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1995

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一生に一度の大学受験なる体験
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#英語

«1995» (12)

大学受験が始まる前、2学期くらいだったと記憶するが、担任と1対1での進路相談があった。 担任は英語の先生だったのだが、第1外国語にフランス語を選んだ場合、受験シフトになる高3では英語の授業はなくなるので、担任なのに受け持ちの授業がないといういささか奇妙な関係だった。   この先生、中2の頃«or»を「然らずんば」と訳したところ、文語体に触れたことのなかった我々生徒たちが「何じゃそりゃ?」と、今で言う祭り状態になり「シカラズンバジジイ」なる仇名が即日流通したことがあるのだが、そ

«1995» (6)

上智大学外国語学部の二次試験は、平成7年2月15日に行われた。 選考は終日にわたり、午前中が小論文とディクテーション、午後に面接だった。 ここまで覚えているのは、入学から間もない時期に別のエッセイに書き留めていたからで、記録しておくのは大切なのだなと今更ながらに思いもする。 試験前の教室に着くと、女性の姿が圧倒的に多く、取り残された想いがする。というよりも、小学校から12年間男子校で育ってきた僕にとって、同年代の女性がこれだけ同じ教室にいて馴染めるはずもありはしまい。 気持

«1995» (5)

外国語学部の一次試験の合格発表は、同じく上智大学を受験しに来ていた級友たちと一緒に見に行った。 国際関係法学科の試験終了が16時前、発表が17時だったので、時間を持て余し、お腹が空いているわけでもないのに食堂で五目焼きそばを食べた。妙に細かいことを記憶しているのは、自分でも不思議だ。 時間が来て掲示板を見に行くと、果たして僕の受験番号があった。 「わ!やった!」 と無意識に大声を出したのを覚えている。なにせ、日本史が難しかったから、受かるとは思っていなかったのだ。 一緒

«1995» (4)

上智大学の受験は、フランス語とドイツ語の試験だけ初日にあった。寒いけれど、雲のない快晴の青空だったのを覚えている。 僕は外国語学部フランス語学科と、法学部法律学科、法学部国際関係法学科の3学科に出願していた。 そういえば、今となっては記憶が曖昧なのだが、英語選択の人は学科ごとに英語の試験があったのだろうか。そうなのだとしたら、フランス語受験はいささかいびつ、即ち、旨くヤマが当たれば出願したすべての学科で好成績となるし、外せばすべての学科の合格の可能性が一気に下がってしまう。

«1995» (2)

僕が上智大学を志望した理由は、フランス語だった。 通っていた学校は小中高が連なっていたけれど大学はなくて、いわゆる受験校でもあった。フランス人の宣教師がつくったミッションスクールで、彼らはキリスト教の布教のほか、自国のミッションも帯びていた。 即ち、文化で世界を侵略するという同国の遠大な戦略の中に語学の教育も含まれていて、フランス語教育がカリキュラムにあるのだった。我々の多くが、パリを特別な都市だと思ったり、彼の国のワインや食事を別格だと感じたりするのは、彼らの文化的侵略に