日記(23)

2020年4月8日

 今日は昼前に起きてCharlie Parkerを聴き公園に行った。四阿のベンチに腰掛け、ジーパンのヒップポケットに捻り入れていた漱石『硝子戸の中』を20頁ほど読んだ。それからコロナ禍で足が遠のいている行きつけの喫茶店が心配になり帰りしな様子を窺った。営業時間を短縮して15時までとしていた。換気もしていた。自分が着いたのは14時15分くらいだった。ちょっと迷ったがけっこうお客さんがいたのでそのまま帰宅した。
 夕方、味噌ラーメンを食べる。食後、漱石の続きを10頁ほど読む。なんだか疲れてアナログプレイヤーでthe brilliant green「Los Angeles」を流す。”貸していた小説なら燃やして 切実な想いと一緒に”(「サヨナラ summer is over」)。次はCORNELIUS「POINT」。この2枚、期せずして2001年リリースだった。前者は9・11以前、後者は9・11以降。浅草の下宿でも繰りかえし繰りかえし聴いたものだ。
 ところで1995年の震災といえばこちらにも心に留まる2枚がある。それはまたもやCORNELIUSの「69/96」と電気グルーヴの「虹」だ。当時はまだ実家にいた。前者は地元の駅前のレコード屋で買い、後者は名古屋・大須の中古レコード屋で買ったんだと思う。
 また2001年に戻れば宇多田ヒカル「Distance」も忘れがたい。一曲目と二曲目はテンションが否応なしに上がる。ちなみに椎名林檎の「ギプス」「罪と罰」の同時リリースがいまから20年前の2000年だったと調べてわかりほとほと脱力してしまう。(思い出話ばかりですみません)。とはいえ、このブログのアイコンでもあるサカナクション「kikUU-iki」ですら2010年のリリースである。
 そして今年、2020年は東京事変の再始動。楽しみですね。
 さて、音楽にも飽きてさきほどコルタサル「遙かな女 ──アリーナ・レエスの日記」を読み終えた。残るは「バス」「偏頭痛」「キルケ」の三篇。どうしようもなく文化左翼のダメブログになっているけどコロナで職探しの気力を失い、どうしようもない状態でいます。生存には補償を。切実な権利でしょう。 

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