日記(32)
2020年5月18日
なんのきっかけだったのかもう忘れてしまったが数日間であっても朝型生活が続いている。とはいえ今朝起きたのは最近では遅いほうで10時頃だった。日曜は批評誌の原稿が続々届いた。昨日は仮眠のあと深夜に起きてインデザで組版を少しやる。寝たのは4時頃。朝食は毎度の6枚切りの食パン二枚にサラダやチーズ、甘糀。飲み物はブラックコーヒーをやめて豆乳で割るようになった。某読書会発端でウエルベック『ある島の可能性』(河出文庫)を読んでいる。就寝前のベッドの中でも暇なはずの日中においてもまったく捗らないので、外に持ち出して休憩所で読み進めている。現在270頁くらい。作中の「介入のアート」(167頁)という議論が引っかかる。休憩所でエナジードリンクを飲み干し、書店へ赴き、『バンクシー アート・テロリスト』(毛利嘉孝、光文社新書)と『労働者階級の反乱』(ブレイディ・みかこ、同上)を購入。食料品の買い出しもする。帰宅後、Mr.Childrenを流しながら溜まっている朝刊をまとめて10日分スクラップ。夕方に風呂に入り、相対性理論を流してこの日記を書いている。ehonで品切れだった東浩紀『ゆるく考える』(河出書房新社)をどうにか手に入れた。連載時に夢中で読んでいた箇所をパラパラと見る。168頁からのAmazonの推薦書籍機能「協調フィルタリング」とルソー『社会契約論』を関連させた話を熱心に読む。これを踏まえ、人工と自然みたいなことをなんとなく考えた。東の文体は好きになれないがその文体が消えたエッセイは頗る面白い。
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