衝突

「もっと明るく」
 ヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 
              (高橋義孝訳)


 Ⅰ   

 一九九八年四月のある日、彼は寝不足のままロフトから降りた。備えつけの冷蔵庫には麦茶しか入っていないので、当然のようにサンダルを履いて、駅前まで川沿いを歩いて食べに出かけた。気分は最悪だった。さいきんの外食ばかりの下宿浪人生活は、初めは楽ちんだったが、そのうちあまりにも非効率に食費が嵩むうえ、食べおわり空腹が満たされても、なんともいえない虚しさが全身に去来した。不合格のため返金され、親を欺き遣い込んでいる大学の入学金も底を尽きかけていた。それに加え、女の問題も虚しい心に拍車をかけた。こんな生活では、いつまで経っても恋人はできそうにない。
 彼は、この日に食べた朝食がなんだったかすでに忘れている。機械的に店内で消費し、後悔と絶望のうちに、サンダルで足を痛めながら早々に帰路に着いた。表情筋の強ばった顔で部屋に戻ると、固定電話の留守録ボタンが点滅していることに気づいた。当時、彼は携帯電話を所持していなかった。また実家からだろう。安い引っ越し先の情報だ、と思ってボタンを押すと聞き慣れない声だった。歪んだそのメッセージを聞きおわるころには戸惑いと喜びで、鉄面皮のようだった彼の顔は紅潮し、皺だらけになっていた。誰あろうそのメッセージの送り主は、上京して初めてできた唯一の友人のSだった。
 暇と気力を持て余していた去年の彼は、地元でも熱中していた映画にさらに時間と金をかけた。東京では封切り映画だけではなく過去の名作の回顧上映が、そこら中で催されているので、彼は『ぴあ』のミニシアターやオフシアターのスケジュールを蛍光ペンでチェックしては、いそいそと劇場へ足繁く通ったものだ。金に糸目を着けずパンフレットも必ず購入し、上映前は文庫本を読み、暗がりに光るスクリーンを心待ちにしていた、NFCやafccなどでよく見かけるような映画青年の一人だった。
 そうしたなか、シネセゾン渋谷で偶然に出会ったのがSだった。レイトショーでジャック・ドニオル・ヴァルクローズの『唇によだれ』を観た帰り、彼は劇場のトイレにパルコブックセンターで買ったばかりの前田英樹の『映画=イマージュの秘蹟』を、紙袋ごと小便器の上へ置き忘れてしまったことに気づいた。慌ててもときた道を引き返して受付に事情を話し、再入場するとトイレに舞い戻った。そこで緑色のホーンリムの眼鏡をかけ、不思議そうな顔で紙袋を手にしていたのがSなのだ。
 二人は初めのうちはぎこちなかった。しかし、JR渋谷駅まで連れだって歩きながらポツポツと話すなかで、住んでいる場所が近かったことから意気投合し、ハチ公前でくるりと踵を返して、道玄坂沿いの居酒屋で飲むことになった。 
 SはW大学文学部の三年生で、彼の二歳下だった。そこで、ロバート・シオドマク、エドガー・G・ウルマー、フレッド・ジンネマンなんかの話をした。
 そして終電ギリギリまで飲んだ別れ際、品川駅で電話番号交換もしたが、Sと話したのは、これ一回切りだった。留守録の内容は端的にいって、Sの監督する自主映画の手伝いをしてくれないかとの依頼だった。彼はまったく悩むことなく、Sに反射的に折り返し電話をして、Sの頼みごとを快諾した。彼が通信制高校時代に、地元の大学の映画サークルに腰かけ入部していたり、四谷にある年寄りだらけの映像のカルチャースクールに通っていたりと、自主映画製作に関しての一通りの経験を積んでいたことを、Sに例の居酒屋で伝えてあったのだ。
 W大近傍にある、地下に撮影スタジオも完備されているという、コンクリート打ちっぱなしで青々とした蔦に覆われた、三階建ての編集室の裏に三人はいた。
 つまりは彼とSとCだ。Cは自由の女神像よろしく月桂冠を被り、突き上げた右手に松明、左手に本を抱えている。
 三脚に固定されたフジカシングル8のZ800のファインダーを覗き、内蔵の露出計で明るさを調整しているSの後ろで彼は、緊張気味の表情を浮かべ、燃え盛るお手製の松明を翳したCを見ていた。
 Cは、身長が低く、ショートカットで色白だった。彼女は彼とSとは視線を合わさずに、斜め前の穴の空いたコンクリート壁のほうに焦点を合わしているようだ。彼はなんだか、さいきん読んだ小説の中山唯生みたいに、ひと暴れしたくなってくる衝動を楽しんで状況の趨勢を見守っていた。
 Cに関する彼の記憶がここからしかないのは、彼が撮影現場に遅刻してしまいバタついたのでそうなのだろう。Cと初対面の挨拶をしたことや、Sが彼にCの紹介をしただろう内容をすっ飛ばして、この自由の女神像に扮した横顔が彼のCへの第一印象であり、Cに関する象徴的なイメージを決定づけるようなものだったのだ。
 それはともかく、彼はあれだけ女に飢えていたのにも拘わらず、生身の女体を前に妄想が破れたようで、Cに対して欲情は湧かず、まだこのときは、ただ美人な娘だなと思うくらいで恋心もまったく芽生えていなかった。冷徹な目で、彼女の経験人数は何人だろうなんていう下種な勘ぐりをした。
 そもそも彼が純粋な恋をしたのは、幼稚園の年長組まで遡ることになってしまう。そう、いくら彼だって生まれて一度も現実の恋をしなかったわけではない。といってもこの五、六歳にしたのが最初で最後の純愛であり、相手は根暗な彼に親身になって接してくれた保母さんなのだ。あとは肉欲だけだ。
 さて、Cが松明を水の張ったバケツに浸してその撮影があたふたとおわった。次のシーンであるワインを頭から被る演出を、Sが身振り手振りを大げさにしながら、Cに説明しているさまを彼は冷めた感情で静観していた。さきほどまでのひと暴れしてやろうといった無軌道な衝動なんて、女性への打って変わった冷たい態度がいつのまにか伝染したかのように治まっていた。
 そして彼が、この撮影に自分は本当に必要なんだろうかと、存在理由を揺さぶられていたその瞬間、Sはワインボトルを彼に手渡し、彼をCの頭にワインを注ぐ役に任命したのだ。彼は困惑したままにSのキューを待ちながら、ワインを利き手の左手に持ち、しゃがんでいるCの頭頂部を凝視することになった。
 編集室前の駐車場奥、入口と対蹠点にセットされたカメラから下手に立つ彼は、心も指先も大役の緊張で震わせていた。アクション! ついに監督の指示に従い、まっかなワインの滴をCの月桂冠を被った頭髪へと垂らした。その血のような流れはみるみるCの耳と頬を侵し、顎を伝って、純白のシャツへと染みだしていった。フィルムのカタカタという音がする。カット! 監督の歯切れのいい低音が、静かな街路に響き渡る。彼は、そのとき妙な気持ちがふつふつと胸の辺りから湧き上がってくるのを感じ取った。
 その日の撮影は、これでおわりだった。Cは濡れ汚れた衣服を着替えるため、Sが用意したバスタオルで頭髪を拭きながら編集室へと消えた。この編集室は、W大が発行しているフリーペーパーのスタッフが働く場所で、SとCも学生編集者としてアルバイトしている。いつ聞いたかは忘れたが、Sの話では、Cはもともと他大学に在籍していて、去年W大に編入してきたそうだ。そして年齢は彼と一緒だった。
 二人で片づけをすると、Sは彼に礼をいい、次は地元の河川敷で撮影予定だと告げ、つづけて編集室に誘ってくれた。
 一階は倉庫、二階がキッチンとトイレ、三階が編集長室、会計室、会議室になっていた。Cは二階の男女兼用トイレにまだ入っているようで姿はなく、三階の会議室には、専門学生の女性アルバイトの方が一人で作業をしていた。ここでは他校の学生も受けいれているそうだ。彼女の顔は朧気にしか記憶していない。おそらくいま街で擦れ違っても気づかないだろう。苗字は覚えているのだけど、ここにはイニシャルでも記さない。専門学生は、Sたちが駐車場で撮影していたことは知っていて、仕事がおわればすぐに見学にいきたかったんだと、大層残念がった。
 彼は、椅子に座り脚本らしきものをチェックしているSと、宛名貼りの仕事に戻った専門学生を尻目に、会議室の片側に設えられた本棚を仔細に観察してみた。いとうせいこうの『去勢訓練』がある。『批評空間』に連載されていたやつだ。彼は、一瞬躊躇して指を背表紙に這わせたあと手に取り、冒頭を読んでみて、ビビってすぐに棚に返した。そうこうするうちに、Cが着替えおわってボーダーの服装で、この部屋に入ってきた。なぜこのときのことを服装の柄まで、それから二年近く経ったいまになっても彼が覚えているのかというと、S以外みなボーダーの服を着ていて、それを指摘したのが他ならぬCだったからだ。
 しかし、この日の鮮明な映像記憶は、だんだんと逓減する。別にどうでもいいことばかりになったからではない。とても重要なハイライトだけが幾つか残されているわけだ。発達障害の症状にあるようなカメラ・アイによって、彼の皺くちゃの脳髄に刻まれているのは、断片的な会話の無秩序な集積だ。それをここにアットランダムに開陳すると次のようなことになる。
 新感覚派が好き。
『山躁賦』は傑作! 
 いま『中上健次全集』を読んでいる。
 今度、編集長とアルノー・デプレシャン観にいくんだ。
 就職はしない。
 潤沢してる? 
 どうせいつか死ぬんだから自殺しちゃあいけない。
 存在が立ち現れるんだよ。
 芳林堂って何時まで? 
 無意識の共犯関係。
 このスローガン好きめ! 
 あの自販機の「桃の天然水」が旨いんだ。
 これらは、正確にこのとき語られていた言葉とは確約できない。しかし、彼の脳に強烈に響いた言葉だ。彼は一人俯き、解けていたテニスシューズの紐を見つめていた。そして、お茶受けの海苔巻き煎餅を、バリバリ貪り食うのだった。
 撮影初日から数日後、剥きだしの炬燵机に俯せ、あの日の帰りにJR蒲田の駅ビルの書店で、衝き動かされるように買った文庫の中上健次の『千年の愉楽』と、翌日に近所の図書館で借りた古井由吉の『山躁賦』をうっちゃった。ロフト付きのワンルーム中に、あのみんなの和気藹々とした会話が、いまでも鳴り響いているみたいな錯覚に陥って苦しかった。
 どうしても気分が上がらない彼は、さいきんビデオデッキとどちらを買うのかで迷った、小振りのCDラジカセで、近所迷惑も顧みず、大音量で音楽をかけた。上京してからというもの、ずっとディスクマンでばかり音楽を聴いていたので、部屋中に曲を響かせるのは快感だった。持っていたCDは恐ろしく限られていた。そのなかで特にお気にいりなのは、真心ブラザーズの『キング・オブ・ロック』だった。あと頻繁に聴いていたのは、キング・クリムゾンの『レッド』や、電気グルーヴの「シャングリラ」など。それからこのとき、すでにメジャーデビューしていた、ザ・ブリリアント・グリーンを彼はまだ知らなかった。
 まあ、それはともかく彼は、『キング・オブ・ロック』の一曲目「スピード」が、どうしても流したくて、『チャイニーズ・カンフー』のジャケットをパロディした真心ブラザーズのアルバムをCDラジカセにセットした。しかし、どういうわけか、あれほど好きだった「スピード」には心惹かれなかった。そして彼はそのままだらだらと、当時よくしていたように消音にしたテレビを点けっぱなしにして得意の思索を練った。
 アルバムの後半、メインボーカルの倉持陽一ではなくギターの桜井秀俊がソロで歌っている「今しかない 後がない」が流れた。「スピード」とは正反対のいつもなら聴き飛ばしていたはずのポップで軽い曲調の曲だ。しかしなぜかこのときは、妙に腑に落ちる感情が身体中を震わせた。「スピード」の熱狂と歓喜は、どこか他人事に思われ、「今しかない 後がない」は糸が切れた凧のような不安感を彼に与え、それがひどくそのときの彼にマッチした。
 それは、たとえるならば、『レット・イット・ビー』収録のレノンーマッカートニーの「ゲット・バック」を聴こうとして、ハリスンの「フォー・ユー・ブルー」のほうに聴きいってしまった、というようなものか。
 彼は、昼間からカクテルを飲んでいた。ごはんが不味くて、酒で栄養源を確保していたのだ。酒に酔いしれながら、ドミニク・アングルの絵のようなCの顔を、脳裏に浮かべていた。
 このときは、まだGW前の四月下旬ごろだった。Cと出会って益々、食欲不振、不眠に陥り、彼はとにかく次の撮影日をSが連絡してくれることだけが待ち遠しく、それが希望のすべてだった。
 古井由吉の「杳子」は、主人公の男子学生が、K岳の谷底で、遭難した杳子を救助することに始まる。彼とCの出会いは、あんな極限状態に近いドラマティックなものではないけれど、撮影現場という非日常的空間であったことは事実で、なんだか小説ようで嘘みたいだ。
 たぶん現実と虚構は等価だ。つまりは、あのファストフード店の二階に犇めき合う客や、眼下のセンター街を行き交う通行人と、「杳子」は取り替え可能なのだ。
 SやCと出会う前、彼は物憂い気に、初春の渋谷の街で、独り読後感に浸っていた。
 ジェームズ・キャメロンの『タイタニック』のあの行列は、そのときもつづいていたのだろうか。正確なところは、はっきりとは思いだせない。
 小さなことは、断片的にしか覚えられない。大きなことは、なんとなく流れだけしか覚えられない。人生は、テストの解答のようにしか答えられない不完全なもので、部分的にしか記憶できないものなのだ。だから、人生とテストと芸術は相似形である。
 二十世紀末の渋谷は、どす黒い死の光線で、最も怪しく輝いていた。異ジャンルから新進気鋭の若き作家たちが綺羅星のごとく続々とデビューし、彼は生肉を貪るように刺激的な新しい物語を読み耽った。そうしたなかでの、「杳子」だった。彼は、読んだことを後悔し始めていた。
 彼の青春は、確実におわりが近づいている。およそ三十年前の傑作を前に、そんな気がしてきたのだ。いつまでつづくだろうかと呑気に構えていたモラトリアムの突然の終了を予感させた、といえばいいのか。彼は、青春に疲れを感じつつあった。それを認めたくなかったわけだ。抑え込んで、気づかない振りをしていた。そんな脆弱な精神構造が、この一篇の小説によって脆くも瓦解した。
 だが、そうは思っていても、どうしても認めたくはなく、彼は未練がましい童貞みたいに、悪足掻きをしたくなる。いや、比喩ではなく、実際に童貞だった。ただ呑気に本を読んで青春を謳歌した気分でいるだけでは駄目だという強迫観念が、このときから彼に取り憑いて離れなくなってしまったわけだ。なにか、行動に出ないと。現実は虚構と等価なのだから、現実だって潤沢な色づけができるはずなんだと。
 つまりは、「杳子」によって、夢の読書の楽園を追放され、外の現実界に目覚めさせられたのだ。そして、そこには絶対的他者の女性たちがいる。
 かといって、すぐに現実に直面するのは、やはり怖い。想像界に引きこもっていたい。悪足掻きでもいい、裸になって他者と向き合いたくない。産道から頭頂部だけ出したまま、ぎりぎりまで陰唇に挟まって、温もりのなかで死産したい。
 女性は、母親でもなければ、太陽でも、書き割りでも、飾りでも、キャンバスでもない。男と同じ生々しい肉の塊なのを、巧妙に隠しているだけなのだ。
 十五歳で不登校になって、閉ざしてしまった現実社会の重い扉を、独りの力で押し開かねばならない。そんなこと鈍りきった彼の身体と魂で、果たしてやり通せるだろうか。ずっと、このままというわけにはいかないものだろうか。
 いやいや、敬愛するジャン=リュック・ゴダールの『中国女』でも「直接体験」の必要性を説くシーンがあった。極端な話、彼は本や映像、音楽などの芸術文化を通してしか、世界を体験してこなかった。それらがなければ、現実を見ることはできないと思い込んでいた。本来の青春は逆だ。実体験こそが重要だと、それこそが現実だと、虚構は現実でなく逃避だと。彼の定理では、虚構こそが現実のすべてなのに。だから彼は、ずっと自分の手で映画という虚構を作ろうと必死でもがいていた。だが、いまにして思えば、それが、生の体験の入り口だった。
 しかし、生の体験とは、そんなにいい感触なのだろうか。虚構より興奮するものなのだろうか。彼にはこのとき理解できなかった。なぜ、みながこぞって、社会や制度に身を委ねてまで、味気ない現実と戦いつづけるのかを。彼は現実を作りたくなかった。虚構のなかで生きたかった。
 さて、あの日、どうして渋谷に行ったのか、彼は思いだせない。そして、こんなことをここまで思考したのかも定かではない。彼は、店を出て、そのまま蒲田のアパートへ帰ったのだろうか。彼のこの日は記憶の海の藻屑になり果ててしまっている。彼の記憶力のよさには極端な斑がある。東堂太郎のようにはいかない。しかし、初めはタイトルばかりか作者名さえ碌に読めなかった、その小説を読みおえ、ひどく落ち込んだことだけは、体感として身体で記憶している揺るぎない事実だ。ここから、彼の転落人生が始まったといっても過言ではないのだが、このときはそこまで深刻な事態へと自分の人生が転げ落ちてゆくとは、夢にも思わなかったことも揺るぎない事実なのである。
 いまでは、まともな社会生活を満足に送ることは到底できない境遇に追い込まれてしまった。だから彼は命が潰える前に、せめてあの東京の失恋時代について、覚えている限りの断片的な記憶を継ぎ接ぎし、私的な記録を残したい衝動を抑えきれないでいる。
 ある意味、この失恋時代は、黄金時代でもあった。後悔の連続の東京の三年間だったが、彼はこの間に受けた傷を癒すためだけに、これからの人生を生きていきたいとも思うのだった。
 Sは電話口で、高校生のころ友人らと競って、吉岡実、柴田翔、倉橋由美子を読んだことと、編集室でアルバイトする前の大学一年生のころ、『中上健次全集』を何冊もリュックサックに詰め込んで登校し、誰とも口を利かず、中上もあまり読まずにいたという対照的な逸話を語った。
 この話は、撮影初日から二週間ばかり経った夜、Sと長電話したときのことだ。電話をかけてきたのはもちろんSのほうだった。Sは京急線の六郷土手駅の近くに両親と弟の四人暮らしで、最寄りの河川敷で五月の頭に撮影を、また彼とCに手伝ってもらいたいとのことだった。彼は主要な用件がおわり、会話が脱線してゆくなかでも、ずっと緊張していた。Cとの再会の喜びと不安をSに悟られまいと片時も気を抜くことができなかったのだ。
 だが、次第に、朗々と語りつづけるSに引っ張られる形で、彼のほうも多弁になって、ロベルト・ロッセリーニ『無防備都市』の貴族の社交界と拷問のシーンのモンタージュについて意見を交わした。
 電話を切り、彼の高揚はいま一度点火された。それは泣きださんばかりの感情の昂りだった。このあと彼は熱いシャワーを頭から浴びてリフレッシュした。できるだけCのことを考えないように努めた。
 中学生のころ彼は、ショパンの前奏曲「第7番 イ長調」が流れる胃散のCMに出てくるタレントの胸の谷間を観るたびに、居ても立ってもいられなくなって、家族のいない二階へ駆け上がり、性的衝動を発散させていた。あれがまさに性の目覚めであり、それがいまでもつづいている肉欲の軛だ。
 愛に触れさえすれば、劣情の牢獄から解き放たれるはずなんだ。両親や兄弟、祖父母に愛されなかったわけではない。むしろ家族の愛情は、ペドフィリアかと疑うくらいに、ありあまるほど受けて育った。彼のほうでも家族を憎んではない。なにか微妙な距離感を取らないと、息苦しさを感じることがたまにあるくらいだ。それが女性に対する愛情表現の拙さと関係しているのだろうか? 家族の愛が強すぎるために、絶対的他者である女性を家族と同じように愛しすぎてしまい、距離を見失って違和を抱いてしまうのかもしれない。それが利己的でドライな現実の女性ではなく、こちらの一方的な思いを無条件に受けいれてくれるポップスターやアイドルを、愛してきた原因なのだろう。
 空は、澄み切った蒼天だった。Sの実家で初日のラッシュを観て、そのあとにSの弟の自慢の熱帯魚を鑑賞した。それから、三人でそれぞれ自転車に乗り、撮影現場に向かった。途中、巨大な都営マンション群の敷地を通り抜け、幹線道路を跨ぐ歩道橋を見上げた。河川敷に近づくにつれ、リトルリーグの硬式球を打ち返すバットの金属音が次第に大きくなっていった。川崎に連絡する水色の鉄橋の下、川岸に繁茂するノカンゾウやチガヤなどの群生地の先に広がる多摩川の穏やかな流れを、彼らはのんびりと愛で、みな土手の上に自転車を停めた。
 そのとき本当に愛でたいのは他ならぬCだ。しかし彼は碌にCの顔も服も見ようとはせず、彼女の剥きだしの二の腕ばかりに目を凝らし、会話どころか挨拶すらしなかった。ただぼそぼそとSとばかり口を利き、CとSが喋り始めるや一切その会話に参加しない。まったくの意識過剰だ。そんなんだからこの日のCの印象は、彼の病的なほどに偏向した記憶力のうちでは、二の腕だけなのだが、それは代わりに物質的言語に変換されてしまっている。
 彼の記憶は、自身が左利きからの影響なのか、全般に亘って、映像的記憶の横溢であり、固有名詞を除いた言語的記憶はどれもこれも曖昧で、正確さに著しく欠ける。だから、この日の物質的言語の定着は、ごく稀な例外的な事例だ。でも、なんのことはない。それは、「川面のような肌の輝き」なんていう凡庸な言葉だったわけで、彼としては映像的記憶が抹消されてしまっているのがひどく口惜しい。
 広場に下り、Sがパンパンに膨れ上がったリュックサックを降ろして、なかから木の杭やら、切れぎれの黒い布、荒縄など、普段の都会人なら目にしないであろう呪術的な小道具を取りだす作業を黙々と始めた。手持ちぶさたな残された二人は、ここでなにか話してもっと仲良くなるチャンスなのに、彼は照れ隠しにSに、手伝おうか? と一声かけるもSに遠慮がちに、大丈夫です、とやんわりと断られるという体たらくなのだ。
 そして彼は、一つの信じがたい事実に思い当たった。彼の覚えている限り、彼はCと無言の会釈以外、通常のコミュニケーションを取っていないのは、今日に限ったことではなかったのだ。つまり出会ってから一度も会話をした記憶がない。それなのに、赤ワインを彼女の頭に垂れ流したあの日以来、彼の頭は、Cでいっぱいになってしまっている。その行為こそ「純粋経験」なのかもしれないが、そこから彼女との距離が一向に縮まっていない。逆にその特殊さが、二人の間に気まずい関係をはらましてはいないか。
 それに加え、問題はまず彼のこのときの髪型だ。五月に入り暖かくなってきたのだから、いいかげんもう美容院で短くカットしようと思っていた。それなのに、なぜいまのいままで切っていないのかといえば、Sに撮影がおわるまで切るのを待ってくれ、と頼まれていたからだ。要は、彼もSのこの作品に出演することになってしまったのだ。といっても、なんのことはない、配役は端役のホームレスだ。演じるCの後ろで、鍋でもつついていればいいそうだ!
 なにがいいたいかといえば、現在の彼の風貌は、寸足らずの紺色のジャージー上下に、ヨレヨレの黒靴下、サンダルといった衣装で、異形な長髪と無精髭が相まってあまりにみすぼらしく、これではCからも彼からも、なかなか話しかけづらいと思うのだ。しかし、それでも彼はCに対し、来月に迫ったW杯フランス大会の話題もしくは、XJapan・hideの首吊り自殺の衝撃、いやいや、見つけたばかりのブリグリの素晴らしさについて語ろうか、まてまて、渋谷でジャン・ヴィゴの『アタラント号』がやるんだった、それに誘ってみようかなどと、極度の緊張のなか、カラカラに乾いた口を苦し紛れに尖らせて悩みに悩んでいた。
 答えの出ないまま、思考は脱線して渦巻いてゆく。Cは彼と同い年の一九七四年生まれだ。彼の誕生日はおわってしまったが、彼女はいったい何月生まれだろう。誕生日がまだきていないでほしい。そうすれば、誕生会だ。いやいや、性急か。そうだ、プレゼントだ。男女の仲は、一も二もなくプレゼントだ。
 そのとき近くで、なにかの機械音が鳴った。彼は、びっくりしてすっとん狂な声を上げてしまった。どうやら発信源は、Cのポケベルらしかった。その証拠に彼女は二人に背中を向けて一人俯き、なにかとしきりに手先を動かしているようだ。彼の腹は煮えくり返った。あまり仔細に彼女を観察するのもなんなので、彼は視線を河川のほうへ向け、川辺で憩う鳥たちを見ていた。穏やかな時間の流れで気分を紛らわし、もとの視界に戻ると、Cは、うずくまって作業しているSに話しかけるところだった。そこで耳をつんざくほどのCの悲鳴が上がった。それは彼が彼女のポケベルの振動音に驚いて思わず上げてしまった奇声とは、比べものにならないほどのシリアスな悲鳴だった。彼は咄嗟に二人の側に駆け寄っていった。だが、そこで目にしたものは拍子抜けする現実だった。悲鳴の原因はなんのことはない、Sが自作した紙粘土だった。その粘土は、ザンバラ髪の鬘を被せた、女の生首を模したものだった。彼はそのまっしろな女の生首の粘土を見て、誰か身近な人物、それも旧来の知り合いではない、ここさいきん見知ったような人物の顔に似ている印象を持った。しかし、それが誰であったかはどうしても思いだせなく、頭の隅が痒いようなどこかすっきりしない気持ち悪さを抱え、このあとの撮影に臨んだ。
 魔法陣の撮影中、大粒の雨が降ってきた。朝の天気予報では終日、晴れのはずだった。狐の嫁入りというやつだ。彼らは慌てて機材とセットを片して、鉄橋の下に避難した。Sが持参した数枚のタオルで、小道具や機材、そして濡れてしまった自分たちを慌ただしく拭いた。Sの顔を見ると、表情が沈み込み、なにか考えに耽っているようだった。次いで、Cの姿を盗むように覗いてみると、またポケベルを操作していた。さっきからいったい誰と連絡を取り合っているのだろう! 彼は、激しい嫉妬の感情が自身に芽生えていることを、禁じえない。雨は降りつづいた。彼は大きなクシャミをしてしまった。
 そこでSが、金田一耕助の登場人物みたいに片手を上げて、よーし、わかった! といい、一息吐いてから、さっきの魔法陣の撮れ高はもう充分なので、いまからラストシーンの撮影をしたいと思います! と告げる。二人はSから、この映画の筋書きをなにも聞かされておらず、脚本や絵コンテはおろか、進行表すらも渡されていなかったので、ラストシーンといわれてもキョトンとするばかりで、次のSの指示を待つしかない。するとSは、突然芝居がかって、両掌をスリスリと蠅のようにすり合わせて腰を低く保つ。それから膝を折り、重心を前に傾けると、ピョーンと甲高く声を発し、思いっきり跳躍する。そのさきには緑色の彼のリュックがある。S、今度は鼻をヒクヒクさせたかと思いきや、豚鼻になってなにかを掘り起こすみたいにして、リュックに頭を突っ込む。次の瞬間、Sは赤い涎を垂らし、まっかな血で染まったトリュフを、大口でくわえ、その顔を我々に見せつける。カット! 8ミリカメラのファインダーを、固唾を飲んで覗き込んでいた専門学生が、我々の弛緩した空間に渇を入れるかのような一声を放つ。そうか、彼女こそが真の監督だったんだ! そこで私は唐突に思い当たる。あの女の生首の紙粘土、あれは専門学生の顔に似ているのではないかと。急遽、私の心に疑惑が芽生える。あれを自作したのは間違いなくS本人以外にあり得ない。となると、どういうわけだ。監督の生首を作るなんておかしくないか? これも監督たっての指示なのだろうか? Sのちょっとした遊び心といって許されるものなのだろうか。監督とは、どんな監督だろうとも、絶対的で神聖な侮辱しては決してならない崇高な存在であるべきじゃないのか。そう尋常小学校でSは学ばなかったのか。それもあり得ない話ではない。Sは大陸で生まれたそうだから、戦後の混乱期に引き揚げのどさくさに紛れて教育勅語をすべて海に投げ捨てて、帝国に再入国したのかもしれない。故郷喪失者というやつだ。それから何食わぬ顔で、我々と同化し、勉学に励み、スポーツを嗜み、淡い恋をして、W大学に入学し、この撮影が終盤を迎えるというときに、このおぞましい過去を私に察知されても、隠し通しているという驕りのなか生きているのに違いない。然り。私のほうこそ、よーし、わかった! と叫んでやりたい。だったら私にも用意がある。すべてをチャラにする、とっておきの策がな。雨はいつのまにか上がっていた。私たち四人は鉄橋の下から、また川辺の広場へと集まった。みなの靴が泥と草で汚れている。でもみな満面の笑みだ。Cのポケベルの通信相手なんてもうどうでもいい。私たちは自由人だ。この帝都にあって、自由をこよなく愛する本物の人間だ。Sと監督も、Cと私も、いがみ合うことはこれ以上一切なし。私の秘策もあってないようなものである。みな兄弟だ。愛の兄弟だ。血の離れた兄弟こそ、善き義兄弟になれる。Cの誕生会? そんなイベントは無意味だ。だってみんないつでも近くにいるから。毎日が誰かの誕生日だから、みんなで日々を祝うんだよ。そしてみなの存在自体がプレゼントであるんだ。ずっとこの穏やかな川辺で、四人が笑い転げるようなかけがえのない時間が永遠につづいてゆく。そんな気がしないか。ええ、Sさんよ、トリュフを掘っている場合ではないぞ。いやいや、私にもちょっとだけ掘らしてくれまいか? 私の鼻だって飾りではなく、呼吸もできるし、嗅覚だって強力さ。だから、ちょっとでいいから、私にもさっきのトリュフを分けてくれなんて、厚かましいことはいわないから、そのリュックに私の鼻先を突っ込ませてくださいよ。お願いだから。後生だから! あとは自分で探すから!
 リュックを持ち手で提げていたSは、私が突然狂ったかのように四つん這いになって猛然と彼へと突き進み、そのチャックが半開きになったリュックへと、フガフガと鼻を鳴らしながら鼻先を捻りいれようとする奇行を目の当たりにして、叫声を上げた。Eさん! Eさん! Sは、目をまん丸に見開いて私を睨み、私の珍しい名前を金切り声で連呼した。なにしているんですか! Sの絶叫はつづくが、私がそれごときで、止まるわけがなかった。どうしてもまっかな血染めのトリュフの甘美を味わいたくて仕様がなかったのである。私は尖った鉤鼻で、不安定なリュックの中身をまさぐるのがまどろっこしくなり、歯を立てるとリュックにかぶりつき首を力の限り振って、Sの手のうちからそれを奪った。それはなんともあっけない感触を私の口元に残した。
 私は駆けた。群生地を避けて湿地帯を。手足の激しい運動で私の長髪は振り乱れ、眼鏡は吹っ飛び、泥が跳ねに跳ねて、身体中が泥んこになり、決してくわえて放さないSのリュックも、引きずり回しているので、いわずもがなの有様だった。サンダルは勢い余って脱げてしまった。しかし私には、なんの不安も心配もない。ただ息咳切って、誰にも邪魔されずに血染めのトリュフのご馳走にありつける安全な場所まで、必死で駆けることしか頭になかった。早く食べたい。早く汁を啜りたい。早くその喉越しを精一杯味わいたい。早く空腹でたまらなく暴れているこの胃袋を落ち着かせてやりたい。それがおわれば、もうあとは寝るだけ。そう、私はひどく眠い。いったいどれだけ安眠していないことだろう。いまは思いだせないが、なにか個人的な悩みを抱えていた。ついさっきまでの明朗快活な精神が、だんだんと鳴りをひそめた。得体の知れない近過去から恐ろしい悪夢のような感覚とともに、生来の不安と弱気がぬっと姿を露わにしてきた。だが、私はそれにもまして眠かった。それは死にも似た、清潔で明るい眠気だった。
 世界は依然動いていたが、私だけが止まっていた。心臓さえ鼓動が潰えたかのようだった。後方からバシャバシャと湿地帯を駆ける、さっきまで私が我が物顔で打ち鳴らしていた、いまでは遠い幼少期の遊びの記憶かのようなあの血気盛んな足音が聞こえてきた。私は崩れ落ちる。水浸しの地面に、リュックを枕代わりにして俯せになるしかなかった。足音は、私を追い越して止まった。私の目は、重い瞼を閉じる寸前だった。その上目遣いの網膜に映されたのは、人民解放軍の兵士の顔だった。兵士は片膝を着き、前屈みになって憐れみを湛えた表情で私を覗き込んでいた。そしてなにか言葉を、小さく優しげな声かけを私に向け発していた。だが、いかんせん私の耳には、なにやら意味の判らないノイズとしか聞こえなかった。ただ閉じられてゆく視界のなかで、赤いものが兵士の口元で光った。トマトソースのようだった。私の秘策というのは、この場から逃げ去ることだったが、もうそれは叶わない。あとは私の意識が、一回の瞬きで飛んでゆくだけだった。
 さて、そのあといったいどれくらいのときが経っただろう。私ははっきりとした意識のなかで、目を見開いて兵士に寄り添う看護兵の姿を認めた。しかし不思議なことに、私はこの時点で自分はもう死んでいるのだと確信しているのにも拘わらず、彼女に呆けたように見惚れていたのだ。そうして私は充分に満足したかのように目を瞑り、贅沢に時間をかけてこれまでのことをゆっくり思い起こす。それから、この日のありとあらゆる不明瞭極まりないことがなにからなにまで詳らかにされる永遠の夢を見るのだ。この夢は、兵士たちもいつの夜か必ず見ることになるだろう。私たちの本当のことだけの夢を、永遠に覚めることのない眠りのなかで。


 Ⅱ  

 掲示板の一枚の貼り紙を中腰になって、しげしげ眺めている。その貼り紙が、文芸サークルの入部説明会について記されたものだったからだ。それは、印刷されたひどく掠れた文字だった。彼は屈んだ姿勢のまま、首を左右に振って学生ホールを肩越しにのぞき込んだ。夕方のホールは、大学生たちで溢れ、活気があった。彼はそのとき近眼なのに眼鏡をかけていなかった。だから、大学生の集団が、こちらに足音響かせて近寄ってきたとき、ホールの薄暗い照明も手伝って誰の顔もがぼやけて見えた。先頭が男女のペアなのは服装ですぐに判った。彼はやおら背を伸ばすと、ぎこちなく会釈した。顔立ちはおぼろげだが、二人は笑顔だった。特に女のほうがよく笑っていた。彼は恥ずかしくなって、もう一度目線を下ろした。彼女は丈の長い菫色のスカートを履いていた。その裾のぼやけた襞が、コンクリートの床に触れそうだった。

 スカートの飾りつけのひだがひらひら揺れた。[1]
 
 彼はその日飲み過ぎて、マンションの和式トイレで散々吐いたあと、なかなか寝つけず、気まぐれに積ん読のユダヤ人作家の処女作を読んだ。導入部の描写が、学生ホールで昨日見たあのスカートの襞と自然とオーバーラップした。彼は興奮した。しかしなにも起きなかった。静かな夜だった。彼は文庫本を読みさし、眠りに就いた。いつも通り、昼過ぎに起きた。どうせ講義は、四限以降のものしか出ていない。口内が雑菌でいっぱいで、とても気持ち悪い。彼はよたよたと流し台までいき、蛇口から流れる水道水を横から何度も吸って口を漱いだ。今日が日曜日なのに気づいた。大学に行く気はもともとなかった。といってもなんらかの予定があるわけではない。アルバイトもしていないし、デートにいくような相手もいない。課題をする気もさらさらない。生ぐさい水での洗顔も、磨耗した歯ブラシでの歯磨きも、パジャマからロングTシャツとイージーパンツへの着替えも、煎餅布団を上げることもしないで、垢抜けしない眼鏡をかけて、中古品のリモコンでモノラルのテレビを点け、ブランチをとることにした。狭い部屋だった。テレビの音に、本で埋まった部屋は、すぐに反響でいっぱいになった。ブランチは、生の食パンに蜂蜜を垂らしたものと、アーモンド、固形チーズ、冷たい低脂肪乳だけだった。彼は、病的なほどに痩せていた。三年前からの一人暮らしでは、偏った外食とこのような貧相な食事しか取っていないのだから当然だろう。外食は昨日のような飲み会のほかは極力さけ、毎日のようにスーパーに通い、食費を抑えていた。仕送りは、月十二万ほどだった。今年の三月に引っ越してきたマンションの家賃が五万で、光熱費が一万、残りの六万で生活を月々賄う。水道代は無料だった。そのせいなのか、ときどき強烈な悪臭がした。大学までは折り畳み自転車で通った。携帯電話は持たなかった。固定電話はあった。浮いた仕送りは、過剰な娯楽費に消えた。贅沢貧乏だった。だが、彼は頑なにアルバイトすることを拒否しつづけた。上京してからというもの、その態度を誰かに注意されると、彼は持論をいつも吐いた。
 アウシュヴィッツ第一収容所の入り口の看板にはこう書かれている。「ARBEIT MACHT FREI」これは、「労働は人を自由にする」という意味のドイツ語だ。労働は、ドイツ語でアルバイトだ。つまりナチスは、アルバイトをユダヤ人に無理強いして未来を煙に巻き、ガス室送りまでバイトをさせつづけたわけだ。俺は、こんな強制まっぴら御免だ! それが俺のバイトしない唯一つの理由だ! 
 艶やかな着物姿の女が二人、S通りの向こう側を歩いていた。彼はマヌケ面で、それを目の保養にした。信号待ちをして、横断歩道を渡った。女たちは、東のS寺方面に曲がった。後ろから猛烈なスピードで彼を追い越してゆく労務者風の男が乗る自転車に、彼はカチンと頭にきたが、すぐ我に返った。あの男は、直に死ぬ。梅雨空の昼下がりだった。折り畳み傘は、ショルダーバッグの底に入れてある。そのまま南進すると、アーケード内の薬局の看板が見えてきた。さっそく店頭の商品を店のかごにつぎつぎ放り込みながら、彼は先月の文芸サークルの入部説明会についての記憶を掘り起こしていた。何度も思い浮かんでくるのは、彼女の声や佇まいだった。彼はそのことに我ながら、うんざりしていた。ほかのことも思いだそうと躍起になる。レジに進み会計を済ませた。六箱入りのテッシュ、歯ブラシ、歯磨き粉、洗顔剤、リンスインシャンプー、綿棒、髭剃り、石鹸、そしてニキビ治療薬クリームを買った。あれから二週間ほど経ったが、あの文芸サークルには顔を一度も出していなかった。毎週土曜日の午後五時から学生ホールで部会を開いている。今日が土曜日で、午後に雨が降るとの天気予報だった。彼は、足早に家路を急いだ。アーケードを抜け、S通りを突っ切り右折した。そこで最寄りのコンビニエンスストアが、看板に明かりを灯して彼を迎えてくれた。食材は底を尽いていた。コンビニで紅鮭弁当とウーロン茶の2Lペットボトルを買った。今晩は料理をする気分ではなかった。両手にビニール袋を提げ、ショルダーバッグが彼のなで肩からずり落ちそうなるのを必死で堪えて、マンションまで一、二分歩いた。マンションの前で、雨が降りだした。傘は差せなかった。部屋に入り、濡れた服を着替えて、買ってきたものを所定の場所にしまい、大きなビニール袋を結んでクリヤーボックスに押し込み、彼はいつも通り炬燵机の前に座ると、テレビを点けた。ニュース番組の女性アナウンサーを凝視した。そして、CM中ふと、炬燵机に雑然と置かれた書籍や書類の山に目をやると、文芸サークルでもらってきたA4一枚の入部案内が目に止まった。そこにとある長歌が引かれていることに、いまさら気がついた。

 そよ、君が代は千世に一たびゐる塵の白雲かゝる山となるまで。[2]
 
 金曜日の夜。彼は繭と化したマンションの自室で、独りレンタルビデオを観ていた。画面では、苦虫を噛み潰したような顔の俳優が帽子を被って、豪奢な邸宅で盗みを働いている。彼は口をポカンと開け、映画を観ることはなしに観ていた。脳裏の遮蔽幕には、学生会館のトイレの鏡に映る自己像が映写されていた。彼の浅黒い首が突きだしている、襟のモダンなコバルトブルーのその丈の短い半袖シャツは、S坂で買ったものだった。場違いのブランドショップで、戸惑いながらも壁にかかったそのシャツを一目見た彼は、MVでいつも怒り肩の人気ミュージシャンがあたかも着ていたかのような錯覚に陥り、熱狂的なファンにでもなったみたいに即レジへと向かった。彼は得意げに鏡を覗いていたが、だんだん意気消沈して、横で用を足している同じサークルの入部希望者を必要以上に気をかけ、慌ててトイレをあとにした。映像は、そのまま皺だらけの俳優の顔と、彼の自己像の顔とがオーバーラップする。彼はここに引っ越してきてからも息苦しい生活をしていた。それで、たまらず文芸サークルの門を叩いたわけだ。彼はビデオを俳優の顔のアップで一時停止すると、ほっと息を吐いた。自分が映画を観ているのではない。映画が自分を観ているのだ。そんな畏怖を感じてしまった。それは映画の善し悪しには関係のない類の畏れだった。時がきたのだ。彼はある詩の一節を想起した。

 「またとなけめ。」[3]

 S駅前の駐輪場に折り畳み自転車を駐めた。思いのほか、早めにM町の大学に着いてしまった。時間までどう暇を潰そうか。大学のすぐそばにあるA書店にいき、ひんやりとした店内の棚を、彼はぼんやり眺めて歩いた。K図書館の試験問題集をパラパラめくった。リトルマガジンで新進作家のQ&Aを立ち読みした。文庫コーナーの通路を何度も何度も往復した。自分の大学の項目ごとのランキングを記憶した。お騒がせ女優のゴシップネタを半信半疑で読んだ。人気政治漫画の続刊情報をチェックした。彼は、体力的というよりも精神的に疲労困憊になった。もう外に出て、どこかで一休みしようと書店をあとにする。横断歩道を小走りに渡って、行きつけのファストフード店の前まできた。だが、いまの彼は、手持ちの資金が乏しい。五時からの部会のために取っておこうと思い直した。踵を返して、大学と迷ったが、まだまだ陽の高いなかの歩道をJ町の方角へ進んだ。もはや夏といえる陽射しだった。十数分焼かれ、屋号が記された緑色の古ぼけた庇のY書店に入った。ここも自室にはない、冷房が利いていた。二分冊の本の「Ⅰ」を手に取った。彼はパラパラとベージを繰り、偶然に目が止まった箇所を走り読みした。
 
  映画をつくろうとすると、映画を職業にしている人やそのほかの人たちが《物語を語る》と呼んでいることをするよう強制されるのですが、私はこのことにいつも窮屈な思いをさせられてきました。ゼロから出発して物語の発端を設定し、ついでその物語を結末まで導くということをさせられるのです。[4]

 3号館の小講義室には、十五名ほどの文芸サークルの部員たちで犇めいた。五時前に、だらだらと本館からここまで暮れなずむ街路をみんなで歩いてきた。あの日の学生ホールで先頭にいた面長な顔の男が部長だ。彼女は数名の男子部員相手に、しばしば高笑いしながら立ち話に耽っている。彼はあのあと大学に戻って、本館地下の自販機で清涼飲料水を買って飲み、喉の渇きを潤した。それから、仮設図書館で文芸誌を横に居眠りをした。そこを出るとき、彼は眼鏡を外していた。だからいまも彼女の顔はぼやけて、彼の目に映っている。彼女たちがなにについて話し合っているのか、聞き耳をたてた。W杯の話に違いない。聞き慣れた海外選手の名前が、ポンポン発せられているからだ。彼女の声は、ひどく嗄れており、周りの男子学生の声に比べて大人びて聞こえた。しかし無駄話は、ここでおわりになった。部長が部会の開始時間をとうに過ぎているのに痺れを切らしたのだ。今日は朗読会を開くらしい。部長はみなを着席させて、バッグから一冊の詩集を取りだして、一段落ずつ前の席のものから順に読んでゆくように指示した。彼は三番目で、彼女はずっと後ろの席だった。
 
 これらについて人や銀河や修羅や海胆は
 宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
 それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
 それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
 たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
 記録されたそのとほりのこのけしきで
 それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
 ある程度まではみんなに共通いたします
 (すべてがわたくしの中でみんなであるやうに
  みんなのおのおののなかのすべてですから)[5]

 萌葱色のアロハシャツで、肩を怒らせ黙々と海老フライとパスタのAプレートランチを食べている強面の男を横目に入れながら、彼は和風ハンバーグ定食の前で割り箸を割っていた。いつものファストフード店は昼時ということもあって、客でごった返していたので、路地を一本入った喫茶店を選んだ。ここにきたのは二度目だった。そのときはサラリーマンで店が占拠されていたのだが、今日は旗日のため、多くの会社が休みなのだろう、アロハの男のほかは、二、三の学生風の客が出入りするだけだった。彼が正午近くに学生街にいるのは、ガイダンスのとき以来でいたく珍しい。実はあの朗読会のあと、S駅の高架下沿いのイタリアンで夕食を残った面子でとり、いろいろと雑談に花を咲すなかで、著名な作家のサイン会の話題が出た。そこでみんなでそこへ押しかける計画が持ち上がり、いままさにその会場に向かう前の腹ごしらえを独りでするところなのだ。あっという間に定食を平らげた彼は、忘れずに昼食後の薬を飲んだ。そのころには店内はさらに閑散としていた。あの否が応でも目立ってしまうアロハの男も退席しており、残されたプレートの残骸が午後の陽射しをいっぱいに浴びて妙に神々しく見え、彼は小さく笑ってしまう。まだまだ時間には余裕があるので、彼は緑色のショルダーバッグの紐を解くと、なかから一冊のフランス装の本を取りだし、取り憑かれたように読み耽った。そして幾ばくかしたのち、自動扉が開くチャイムの音がして、新しいお客が入店してきた。

 開いた本を読みふけっているように視線をページにさまよわせていると、淡い色の透明な塗料が黄色く光っている木の床の上をコツコツと響くハイ・ヒールの音がこちらに向かって近づいて来て、そのたびに[あの人](傍点)なのかと思い、むこうから声をかけさせるために、本にすっかり没頭しているふりをつづけるのだが──[6]
 
 彼女はサイン会後の夕食の席に座るなり、開口一番、アルバイトを始めたことをみなに告げた。彼女の話によると、高校時代に地元のYのカフェでバイトをしていたことがあるそうだが、大学に入ってからはこれが初めてで大変だと、テーブルの向こう端で取り巻きの男たちと盛り上がっていた。反対側の端にいた彼は、性懲りもなくまた眼鏡をかけていなかったので、そのときの彼女がどんな表情をして喋っていたのか判らなかった。彼は内心、彼女を軽蔑した。このナチ公の奴隷め! というわけだ。彼は馬鹿だった。本当の大馬鹿者だった。彼は一人黙って俯く。腹が無性に立った。口と胃袋はなにもものを欲していない。彼はこの席では、もう絶対になにも語るまいと心に誓った。彼はなんだか泣けてきた。涙がこぼれ落ちそうだ。惨めな思いが過去から押し寄せてくるようだ。叫声さえ上げんばかりだったが、理性で必死に決壊寸前の涙腺を食い止めた。そんな彼の異変に気がついたのは隣の部長だけだった。彼女は淀みなく、滔々と新しい職場について語っている。次に彼は、耳を塞いで一刻も早くこの場を立ち去りたい衝動に駆られた。彼はひどく混乱していた。眩暈まで起こす事態にもなってきた。これは危うい。自身を戒め、全方位の怒りを抑えようとする。彼は夕食後の薬が飲みたかった。食べる前にもう飲んでおくべきだと、手は早めはやめに打つべきなんだと。とはいえ、さすがにみなの面前で薬を飲むのは気が引けたので、すぐさま無言でトイレに立った。
 
 わたしが、[わたしたちの手](傍点)を汚すといった時、あなたは、[わたしたちの手](傍点)じゃないといったけど、やはり、[わたしたちの手](傍点)なのよ。[7]

 朝の服薬を忘れることが多いので、朝食の前にもう薬を嚥み下した。そして、朝食も取らずに、音楽を本に染み込ませる。去年まで手元に置いてあったCDの量と、いまこの部屋のカラーボックスで縦に整然と並んでいるCDの枚数は、比べものにならないほどに増えていた。また、大量のCDがあるにも拘わらず、さらにアナログ盤も横に倒したボックスの棚の一列を占拠していた。CD・レコードばかりではない。カセットテープ・ビデオテープも新たに増加した。なおかつ前のアパートにあった書籍はもちろん引き継ぎ、古本街のぞっき本を買い漁り、さらには実家からも蔵書を送ってもらうなど、CDに負けず劣らないほど、それらも増殖して部屋を埋め尽くし、彼をじっと包囲している。彼は幸福だった。それらを頭を空にして眺めることが。だが、いまは違う。あの女をことを除けば、なにも憂いはないはずなのに。彼はあの日のように再び泣きそうになった。それは身体のどこにあるのかよく判らない心のさらにどこか、柔らかく、そして深いふかいところに、傷か、炎症か、潰瘍か、はたまた進行中の癌があるかのような恐怖からくるものだった。医師は彼に通告する。手の打ちようがありませんと。恋の病は医者でも治らん、というわけだ。このときの彼は、斑呆けみたいに、記憶が飛び飛びで、特に去年のGW前後の記憶がすっぽりと抜け落ちている。地元の精神科医は、そのときの記憶がない、という認識があるだけでもあなたの症状は軽度なのです、と彼を慰めたのか、たしなめたのかはよく判らないがそういった。病名は、急性精神障害。三ヶ月の短期入院ののち、自宅療養を半年ほどした。その間、母が大学進学の書類を取り寄せ、彼は発症した翌年の四月に再び上京、兄の手伝いを仰ぎながら、都内の南西部のアパートから北東部のマンションへ引っ越し、N大学の通信教育部に入学することになった。試験はなく、書類選考のみだった。六浪したすえの進学だった。なぜそこまで慌てて動いたのか。それは彼が発症した翌月の父の死があったから。事故や自殺ではない。急性心不全だ。五十八歳だった。彼ら家族は、度重なる不幸に、なにか呪いのようなものを感じた。そこで占いや宗教の力を借りたわけではない。彼の症状は落ち着いていた。毎食後、三度三度の服薬さえ守れば、なんの問題もないと医師は保証してくれた。彼の家族は事態を好転させるには、能動的、主体的な手を打たなければならないと考えた。それは焦燥感ではない、使命感なのか、決して投げやりではないなにかだった。病床の彼の大学入学、それは生前の父の気がかりであり、経っての希望だったのだが、残された三人の家族は、それを打ってつけの目標、すなわち亡父から遺された最終命題として受け取った。だが、彼だけは薄々気づいていた。自分が、家族に降りかかる災いを治める体のいい生贄になったに過ぎないことを。

 不安が夜の宙を舞って
 きっと誰かをだめにしてる
 あの娘は今も愛を放って
 小犬みたいに眠ってる[8]

 折り畳み自転車をいつもの駅前駐輪場に停め、ポータブルプレイヤーで邦楽ロックを聴きながら、通信教育部の本校舎に向かった。もう六時近いが、夏休み直前だから陽はまだ暮れてはいなく、強烈な西陽が彼の背中を焼く。N大通信教育部特有なスクーリングの歴史学の講義は、面白いので毎回出席していた。この日の倫理学と西洋思想史は、長らく名も知らない同級生に代返を頼んでいる。古代の伝説上の女神についての講義のあと、小路を渡って通学課程の法学部本館の学生ホールで、文芸サークルのメンバーを探す。法学部はH通りの東側の経済学部と違って、M町のどの校舎にも部室がなかった。通信教育部には、部室どころか文芸サークルもなかった。おととい部会があったばかりなので、ホールにはサークルのメンバーが大机をまるごと占拠していることはなかったが、見知った顔が柱の周りのベンチに数人でかたまって腰かけていた。
 最もこちらに近い一度だけ顔を合わした新入部員の男が、なにを聴いているのかを唐突に彼に訊ねたので、ボーカルが三月に亡くなったロックバンドを特に思いいれもない風に答えた。いまはイヤホンを外しているのに、なんで急に音楽の話を振るのだろうかと小首を傾げながら、かといって男にそのことを問いただすのでもなく、彼は男の隣に座った。そこでショルダーバッグからイヤホンのコードがだらしなく遺伝子の螺旋構造のように絡まって出ていることに彼は気づき、自分のマヌケ振りに嫌気が差した。さてと、彼は気持ちを立て直して、これからどう彼女の連絡先をいまいる面子の口から聞きだそうかと思案し始める。電話番号はよくない。今日はバイトのはずの彼女は、どうやらパソコンにバイトの初任給と高校からの貯金をつぎ込んだらしいので、メールアドレスを聞きだそう。そのために俺もそろそろ携帯電話を持とう。仕送りの遣り繰りはもう限界だからいいかげんバイトをしないとヤバいかもな。
 あの女、ずっとこっちを見ていますね。
 隣の男がそう彼に注意を促した。ベンチの向こう側のサークルメンバー二人は、そんな男の気づきにはなんの反応も示さずなにやら馬鹿笑いを上げている。彼は男の視線に倣って、サークルの掲示板や集合ポストがあるほうを、男の肩越しに覗いた。むさ苦しい漫画サークルの男たちの後ろ、まっかな帽子を被った小柄な女がこっちを睨んで立っている。彼の背筋に、冷房の利き過ぎた校舎のなか、さらなる悪寒が走る。彼は大きなクシャミをしてしまう。
 その帽子の赤には見覚えがあった。その白皙の肌にも見覚えがあった。しかし、垢抜けない眼鏡を通しても、その女の顔には見覚えがなかった。女は目の醒めるような青いパンツに、薄手の深緑の上衣を着こなしている。まっかな帽子を被って。
 知り合い? 
 隣の男が彼に問いかける。彼は無言で、視線がぶれない程度に軽く首を横に振る。女は直立不動の姿勢を崩さずに、彼を喰いいるように見据えている。
 普通じゃないな。
 軽薄な口調で男は囁く。彼は依然沈黙を守っている。
 狂女か。
 男は顔を崩して女を嘲り笑う。彼は片時も女との視線の応酬から逃げずに、しっかりと受け止めている。
 それにしてもまっかだな、あの帽子。ワインレッドってやつかな、あの赤は。
 彼は眩暈を起こす。いまにも前に倒れ込んでしまいそうな意識の混濁のなか、彼の目は女の目と乱暴にぶつかりあいながら、純白のシャツに様変わりした女の上半身に私の霞んだ視界が切り替わる。
 よーし、わかった! 
 鼓膜に突然ハウリングする芝居の台詞のような声が響き、私は不意に声のするほうへ顔を上げてしまう。そこには8ミリカメラが三脚で固定され、レリーズを握る緑色のホーンリムの眼鏡をかけた真面目そうな若い男が、口を真一文字にして見守っている。私は咄嗟に俯き、そっぽを向いている女に目線を戻す。アクション! 二人の前の男から歯切れのいい低音が私の耳に女の耳に、そして静かな街路にも響き渡る。
 よーし、わかった! 
 次は、凍った枝のような指で握られたポケベルが姿を現す。仮名の羅列が、細長い液晶画面に増殖してゆく。風が吹き、視界を茶色に染まった毛髪が遮る。それを女の左手が、かき揚げる。誰かの怒声が聞こえる。私の声だ。女は舌打ちをする。女の主観映像はくるりと一八〇度回転して、その回る河川敷の景色を私にも体験させる。それから離れた叢の前でしゃがみ込み、なにやらリュックを捌くっている若い男に女の視点が小走りで駆け寄ってゆく。女は、小声で男に何事か伝える。
 彼女が遅れてやってくる。
 男は、手にしたまっしろな生首を女に見せる。女は、それが紙粘土だと判っていながら悲鳴を上げる。私はその悲鳴を合図に、まるでその場面の台本を読んでいる俳優が演じるかのように慌てて彼らに駆け寄る。視界がブラックアウトして、車窓に大きな雨粒が点々と降りかかる。ラジオからは、聞き覚えのある新しい時代の曲が流れる。女の声が聞こえる。女の心が見える。女はさきほどの若い男を想っている。女は幸せではない。不安な想いを抱えている。なんども引き返そうかと逡巡する。タクシードライバーが、ワイパーを作動させる。
 本降りですね。
 ドライバーは、彼女にいうでもなくいう。雨が激しく車窓を打つ。彼女の心にも激しい雨が打つ。彼女は泣いている。ドライバーは、それには気づかない。ドライバーは、雨のことを心配している。やがてドライバーも、彼女の心に降る雨のことに気づくときがくる。しかしそれは、いまではない。ここで語られているのは、飽くまで彼らのことなのだ。この雨はそのときに限れば容赦のない仕打ちだったとしても、雨滴の一粒ひとつぶに彼らのあらゆる世界をいびつに映しだしながら、必ずや慈愛をもって降り注がれる。
 よーし、わかった! 
 まっくらだ。なにも見えない。いや、俄に光明が射す。目が見開かれる。痩身に紺色のジャージの上下を着た長髪のみすぼらしい男と、水色のノースリーブと白の短パンに黒いストッキングのショートカットの女が連れ添っている。土砂降りの雨がつづいている。鉄橋下の柵には濡れたタオルがそこかしこに垂れ下がり、撮影機材や小道具があちらこちらに立てかけてある。轟音で頭上を列車が走り抜ける。振動が地面に伝わる。どうやらこれは、若い男の双眸からの風景らしい。
 よーし、わかった! 
 視界に振り上げた片手が掠り、若い男がそう大声を発する。男の視界に映る私はきょとんとした顔でこちらを見ている。まるで鏡を覗いている感覚に陥る。いまからラストシーンの撮影をしたいと思います! 私は突然、空腹に襲われる。久方ぶりの強い食欲だ。私はポケットから出したウェットティッシュで、手を懇切丁寧に拭いている。一本いっぽん指の先まで拭いている。違う。私は、ようやくある錯誤に感づく。そうだ、これは若い男の視界であって、私はあそこで所在なさげに立っている男だった。つまりはこのいたって健康的な空腹は私のそれではなく、この若い男のそれなのである。原始的欲望の一体感は恐ろしいものがある。私はこの新しい夢の世界に改めて驚愕する。
 よーし、わかった! 
 ここでいいです。
 女の声が脳裏に響く。車が止まる。あの女に、あのタクシーだ。女は支払いを済まし、車を降りて、折り畳み傘を差す。到着したことをポケベルで知らせる。激しい雨が傘の張りに音を立てる。女は土手の上をしばし歩き、遠方になにかを見つけたようで、ゆっくり土手の斜面を下ってゆく。そして、平らな河川敷を歩き、水色の鉄橋が近づいてきたあたりで雨が止む。女は傘を閉じ、小走りで私たちのいる現場に向かう。若い男が鉄橋の下で、驚きの声を上げて蹴躓くのが見える。彼は転げないように咄嗟に、前へ大きく跳躍をして、リュックの前で着地する。それから、無造作にリュックを捌くる。二人の男は気づかないが、さきほどまでポケベルで連絡を取り合った相手は、女を目視する。女は、戯れに三脚の上に載っているカメラを覗いてみる。ファインダーに、リュックからハンバーガーを取りだし、かぶりついている若い男を捉える。カット! 女は満面の笑みでそう叫ぶ。二人の男がようやく遅れてきた女を見る。
 よーし、わかった!
 巨大迷路のように書架が立ち並んでいる。床の絨毯も重厚で、厳格な雰囲気が漂うここは図書館だ。検索機で目当ての本を探す。画面に、近代国文学や現代海外文学が並ぶ。資料画面を何枚か印刷して席を立つ。広い館内を歩き回って数冊の本を手に受付にいき、複写願いをする。セルフサービスではない。複写がおわるまでの時間を潰すため、さきほどは足を向けなかったさらに奥のフロアを覗く。歴史関連の書架を何気なく眺める。姓の由来の本に手が伸びる。目次で私の姓を探す。なかなか見つからない。面倒くさいと諦めかけたところで、巻末の索引をめくってすんなり見つかる。私の名前は、ありふれている。その姓は、大陸にその起源を持つと書かれている。子供のころもっとも信頼していた友人に、このことを教えられたことがあった。その友人は私立の中学に上がって、それ以来会っていない。私は眩暈がした。眼鏡を落とした。垢抜けない眼鏡だ。アルバイトをしたら、携帯電話の前に、洒落た眼鏡をまず買わなきゃ。こんな眼鏡じゃあ、恥ずかしくって彼女の顔を見られやしない。私はさらにその本のページを繰る。兄のある友人のいたく珍しい姓も、大陸に起源をもつものだった。私は自然と顔が綻ぶ。鉄面皮のようなさきほどまでの顔がまるで嘘みたいだ。次に彼女の苗字を調べようとする。しかし、どういうわけか彼女の名前が思いだせない。彼女? 彼女とはいったい誰のことだ。彼女は私の誰だろう。彼女なんて初めから存在しない。彼女は虚構だ。彼女は二次元だ。彼女は彼女ではない。女は雨が止んでいることを三人に教える。四人で広場まで走りだす。
 よーし、わかった! 
 走っている誰のだか判然としない視界が不自然に激しく揺れる。まるで何者かに頭を揺さぶられているようだ。ブラックアウト。あまりの衝撃に目を瞑るしかない。暗闇のままで揺れる、まだ揺れる。吐き気がする。突然、眩しい光がまっくらな視界を切り裂く。私はびっくりして目を開ける。それと同期して揺れが治まる。空ではない天井が見える。ざわめきが聞こえる。どこか懐かしいざわめき。そう和気藹々とした若者たちのざわめき。これはN大の学生ホールの天井だ。仰向けの視界の心配そうないくつもの顔が安堵の表情に変わる。見知った文芸サークルの面々だ。部長、新入部員たち、おや、あのまっかな帽子の女もいる。
 大丈夫か? 
 部長が私に訊く。私の靴は脱がされ、シャツははだけ、電気コードの先の吸盤が胸板に張りついている。緊急救命装置だ。あの頭の揺れは、この電気ショックだったに違いない。私はひどく疲れており、そして眠かった。青空を背景に解放軍の兵士と看護兵が私に声かけを、励ましの言葉を、そう、すぐ救急車がくるから安心せよ、といっている。いまの私にはちゃんと聞き取れる。二人の兵士の献身的な声を。私の泥だらけの髭面が見える。手の温もりを感じる。兵士たちは、手を繋いでいる。彼らは兵士じゃあない。恋人同士だ。
 よーし、わかった!
 私は眠い。ひどく眠い。彼女の声が聞こえる。はっきりと彼女が隣の男と話しているのが聞こえる。
 コンタクトレンズ、落としちゃって、そんなに睨んでた? 
 あたし、誰だかよく判らなくて、眼鏡かけてるし、あなたのことも知らなかった。
 新入部員なの? バイトが忙しくって、さいきん部会に出られなかったから! 
 なにも聞こえない。なにも見えない。私は彼女を見たい。この垢抜けない眼鏡でいい。しっかりと彼女の顔を見たい。おや、部長の声が聞こえる。
 眼鏡、外してあげようか。
 私はそれを拒絶したい。やめてくれ、お願いだから私の目の邪魔をしないでくれ! やめてくれ、余計な気は遣わないでくれ! 私と彼女を二人っきりしてくれ。そして、私は彼女を見る。一度としてはっきりと見ていない、彼女の本当の顔をこの目で。
 枯れ木みたいな見慣れた手指で掴まれたワインボトルがインサートされ、そこからどくどくと赤ワインがその女の頭頂部へと無慈悲に注がれる。フィルムが赤く滲む。女の犬のように濡れた黒い目と私の目が、出合い頭の事故のように激しくぶつかる。血のような赤いワインに滴った彼女の顔が燃え、機械音とともに白く光って消える。
 カット!

 (率直な
 指一本に捉えおくのは、紅に染まる姉のほうの
 乱れた姿に、白い翼の純潔にも 紅が差すかと、
 幼いほうの、純情で、顔赤らめることも ない少女)[9]


 Ⅲ

 部屋はすでに綺麗に片づいていた。自由に持っていっていいと許されている彼の遺した本とCD、レコード、カセットテープ、ビデオテープが、廊下に堆く積んであったので、部屋に入る際には難儀した。春の生暖かい夜気が漂う部屋の窓際に、あの自慢の水槽が置いてある。私は、がらんとした部屋の真ん中に胡座をかいていた。そこで小一時間かけ、スタンドの灯りを頼りに彼の遺作を読んだ。SとCとは一昨年の暮れの自主映画上映会で会った以来だった。いまは一階でSの両親、その親戚の方々と通夜の御膳を食べている。私は食欲がなかった。
 彼は自殺した。まるで私の身代わりをしてくれたかのようだ。私は死にたかった。死ぬはずだった。
 彼は、N大の文学部に進学し、この春に私と同じ大学二年生になったばかりだった。小説の通り、文芸サークルにも所属していたそうだ。そこでいったいなにが彼を襲ったのか。
 そして、どう考えても私たちのことをモデルにしてこの小説が書かれていることだ。もちろん、私から見れば全般創作だ。しかし、Sは私のことを頻繁に弟に話して聞かせていたそうで、そのことがリアルに反映されている。なかには、私の心の奥までもが見透かされてしまったと思えるところもある。私と彼はあの河川敷の撮影の前に一度だけ、数分しかときをともにしなかったというのに。私は記憶を掘り起こして、彼と交わしたどんな些細な会話でもいいから探してみる。ない。熱帯魚のほかは、なにも覚えていない。
 この作中、「永遠の夢」という概念が出てくる。このあたりはぜんぶ彼の考えだろう。私がもしこの永遠の夢とやらを夢見たとすれば、彼とおそらくしたであろう会話の内容を思いだし、いやゆくゆくは彼の自殺の場面までも鮮明にすべて感じることができるのだろうか。判らない。彼はこの小説と自身の命で、私に生きる意味を訴えたかったのか。私は馬鹿だ。本当の大馬鹿者だ。 
 人気を感じ、後ろを振り向くと、喪服のSが顔を赤らめ、鴨居に手をかけ立っていた。
 ごめん。俺の部屋は汚いから、ここで読んでもらって。 
 Sは、いつもより荒っぽい言葉で私にいった。
 私はそれに答えず、原稿用紙の束をスタンドの台に載せて、よっこらしょっと立ち上がった。
 下にまだ食べるもの残ってるから。
 そう。
 欲しい本があったら好きなだけ持ち帰ってね。
 うん、ありがとう。
 私は酒くさいSと、弟の遺品で狭くなっている、電気を点けた廊下をまた苦労して通り抜け、階下に降りていった。
 あの遺品どうするの? 
 院の同僚にあげる。残りは古本屋。さっきの部屋でやったから、両親が魚のほかは早く家から出したいけど、捨てたくもないってさ。たしか、サイン本もあるよ。
 うん、それ持ってる。
 一階の居間では、Sの姿が伝染したかのようなCが、熱心に親族の故人の思い出話に聞きいっていた。彼女も院進学した。私は、その顔を改めてまじまじと眺めた。そして居間の縁を歩き、彼女の後ろに座った。Sは、台所のほうへいった。玄関からは、両親が葬儀屋を見送っている声が聞こえる。故人と海にいったという叔父の話は、淀みなくつづいていた。
 あいつ、アロハぜんぜん似合わないの。ほんと俺と血が繋がってんのかね。ははは、これは兄貴にはいわないでよ。すぐ真に受けるひとだからさ。そうそう、いっしょにかき氷を食べてさあ、あいつ舌が真緑になっちゃってえ。
 あんたのは、まっかだったじゃあない!
 すかさず隣の叔母が突っ込みを入れた。
 いいんだよ、舌は赤くて!
 と、喪服がぜんぜん似合っていない叔父が、とぼけた風に返す。緊張気味だった小さな子供たちが笑う。
 なんでもいいから話しかけてみよう。私は彼女の名前を呼ぶタイミングを、いまかいまかと計っていた。腹が減ったので、彼女に手つかずの弁当を取ってもらった。ありがとう、と私は礼をいった。叔父が一旦話を切って、懐かしいものでも見るように、弁当を頬張っている私を紅潮した顔で眺めていた。
 私は照れくさくなって、ふと棺の横、蝋燭の炎に照らされた遺影を見た。洒落た眼鏡をかけた痩せた青年だった。叔父が、急に泣きだした。Sがそれを聞きつけ慌てて戻ってきた。その後ろから両親が新しいお酒を持ってやってくる。
 おいおい、泣くんじゃあないよ。しんみりするのはなしな。あいつが天国で哀しむだろ。あいつ、おまえのこと慕ってたんだよ。また、海いきたいってさ。
 Sの父親は落涙を必死で堪え、酒を呷る。
 いくさ。何度だっていくさ。俺が何遍でも何遍でも、あいつを連れてってやるさ! 
 叔父は肩を怒らせ父親を指さし、口角沫を飛ばす。
 さあさあ、今日は泣きましょう。大いに泣き明かしましょう。それが供養っていうものですよ。
 Sの母親が持っている空のお盆ごと、その場にへたり込んでいう。
 Sは、酒を抱えて表情を崩さずに私の側にやってきて、ビールを注いでくれた。私は、ありがとうといった。
 弟は海を見ているよ。
 彼は、囁くようにそういって微笑んでみせた。私は軽く頷き、眼鏡のずれを直した。
 僕も書いてみるよ、小説。
 私は思ってもみないことを口走った。Cがそれを聞いて勢いよく振り返った。私と彼女の目がぶつかりあう。そうだ、私は小説を書こう。
 どんなものが書けるかは、まったく判らないけど。でも書いてみたい。どうしてもやってみたい。
 SとCは互いの顔を見合わせ、意地悪そうに笑った。
 わたしもなにか書いてみたいなって。
 そうそう俺もなんだ。院では論文ばっかりでさ。
 二人は終始笑顔で私にいった。
 兄としては弟に負けてはいられないからね。
 わたしも弟さんのを読んで、なんだかお尻に火がついちゃって。わたしは詩なんだけど。
 彼女は読んだのか、あれを。恥ずかしい。
 僕も、もしかしたら二人と同じかもしれない。いまはまだ自分の気持ちが整理できないんだけど。
 いいよ、いいよ、自己分析はやめようぜ。とにかく、俺たちで文学を書いて、それからはなんだな。ええと、どうするか。
 いいじゃあない、三人で読めば。
 そうだな。みんなで読んで、それで語り合って、それからまた書いて。
 ふふ。
 それにはまず本を読まないとな。弟はいろんなジャンルを読んでたらしいから。
 本だけじゃあなく、映画や音楽もだよ。
 映画はたぶんもう撮らないだろうな。
 そうだね。
 あの山を見れば誰でも驚くわね。
 そうだ、せっかくだからあの山をいまから見にいかない? 
 そうね、酔い醒ましにね。
 そりゃあ、遭難しちゃうよ。
 あはは。よし、いこういこう。俺の部屋にちょっとくらいもっていっても親は気づかないだろうな。とにかく、弁当早く食べちゃいな。
 Sはだいぶ酔ったみたいで、呂律の回らない口調で弟を急かすようにいった。私は、弁当をかっこむ。私と彼女もけっこう飲んだ。
 我々はよろよろと立ち上がり、二階への階段を、千鳥足のSを先頭に一段ずつ一段ずつゆっくり上った。前にいるCの後ろ姿をぼうっと見ながら私は、小説の書きだしを考える。なにも思い浮かばない。いまさら、三角関係は書けないし。いくら鈍感な私でも、ようやく彼らが付き合っていることに気づいたから。二階に着き、何段もの平積みを崩して物色していると、階下から親たちの合唱が聞こえてきた。三人は顔を見合わせ、頭を振り、知らないなあ! と声を合わせた。そして負けじと、我々は我々の歌を歌う。おかしなほど音程が上下ともにずれている。
 廊下の奥、水槽の前で原稿用紙が仄白く光っていた。

(2018)

引用文献一覧

[1]カフカ「ある戦いの描写」(『変身』収録・角川文庫クラシックス・中井正文訳)

[2]『新訂 梁塵秘抄』(岩波文庫・佐佐木信綱 校訂)

[3]エドガー・アラン・ポー『大鴉』(沖積舎・日夏耿之介訳)

[4]ジャン=リュック・ゴダール『映画史(全)』(ちくま学芸文庫・奥村昭夫訳)

[5]『春と修羅』(『宮沢賢治全集Ⅰ』収録・ちくま文庫)

[6]金井美恵子『柔らかい土をふんで、』(河出文庫)

[7]大江健三郎『個人的な体験』(新潮文庫)

[8]フィッシュマンズ「バックビートにのっかって」(『宇宙 日本 世田谷』収録・ユニバーサル・ミュージック)

[9]「半獣神の午後」(『マラルメ詩集』収録・岩波文庫・渡辺守章訳)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?