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「MEDIA MAKERS」は今読むべきメディア野郎の一冊

メディア=情報を頒布する手段。広義では手段・方法

嘗てよりマスメディアとして知られるテレビにここ10年でスマートフォンが加わり、TwitterやInstagramも大きな「メディア」として存在している。

速報性に関してはGoogleで調べたりテレビを見るよりもTwitterで検索したりトレンドを見る方がよりフラットで早く、リアルな情報を得ることができることも少なくない(いや、間違いなくテレビよりも早い)

著者の田端氏は
・炎上
・ビジネスマン(スーパーサラリーマン)
などで有名なのは事実ではあるし、
今回取り上げる「MEDIA MAKERS」よりも「ブランド人になれ!」の方が著書としては遥かに有名かもしれない。

「ブランド人になれ!」も勿論多くの人に気づきを与える言葉が(よりドラスティックに)記されている。
自己啓発本として読むには実に刺激的な一冊。

一方「MEDIA MAKERS」には彼が「メディア野郎」として生きた証がとても静かに自身の言葉で記されており、発刊から7年経つ今でさえ不変の真理を説いている。
いかにメディアというものを俯瞰して分析し、使ってきたのかがわかる。
なぜ、あるメディアは社会に影響を及ぼせるのか
それはどんな状況下で起こり得るのか
なぜ、今「MEDIA MAKERS」なのか。掻い摘んで紹介する。

ぶっちゃけた話、ブランド人になれ!は読んで翌日変われなかった人にはあまり効力を持たないから早めにメルカリなりブックオフで売って、MEDIA MAKERS買って読んだ方がいいと思う。

予言が自己実現する(1-4章)

会社の運営がシビアながら、死線を掻い潜るかどうか、という局面において
新聞というメディアが「倒産間近」と報道(予言)することで、実際に息の根を止めてしまうような力を本書では「予言が自己実現する力」としている。

逆の例で上がった
あまり実体のない会社がCEOの「ハッタリ」トークで一時的に高い株価がつき
しかしそのお陰で「イケてる会社」としてメディアに紹介され、本当にイケてる会社になってしまう
というのも予言が自己実現する力の例。
余談ながら、これってまさにメディアが「錯覚資産」を与えた形では。(錯覚資産についてはふろむだ氏著書を読んでください)

政治にしたって報道というメディアが及ぼす影響は計り知れない。
どちらかに偏向すれば、メディアの受け手となる大衆のイメージも変わる。
それによって結果が変わってしまえば国が変わる。
それほどまでに一定の信頼を集めるメディアは実像を歪ませ、予言を現実にしてしまう力があるのだ。

ここでポイントとなるのは「メディアに寄せられる信頼=自己実現する力」であり
日経新聞とスポーツ新聞では同じことを報じた際の信憑性、そして影響力は同じではないことに現れている。

そしてこの事象に対して「メディア人として、メディアが本来的に持っている影響力について、日々、自覚的であらねばならない」と警鐘を鳴らして締めくくっている。

コンテンツの3本の軸

田端氏はメディアが成立するに必要なものとして
・発信者
・受信者
・コンテンツ
の3つを挙げ、その内の「コンテンツ」についてはメディア上であり得るコンテンツの形態について

ストック↔︎フロー(最重要)
参加性↔︎権威性
リニア↔︎ノンリニア

の3つの軸が基本フレームとしている。

ストックとフローについては
ストック→note、ブログ記事、wikipediaなどの「時間が経ってもコンテンツとしての価値が劣化しない(賞味期限が長い)コンテンツ」
フロー→Twitter、ニュースサイト、新聞などの「今この瞬間が勝負のコンテンツ」
という時間軸の違いであり、これの両方を自在に行き来し使い分けられることが大事としている。

例えば「美味しいレストラン情報」は店が潰れたりよほど内容が変わらない限りは不変→ストック(記事)に、今バズるであろうおもしろい動画はその日のうちには鮮度が落ちてしまう→フロー(Twitter)に
というようにコンテンツを賞味期限や時間軸で捉えてどういった形態に置くべきかを見極めることをポイントとして述べている。

参加性と権威性については食べログとミシュランを例に出して
オープンさや集合知の大きな可能性がありながら編集責任の所在が不確かな参加性
内容に対して責任が発生するものの信頼が生まれ、アウトプットをコントロールできる権威性を説明した。

興味深かったのが「リニアとノンリニア」だ。
私はしばらくその軸の感覚を掴みきれずにいたが、それはこの時代においてはノンリニアなコンテンツにどっぷり浸かってリニアコンテンツをあまり意識せずに生活を送っていたからではないかと思う。
簡潔に説明するとリニア・ノンリニアの違いは「時間軸のコントロールが発信側と受け手のどちらに委ねられるか」というものだ。(パッとしないよね多分)

リニアコンテンツの代表格が映画である。
映画館では約2時間、コンテンツが時間区切ることなく展開され、その間の時間軸のコントロールは製作者に委ねられており
ノンリニア、例えばウェブサイトではいつ、どこから閲覧しようが自由であり、「ぶつ切り」のコンテンツである。

嘗てレコードやVHSなどのリニアコンテンツにあふれていた時代に対して今の時代にはリニアコンテンツはほとんど消滅しつつあると感じる。
youtubeの動画すら、少しの隙間が離脱のポイントとなり、ストーリーは失われる。NetflixやHulu、Prime Video全盛期とあっては、リニアを意識できるのは本当に映画館くらいしかないのではないだろうか。

個人型メディアの影響力

本書第3章では「誰もがメディアになり得る時代」として時代を読み解き
「情報を発信することそれ自体には全く価値はなく、読み手に届くメディアを作り、運営を継続できるかどうかこそが生命線」と述べている。
ちなみに、これこそがよく取り沙汰される「Twitterフォロワー1000人以下は云々」という発言の本丸だと私は考えている。
自身が発信を目的としてTwitterなどのメディアを使う上では読み手に届かない・響かないメディアをだらだら運営したり、続けられないのではメディアとしての機能や意味を成さないということだと。

第9章では「個人化」のトレンドについて書かれているが、
今では認知も少しずつ広がりつつある「オンラインサロン」などの個人を核にしたクローズドメディア(本文では王国型メディアとしている)は2017年ごろから目立つようになってきたと記憶している。
そんな中、7年前の2012年には本書で個人メディアとして「有料メルマガ」を例に時流の変遷を読み解いていたことは(自分の無知さにもだが)ただただ感嘆するばかりである。

何よりこの章で重要に感じたのは

コンテンツに課金する上で、決定的に重要なカギとなるのはコンテンツの「品質」それ自体ではなく、コンテンツ制作者が個人として持っている「信頼」と「影響力」

という一節。信頼と影響力を得た際の個人型メディアが持つ力というのは強い自己実現力を持ち得る。
ここに加えて
・個人メディアの特質として組織型メディアにとっての倒産というリセット方法は個人型メディアにはない(個人においては社会的抹殺を意味する)、という点は総メディア時代においては忘れてはいけない最低限のリテラシーであるということ。
・個人メディアとして大きく信頼を毀損する事態に陥った時のレピュテーションなどに与え得るダメージは組織型を大きく上回る致命傷であるということ。

これは、発信者に立つ上で肝に命じておかねばならない利用規約だと改めて感じた。

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何周か、この本を読んでみると
いかに田端氏が「メディアが好きで好きでたまらない、メディア野郎」なのかがわかる。
2012年時点で
「情報」をどうやってうまく取り扱えるかが人生の質までをも左右するような基礎教養となりました
と記されており、今は2019年。
情報こそが価値のような現代においてはメディアを知ることはリテラシーを高める為という次元ではなく、最低限もってなければ生きていけないレベルになっている。
昨今のニュース1つとっても
時折漏れる信憑性の不確かな情報に扇動され右往左往しているのは変わらず
メディアの持つ力1つ全くもってバカに出来たものではない。

他にも
・「アテンション」を集め、「タレント」をモチベートするメディア
・「FT」の紙がピンクなのはなぜか?
・作り手へのリスペクト=メディアの品質
・馬具メーカーであることをやめたエルメス
などの項は大変興味深く、面白かった。

ちなみに、先日プチ炎上していたこちら。

この「ペン回し業界」についての考え方は
「なぜ缶けり専門誌は存在し得ないのか?」という章でメディアの生態系という言葉を基にとてもわかりやすく書いてある。

本書はまさにメディアが渦を巻いて変遷する中でも普遍的な「ストック型」の一冊であり
スマホを持つ誰しもが何らかのSNSを使い、時に発信を行う上での必読書だと感じた。


ちょっと、いいコーヒーが好きです