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「美味しい」を、怠けたくない

人生で一度だけお付き合いした相手にご飯を作ってもらったことがある。

もう10年とか昔のことだからあまりよく覚えてないけれど
六畳一間のアパートで
慣れない手つきで、普通の肉、玉ねぎ、市販のルーで作ってくれたハッシュドビーフ。
ハッシュドビーフも、ハヤシライスも正直違いがわからないけど
そのとき食べたのは、ハッシュドビーフだった。

とびきり美味しいかって言われるといまいちおもいだせないけど
この上なく嬉しくて幸せだったのはハッキリと覚えてる。

「舌先に残るビターな味わい」「柔らかな残り香」とかそういう詩的な表現にもならない素っ気ない思い出

でも、そういう、2度と戻れない時代の思い出というのは、きっと一生忘れない

素材を作ってる人が言うのもなんだけど
ご飯の思い出は
どこで、だれと、どんな時を過ごしたかが一番おおきくって
何を食べたかは、その最後に後回しである。

美化してしまったけど、苦い思い出の食事ももちろんある。
そんな、思い出に残るごはんをきっとみんな持っているんだろう

休日の朝、誰かが作ってくれたサンドイッチ

お祝いの時必ず行くレストランのグラタン

薄暗いお店で肩寄せ合ってつまんだチーズの盛り合わせ

何故か思い出せないけど泣きながら食べたおにぎり

ゲラゲラ笑いながら食べた謎の不味い粉もん

きっとみんな、色んな思い出があって、
そこにはごはんだけじゃなく思い出が一緒にあるはず。

でも、実はその味なんてよく覚えてなくて
美味しかったかどうかより嬉しかったとか、悔しかった、悲しかった、楽しかった
それが思い出の味になっているんだろう。

だから、郷愁故か、また思い出しにお店に行ったり
きっかけの食材を買ったりするんだろう

僕はお肉とか、加工品を作って売っている。
普段、「美味しいものを!」と思って作っていたけど
どんなものを作りたい、伝えたい、売りたいのか改めて考えてみて

初めて食べた時に感動してもらって、それからどのくらい時間がかかるかわからないけど

ふと思い出して、
美味しかったね
また食べたいね
美味しかったなぁ
買ってみようかな
と少しだけ思い出してもらえれば嬉しいなぁと思った。

勿論、どんなに美味しくても、高級なものでも
ミシュランだとか〇〇御用達だとかでも
その時の心には勝てない

気まずく無言で食べるステーキは、幸せな気持ちで食べたコンビニおでんに勝てない。

それはよくわかっているのだけど
でもせめて、自分たちが作って届けるなら

嬉しいことがある時のお約束に
アノ人を掴む時の切り札も
喧嘩の雪解けになる一言のきっかけとか
謝る時の免罪符でもいいし

そんな、小さな思い出の1つになってほしい。

何か小さな瞬間、頭に浮かんで選んでもらえるようになるために
とびきりのものを作りたい。

いつか、2度目の味わいが来る
そんなものが作れたら。

できたら、その思い出が優しいものであれば

そして自分自身

「孫がこれじゃないとやだって言うの」
「旦那がお肉大好きで」
「バレンタインに送りたい」
「誕生日に一緒に食べるよ」
「どうせなら美味しいお肉差し入れたい」

お客さんと直接関わって、話すようになって、聞かせてもらったちょっとした言葉から
送った1つ1つの商品が関わった時間がどんなものだろう、と考えられる人でありたい。

そんな思い出の1素材となれるように
少しでも記憶に残る驚きや感動を与えられるように

「美味しい」を怠けてはいけないなぁと思うんだ


ちょっと、いいコーヒーが好きです