日記(26)

2020年4月15日

 私は凡ての人間を、毎日々々恥を掻く為に生れてきたものだとさえ考える事もあるのだから、変な字を他に送ってやる位の所作は、敢てしようと思えば、遣れないとも限らないのである。
(夏目漱石『硝子戸の中』新潮文庫・36頁)

 今日起きたのも昼過ぎだった。sakanaction「sakanaction」を聴きながら焼きそばを食べる。外出。電車に乗る。乗客は田舎とはいえ疎らだ。二駅で降りる。松坂屋の前で弁当を売っている。威勢のよい売り子が声を張り上げている。疎らな人々が何食わぬ顔で通り過ぎてゆく。図書館は臨時休館中なので銀行に寄り書店へ。マルクス・ガブリエルとエマニュエル・トッドの新書を買う。いまのところ失職中でも家業や貯蓄で細々と暮らしていけているが将来が漠然と不安である。住まい屋は築50年だ。古いだけあってそれなりに広いが税金がかかるし本で溢れかえっているので気が向いたらいつも本の整理をしている。単行本と文庫の重複が日本現代文学で30冊くらいあった。どこかで売りたい。帰宅してschostakowitsch「symphonie no.10」とlinkin park「one more light」を流す。Twitterをやりつつ地元の銘菓「クラウン最中」を食す。牛乳と豆乳にコーヒーを混ぜてレンジで温めて飲む。革命について考える。フランス革命(1789)、明治維新(1868)、そして1968年。夏目漱石が生まれたのは1867年。自分が中2のときにフランス革命二百周年。明治維新百周年に川端のノーベル文学賞受賞。漱石ー川端ー大江。1994年について考える。大江のノーベル文学賞受賞。核と基地への想像力。世界の中の日本。世界の特異点としてのそれぞれの国。それぞれの時代、歴史は連綿と繋累している。個人と個人もそうだろう。マクロとミクロに普遍性はあるのか。sakanaction「september」が終わった。 

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