そして、このダンススタジオいやYUKIさんのクラスの環境が、今となると当時のちょっと背伸びをする為にもよい環境だったと本気で思う。

自分は最年少で、当時高校生の自分からするとYUKIさんを始め周りの先輩達がめちゃくちゃ大人で、一緒に遊んでくれたり、色々教えてくれた。

学校では学べない「何か」が当時の自分にはめっちゃくちゃ楽しくて、とにかくYUKIさんにも、周りの先輩にも何かある度にヒョコヒョコついて行った気がする笑
YUKIさんという恩師が、ダンスを好きにさせてくれて、良い環境与えてくれた。

そんな、KAORIのキッカケが自分が日本工学院ダンスパフォーマンス科に入学を決める。

高校は私立だった為、もちろん進学校。
最初は「え?」と思われすぎたと思うけど、そんな事知ったこっちゃない笑 「自分の人生好きに決めさせてくれ!」と学校にたんか切ったのも覚えている笑
(とにかく学校とは一悶着あった)

何とか、学校を抑えきり、「毎日ダンスが出来る環境」をゲットするのだ。

親は、当時どうだったんだろうか。特に何も言われた覚えがないから「好きにやりなさいスタイル」だったと思う。このスタンスの親を持てたのは、めちゃくちゃラッキーだと思う笑

日本工学院が決まった途端、学校もなかったので、
ほぼ牛角で働いた!(高校2年から続けていたバイト)
とにかく15:00-22:00までバイトして土曜日はダンス行ってバイトして、この時めちゃくちゃ「お金」ってスゲえって思った事がある笑
そりゃ親には、速攻で扶養を外されたんじゃないかな?笑

この牛角バイト時代も、中々自分には、良い人生経験だった。
部活みたく熱くなれるバイト先だった。
売上やCS(カスタマーサービス)で、他の店舗と争い、良かった店舗は表彰される。
毎週末バイトMTGをして、改善点を見つけて意見を言い合って、そして終わった後は店長の奢りで、遊びまくる笑!これがもう楽しくて仕方なかった笑
ここでも、もちろん最年少だったから、先輩がなす事全てカッコよくて笑 とにかく真似してみての繰り返し笑 
牛角での経験で、色々学んだ。(今でも肉を見れば、ハラミカルビ豚トロとか見極め出来る笑)

そんな高校3年生時代が終わり、KAORIはアメリカ・ロサンゼルスへ、自分は日本工学院へ進むのだ。

続く

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