開業のご挨拶

お世話になっております。
早いものでサークルを作ってから19年の歳月が経ちました。このたび開業の運びとなったことを改めてご報告させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
私事で恐縮ですがしばらく昔話にお付き合いください。一般的にインターネットは情報の収集が主な用途でしょう。とはいえ見ず知らずの人間のプロフィールを垣間見ることができる稀有なツールでもあると思います。それは文学が担うべきものでもありました。インターネットと文学の親和性は案外高いのではないでしょうか。
ではひとまずは私の学生時代からお話を始めようと思います。「青春コンプレックス」。私の好きな言葉です。
東京は千代田区のビル清掃のアルバイトと西神田の通信制大学での学業の日々は2002年7月に終止符が打たれました。地元に帰って鬱々した日々を過ごしながら、文系の典型的なイグジットで文芸誌の新人賞へ投稿を始めました。ですが偏差値40台の4流大学中退の私は応募書式すらまともに守れず落選しました。ですがこれもありがちな習性でプライドだけは高い。新人賞スターシステムに初手から疑問を抱きました。
そこで同人誌というわけです。同人サークル設立の2004年は文芸誌を毎月購読していました。当時は『文學界』で「同人雑誌評」の連載があり、『群像』で文学フリマの広告が掲載され、朝日新聞夕刊「東海の文芸」で清水良典が評者を務めていました。古くは芥川龍之介らの『新思潮』や太宰治の『文芸細胞』、内向の世代の『白描』などが有名でしょうか。私はそれらに一縷の望みを託したのです。
日本文学の伝統に私小説があります。大塚英志は『キャラクター小説の作り方』で私小説=自分語りの用法を一旦括弧に入れて、キャラクターと設定の構成によって小説を書くことを推奨しました。槍玉に上がるのは田山花袋です。田山は一人称カメラの発明者だといいます。そのカメラは自己と他者ともに向けられるわけです。柳美里や車谷長吉のモデル問題の訴訟事件は田山の一人称カメラが他者へ向けられたことに端を発したのでしょう。
2010年代からポリコレ全盛の時代となりました。私はこの潮流と文学の衰退を重ねて見てしまいます。SFが元気なのもポリコレの影響が少なからずあるように思います。話の脱線の意図がわかりづらかったですね。つまりはとくに戦後より同人誌に掲載されてきた小説はおしなべて私小説が多いという話です。もちろん若い世代は違う傾向があります。ライトノベルや大塚のキャラクター小説が意識せずとも影響していると邪推します。私は1970年代生まれの比較的古い世代に入ります。そのためか自作は私小説の色合いが濃くなっています。なかには新世代でも私小説を書く人はいます。とはいえ同人誌の未来を展望した場合私小説は衰退してゆくことでしょう。
私はつねづね疑問に思うのですが、私小説=自分語りというクリシェは大江健三郎などを念頭に置いた場合有効なのでしょうか。丸谷才一は大江を私小説作家と見なしました。ですが自身の体験から筆を起こした村上春樹を物語作家とはレッテルづけしかねるように、大江は「私」を書いておらず、広義の「私たち」を書く作家だと思います。私は大江の代表作を数多く読みこぼしており、十全と大江を語れるわけではありません。ですが『個人的な体験』『洪水はわが魂に及び』『人生の親戚』の珠玉の長篇、『取り替え子』『水死』『晩年様式集』のレイトワークを読むにつけ、自分語り(自意識?)とは離れた人間存在の記憶の襞(無意識?)に触れた作家だろうと受け取っています。
大塚に戻って考えると『「おたく」の精神史』では以下のように露悪的なSNSを批判しています。

web上のプラットフォームでは「ユーザー」が自身の実存を「エコシステム」に切り売りし、あるいは無償で提供する仕組みがつくられている。「おたく文化的エコシステム」はこのような人間の実存それ自体が切り売りされ、コンテンツ化される社会の「雛形」としてある、と考えるべきだ。
(星海社新書、474頁)

大塚の見解は大江などの私小説に対して有用性があるのでしょうか。暴露的・露悪的な文学やSNSを嫌悪する人は多数派だと思います。とはいえ素人の晒しや芸能人のスキャンダルは日常的に祭りになっています。
翻って同人誌の私小説は大塚の「切り売り」への対抗にならないかと浅墓ながら提起したいです。「実存の切り売り」の自己開示ではなく「絶対的に区分される光景」(ドゥルーズ『意味の論理学』)の自他表出として。
なんだか学生時代の話が至極雑な文学談義になってしまいました。疲れてきたので今回はこれで筆を擱きたいと思います。ともかく一廉の「ひとり出版社」になれるよう日々精進してまいります。失礼いたしました。

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