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YDK

やればできる。
自分はやればできる子の典型だと思っている。自分から進んでやらないけれど、頼まれたらやるし、それなりのことはできる。本気出せば大抵のことはできる。

この世界に3種類の人間がいるとする。
やらなくてもできる子、できなくてもやる子、それからやればできる子。
やらなくてもできる子は、いわゆる生まれ持った才能に恵まれている子。センスがあり、感性が豊かで、こちらがどれだけ努力しても到底敵わない境地にいるような人間だ。

できなくてもやる子は、何度も失敗しても立ち上がり、へこたれずやり続ける。センスとか才能とかお構いなしに兎に角やる。そして時に才能をも凌駕する。

やればできる子が一番厄介だ。やればできると言い続けて結局やらない。見栄やプライドがあるのだろう。やればできると言っている手前、できなかったらどうしようと恐れる。そうやってやらないままいると、人は離れていく。「やればできる子」として一生やらないまま隅に追いやられていく。

ぼくらやればできる子は、一丁前にプライドが高く、素直ではない。人にアドバイスをもらうことや教えてもらうことを強く嫌う傾向にある。自分はやればできると思い込み、それに縋っている。だから、できなかった時の反動がかなり大きい。自分に期待しているからこそ、自分の期待を裏切られた時の失望は計り知れない。それならば、やらない方がいい、やればできると言い続けることを選ぶ。

一方で、ぼくらやればできる子は、できなくてもやる子を羨ましくも思う。できるようになる日が来ないことを願いながらも、できないことを恐れず何度も挑戦する姿に胸を打たれる。自分も「そっち側」に行きたいと心の中では思っている。でもやっぱり怖い。その狭間でずっと揺れている。

ぼくらやればできる子は、なる早で無駄な見栄やプライドを捨ててできないことを表明し、「あっち側」に行った方がいい気がする。やればできるはつまり、やらないついでにできるかできないかも分からない、ということでもある。そんな人は誰も応援してくれなくなるから。やればできるなんて、ダサくて目も当てられない。




そんなこと言ってるけどさ、ぼくは、やればできる子は嫌いじゃないんだけどね。

#やればできる #YDK

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