日記(14)

2019年12月17日

 とくに理由があるわけでもなく、ただ気分的にnoteの更新を怠っていた。でも小説のほうはせっせと進めていて現在8000字ほどだ。この間、アルトーやゼーバルトをちょい読みし、安部公房『壁』や石川淳「マルスの歌」を投げだし、石原吉郎と古井由吉の実在に迫った幻想性に思いを馳せ、石井ゆかりの双子座の本に本性を見透かされ、サルガドと『ベトナムから遠く離れて』(1967ー1968・仏)に衝撃を受けた。
 いっぽう生活リズムが乱れまくって分散睡眠でなんとか身を滅ぼさないようにしつつ、足繁く書店通いをして、イェリネクやケラの戯曲を買った。さすがに年末だけあって斜陽族の当家も出費が嵩み、そろそろバイトをしようかなと決意して、今夜コンビニで無配の求人情報誌を二誌もらってきた。
 正月特有の短期バイトで8000円くらい稼げるなと思ったり、清掃のバイトで時給1050円かあ、と心が動いたりした。月曜の昼に近所の郵便局へ行き、図書流通センターへ履歴書を送付した。その結果次第で、書店や映画館など自分の趣味の延長で職種にこだわるのはもうやめて、単純に金を稼ぐ目的としてやってみる気になってきた。
 昼に観ていたフランスのオムニバス映画で、ゴダールが文化と労働の対立を語っていた。知識階級と労働者階級は相容れないことへのゴダールの嘆き。60年代のフランスでもそうだったのだ。この映画でカストロが武力闘争の必要性を強く訴えていた。アメリカ帝国主義を打倒するには農民と労働者の武装蜂起しかないのだと。僕はまえにもここで述べさせてもらったが、この主張に対し、文化闘争・文学闘争を掲げて活動していきたい。べつに文化大革命とは違う。むしろあれとはまったくの逆転の発想である。
 だから活動資金のためだけにバイトをするということではなくて、労働環境の実態を体験するためもあるかなと。文化と労働について身をもって学ばねばならない。2001年に肉体労働をしたことが祟って身体を壊し、それから僕の転落人生が始まったわけだが、その二の舞はなんとか避けて、できるだけ無理をせずに労働して文化の拡充に努めていきたい。

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