村積日記(2)
2021年1月2日
あけましておめでとうございます。新年もよろしくお願いします。
元旦は昼からブックオフウルトラセールに行くなど活動的に過ごせたが、今日はその反動か終日家に籠もりジャズを聴いたり本を読んだりしていた。いまだ初詣もしないまま、栗きんとんや六花亭のケーキをパクつく暴飲暴食の正月になってしまっていて甚だよろしくない。
とはいえ運送業のみなさんのお陰で大晦日に注文した小島信夫『殉教・微笑』(講談社文芸文庫)が午後に届いていた。ありがたいことだ。社会的インフラの安定は市井の人々によって下支えされている。その恩恵をありあまるほど受けている身としては、読書や創作活動などで社会に少しでも恩返ししたいものだが、これは致命的な思い上がりだろうか。個人主義的ブルジョワ趣味は断固拒否したいが社会適応もできそうにないのだけれど。
去年の暮れから小島の『アメリカン・スクール』(新潮文庫)に取り組んでいる。もうすぐ読み終わりそうだ。最後に残ったのは冒頭の「汽車の中」。ゴーゴリみたいな滑稽小説だ。ほかには「燕京大学部隊」「小銃」「星」「微笑」「アメリカン・スクール」「馬」「鬼」が収録されている。解説は江藤淳と保坂和志。なかでも印象的だったのは末尾の「鬼」。川小説である。ボルヘスやホーザ、キローガのような南米の匂いすら感じた。来月の書簡で小島と大江を絡め「脱生産社会」とアメリカについて書いてみたい。
以前からインタビュー、書簡、エッセイなどの所謂「読み物」の魅力とは何だろうかと考える。noteやTwitterなどのSNSもその範疇だろう。これらは「おしゃべり」といえる。たとえば佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』(河出書房新社)、小島信夫『書簡文学論』(水声社)、保坂和志『試行錯誤に漂う』(みすず書房)などもそうだろう。好きな本だがどれも読みさしである。佐々木には命令の忌避、小島には『女流』と『菅野満子の手紙』への関心、保坂にはデレク・ベイリーの衝撃という知見を得た。このような雑な知識は無駄なようで「たゆたう」豊かさでもあると思う。本は完読するに越したことはないが適当に触れあうすれ違うのも大切なことではないか。
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