nobuyuki
生活の拠点を東京から大阪に移し、ふと思い立って六年ぶりにiPhoneを買い替えた。 このところ、電車でスマートフォンを眺める時間を意図的に減らしていたこともあって、わざわざ機器を買い換える必要性なんて考えもしなかったのだけれど、その反面、昨年あたりから操作中に発熱を感じる場面が増えていたり、あきらかに最新のOSに処理能力が追いついていないのだろうと感じるもたついた挙動が増えていて、ちょっとしたストレスだったのだ。本当はこういうデバイス、流行に左右されずに十五年くらい使い続け
中学一年生の時に、僕はその子猫と出会った。小学生の頃から友人の中田さんという女の子が近所で拾った捨て猫だ。彼女は動物病院の娘なのに猫アレルギーだった。 最初、その猫は、僕と同じマンションに住む佐野君が引き取る予定だった。彼はたびたび猫よりも犬が好きだと言っていたので、猫を譲り受けるという話を聞いた時には意外な気がしたのだけど。 しばらくして、佐野君のお母さんが猫を飼うことに強く反対しているという話を耳にした。それはとてもシンプルな好みの問題だった。結局、一週間ほど彼の
たしか二十年くらい前に養老孟司さんの対談本で読んだと思うのだけど、朝、目を覚ました人間が「私は昨晩眠りについた "あの" 私だ」と、自我の連続性みたいなものを保持するメカニズムは驚異的なもの(というか、理屈がよくわかっていない)らしい。 シャットダウンとスリープ。 僕が、使い終わるたびにコンピュータの電源を毎回シャットダウンしていたのは、まだMacがプリエンプティブ・マルチタスク(ってわかりますか)を手に入れる前のことだ。何年前だろう。僕の人生の長さを地質時代で喩えるならば
電車の中でスマートフォンを覗く習慣をやめたら、長らく下駄箱の上に積まれていた本たちがすこしづつ溶けていく。 ほとんどのアプリケーションのモバイル通信はオフにして、通知は最低限。一日のモバイル通信量がゼロに近づいたあたりから、「……ひよっとすると僕、スマートフォンを持つのをやめても生活できるかも」と思ったけれど、いくつかの日常的な運用(交通系ICの処理、チケット類の手続き、音楽プレイヤー等)が煩雑になることを思うと、それはそれでやりすぎだろうと思いとどまった。別にスマートフォ
僕が子供の頃、家の近くに平和台球場という野球場があった。 結局、一度も中に入る事はできなかったけれど、外から僅かに覗く事のできる、ゲートで区切られた四角の中に見える絵画的な芝生は、いつだってとても青々しく綺麗だった。風が吹くと光そのものが揺れているのがわかる。 球場の近くには、小学生の手には負えないくらいの広大な公園があって、どんな季節でも、僕たちは日が暮れるまで辺りで遊びまわっていた。樹木と昆虫が多くて、厚かましくない程度にきちんと手を入れられた素敵な公園だ。そこでは
二月の僕は、それまでの僕とは決定的に違っていた。 とはいっても、べつに目を覚ましたらベッドの上で巨大な虫に変身していたわけではない。徹底的に真面目な態度で、生まれてはじめて家計簿をつけてみたのだ。それも一切の誤魔化しを排除し、一円単位で。はたして僕の心理にどんなきっかけがあったのか。 フランツ・カフカでさえ先の読めない僕の個人的な物語が、いま唐突にはじまろうとしている。まぁ、カフカにとって先が読めない理由のほとんどは、僕がこの後のテキストを日本語で書くからだけど。 <概要>
最近の僕はよくギターを弾く。自分でも驚くほど、毎日ギターばかり弾いている。とはいえ、なにか一曲くらい通しで弾けるようになったのかといえばそれは全くの別問題で、どれだけカードをシャッフルしてもチップを掛けるまでゲームは始まらないのだ。 あれはたぶん五年ほど前のこと。当時まだ高校生だった友人から「気がついたら五時間くらい弾いてる日もあるんよ」と、地域性の汲み取りにくい語尾を聞かされて呆気にとられ、「ははは」と乾いた笑い声を返した僕だけれど、当時の僕がいまの自分自身の暮らしぶりを
長いわりに淡々とした夏が終わり、ようやく秋の訪れを覚えた土曜日の朝、僕は生まれてはじめて自発的に眼科を訪れた。 「ふん。こいさんどないなってるんか見て頂戴。人間ドックいうたかて診察結果はEかFばかりなの御覧なさいよ。うふふ」と思わずネイティブな谷崎潤一郎文体で心に留めるほど、このところずっと「眼底」の診察結果が悪かったのだ。 かいつまんで説明すると、「もし緑内障の場合、放っておくと目が見えなくなります」と機嫌の悪いSiriみたいな口調で人間ドックの診察結果を告げられて、僕が
抑制の効いた芝居、音楽、演出で、なにも台詞がない場面でも胸の奥に静かにざわつくものを感じる。とても綺麗な構図が多くて、さまざまなカットがそのまま写真作品として鑑賞できるくらい丁寧に生み出されたものに思えた。 誰が考えても理不尽と思える行動を取る悟(永山瑛太)の芝居に、妙な説得力があって唸らされる。「言ってる事わけわかんないけど、そういう事ってあるよな」と頷いてしまう。 そうした理不尽と合わせ鏡のように対峙するかなえ(真木よう子)と、複雑な感情でかなえに寄り添う掘(井浦新)は
時計に興味を持ち始めたきっかけはわからない。というか、今でもほんとうに興味を持っているのか、自分の心持ちがわからずにいる。 寿司屋で子持ち昆布を頼むときの心境と似ていて、そこには「さて、僕はほんとうにこれを欲しているのだろうか」とあらたまって考えるような留保はないのだ。ただ寿司屋のメニューに「子持ち昆布」の文字があり、僕の視線がそこに留まり、しばしの間をおいて目の前の皿に子持ち昆布が置かれている。疑問が入り込む余地はない。 では僕の時計史を振り返る。もぐもぐ。 Apple
昨年末に渋谷CINE QUINTOで『夜、鳥たちが啼く』を観た。公開直前に作品のことを知り、佐藤泰志作品の映画化というその一点で興味をひかれたのだけど。 僕が最初に映画館(たぶん新宿武蔵野館だったと思う)で観た佐藤作品は『きみの鳥はうたえる』で、最後のカットでぷつりと世界が区切られたあとも、ずいぶん長いことスクリーンの一点を見つめていたものだった。 ちょうど僕が十代のはじまりの頃、半年間だけ札幌で過ごしたあの懐かしい日々の記憶を、ありありと思い出させるだけの引力みたいなもの
なにがきっかけだったか全然思い出せないのだけど、ふとした流れで藤本タツキさんの『ルックバック』を読んだ。半年ほど前のこと。 そういえば電子書籍で漫画を買うのはこれが初めてで、なかなか新鮮な体験だった。というか、そもそも漫画を買うのが十年ぶりくらいかも。 ものすごく端的に言えば、この『ルックバック』という作品には、自分のことを天才と思っていた秀才と、自分のことを秀才と思っていた天才の、「出会い」と「別れ」と「出会わない」と「別れない」が描かれている。 お互いがお互いを強く必要
その頃の僕にはわりと仲の良い友人がいて、週に何本かの映画をAmazonプライムで鑑賞しては、すぐさま互いの感想を言い合っていた。 中川龍太郎監督の『走れ、絶望に追いつかれない速さで』を観終わったときのことは今でもはっきりと覚えている。より正確に言い直すと、ほとんど覚えていない。ただ、友人に向けて「どうだった?」と得意げに声をかけたことは覚えている。なにしろ僕はひとり抜け駆けして、その作品を先に一度見ていたわけだから。 こんなふうに説明が足りない映画を、ひさしぶりに観た気が
『君たちはどう生きるか』、公開二日目に鑑賞。 少しずつ客席の照明が明るくなり、現実世界に意識が戻ってきたところで、「いったいなにを観ていたんだろう」と思った。 多くの場合、人はこうした状況下において、出し抜けに現れた狐の群れにつままれたり包まれたりしがちだけど、そうした捉え方はおそらく物事の本質を見誤ることになる。なにしろ狐は群れを作らない。これはもはや現代社会においてほとんど役に立たない、野生動物に関する豆知識。 いったいなにを観ていたんだろう。ぜんぜんわからない。この