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映画誌創刊号の趣旨



創刊号のコンセプト草稿

 
 本誌創刊号は特集「戦争映画」。いまなぜ「戦争映画」なのか。
 二〇二三年は戦中・戦後をあつかう『君たちはどう生きるか』『ゴジラ-0.1』『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』『窓ぎわのトットちゃん』『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』などが公開された。十二月八日公開の末尾作品は「1945年、第二次大戦末期の日本にタイムスリップした現代の女子中学生・加納百合と特攻隊員の青年・佐久間彰との時空を超えた切ない恋の物語が描かれる」(Wikipedia)筋書きで「泣ける映画」として若年層を動員した。
 二〇二四年アカデミー賞は『オッペンハイマー』七冠受賞、『君たちはどう生きるか』長編アニメ映画賞受賞、『ゴジラ-0.1』視覚効果賞受賞と「戦争映画」は破竹の勢いだ。
 Google検索「「普通の人々」目線の反戦映画」の邦画は『ひろしま』(一九五三)、『キャタピラー』(二〇一〇)、『野火』(二〇一四)、『おかあさんの木』(二〇一五)、『この世界の片隅に』(二〇一六)、『あの日のオルガン』(二〇一九)、『ラーゲリより愛を込めて』(二〇二二)で旧作も充実している。
 本誌は「戦争映画」活況下で『PERFECT DAYS』を評価しよう。本作は第77回カンヌ国際映画祭で役所広司最優秀男優賞受賞。監督のヴィム・ヴェンダースは一九四五年デュッセルフドルフ生まれ。第二次世界大戦でドイツは日本とイタリアと共に敗戦国である。英米中心の「戦争映画」から遠く離れて映画史に一石を投じたい。

 グリフィスは自分の演出した戦闘場面と比べて、現実の第一次大戦の戦闘がきわめて退屈なものであることを知らされ、驚いた。同じ感想は、おそらく『地獄の黙示録』のコッポラの抱いたところでもあろう。
 惨劇は映画化されることによって、よりいっそう惨劇となる。そして映画館の椅子に縛りつけられた観客は、スクリーンに投影された光景を前にして、心的エネルギーの拡散をはたさず、知覚に過剰なエネルギー備給を行なうことで、よりいっそう強烈な体験をする。
 リュミエールの時代の観客が体験しえた、形而上的な恐怖の時代は、はるかに遠いものとなった。今日では恐怖はそのたびごとに識閾を上げ、観客はもはやほとんど無感動に到達しようとしている。

四方田犬彦『映画はもうすぐ百歳になる』p25-26


既刊『ジャーナル・リュミエール』創刊準備号


『ジャーナル・リュミエール』創刊準備号(2023)



巻頭言

映像の海の羅針盤として

『ジャーナル・リュミエール』創刊準備号に寄せて 

沖鳥灯

 一九九〇年代末から二〇〇〇年代初頭の私は、アテネ・フランセ文化センター、国立近代美術館付属フィルムセンター(京橋)、新文芸座、ACT・SEIGEI‐THEATER、新宿武蔵野館、新宿昭和館、テアトル新宿、法政大学学生会館、東京日仏学院、三百人劇場、草月ホール、亀有名画座、自由が丘武蔵野館、中野武蔵野ホール、BOX東中野、ラピュタ阿佐ヶ谷、アールコリン、大隈記念講堂小講堂、早稲田松竹、ACTミニシアター、シネ・ヴィヴァン・六本木、俳優座トーキーナイト、アップリンク・ファクトリー、シネマライズ、ユーロスペース、シネセゾン渋谷、シネ・アミューズ イースト/ウエスト、パンテオン渋谷、三軒茶屋シネマ、TOLLYWOOD、銀座シネパトス、シネスイッチ銀座、シャンテ・シネ、大井武蔵野館、キネカ大森、川崎国際、横浜オスカー、横浜日劇などで開演前の座席に深々と腰かけ、薄暗い照明の下、ボロボロの文庫本を読みふける凡庸な貧乏学生のひとりだった。

 映像とテクストの往還。映画と本の対話のほかは日常的な会話を控え、沈黙の生活を続けた。端的に絶望の淵にいた。が、いま振り返ればなんと魅惑的な日々であったろう。映像とテクストの邂逅は、映画評論の淀川長治、蓮實重彦、四方田犬彦、ジル・ドゥルーズから小説のマヌエル・プイグ、阿部和重、中原昌也という変遷を辿った。映画と本に青春のすべてを燃やした。その後ご多分にもれずひとりの凡庸な映画青年は大人の階段を踏み外し、人生の挫折を味わった。帰郷し、二十年の時が流れた。ひょんなことから映画誌を創刊することになった。

 昭和天皇と同じ誕生日のフランス文学者で映画評論家の蓮實重彦責任編集『季刊リュミエール』(筑摩書房)は一九八五年秋に創刊された。本誌は『季刊リュミエール』の後塵を拝し、映画館やカフェで気軽に読める「映画新聞」を目指す。

 蓮實は「趣味の良さ」を演出するタイプの映画評論家だろう。対して中原昌也は「悪趣味」を掲げて一九九〇年代に蓮實のカウンターたらんとした。二〇〇〇年以降、映画は教養映画と大衆映画に二分された。そして近年のネット配信サービスにより映画は新時代へ突入した。

 本誌は映像氾濫の時勢において「リュミエールからアンダーグラウンドまで」と宣誓しよう。映画の起源「光」のリュミエールと地下劇場のアンダーグラウンドを衝突させること。そもそも映画(シネマトグラフ)の誕生は、パリはグラン・キャフェの地下「インドの間」で「リュミエール工場の出口」「列車の到着」「水をかけられた撒水夫」などが一般上映されたことから始まった。一八九五年十二月二十八日のことだ。リュミエール兄弟(兄オーギュスト一八六二─一九五四、弟ルイ一八六四─一九四八)はピカソ、マネ、ルノワール、プルースト、バタイユ、ジョイス、ウルフ、ヘミングウェイ、スタイン、カフカ、フロイト、アインシュタイン、マルクス、ニーチェ、ウィトゲンシュタイン、夏目漱石、志賀直哉、岡本太郎らと同時代人だ。新生芸術の黎明期と古典芸術の爛熟期。

 私は名古屋大学映画研究会(一九九四─一九九七)、イメージフォーラム付属映像研究所(一九九七─一九九八)、日本大学法学部映画研究会(一九九九─二〇〇三)に所属していた。PFFやイメージフォーラム・フェスティバルに憧れて自主映画・個人映画を制作した。主だった受賞歴は皆無であるが石井聰亙、黒沢清、塚本晋也らの自主映画を始め、無数の学生映画を鑑賞した。それは出身地の愛知と転居先の東京に留まらず京都にまで及んだ。古典的名画からインディペンデント映画までを包含すること。反権威・超時代の映画鑑賞を同時的に行うこと。本誌は読者に無視される覚悟をもって映像の大海へと錨を揚げる。

 二〇二二年は「映画最悪年」として語り継がれるだろう。青山真治、ジャン=リュック・ゴダール、大森一樹、ジャン=マリー・ストローブ、雀洋一、吉田喜重らが亡くなったのだから。危機感を抱いた私は以前より興味を持っていた関西と沖縄の映画好きの学生に共同で映画誌を作らないかと打診した。三人は快諾してくれた。だが映画誌を作るのは弊サークルの文芸同人誌とは勝手が違う。慎重な準備期間が必要と考えた。本誌は創刊準備号として東海・関西・沖縄エリアの小グループで二〇二三年九月刊行(イラストレーターは関東甲信越エリア)。運営が軌道に乗れば寄稿者と販路を拡大方針である。

 『季刊リュミエール』創刊号の特集は「73年の世代 ヴェンダース エリセ シュミット イーストウッド」。ジョン・フォードが亡くなった一九七三年に頭角を現した映画作家たちを取り上げた。彼らは一九五九年パリのヌーヴェル・ヴァーグの作家たちのように「一つの目的を共有しつつ結成されたグループではない。スイスとか、ギリシャとか、スペインとか、これまでの映画産業の進展に多くの貢献を示したとはとても思えない土地で、まったく散発的に、しかもおのれの試みの未来を深く確信することもなく起こった孤独な作業がこの世代を決定づけている」と四十九歳の蓮實は述べた。

 本誌メンバーの居住地である、愛知、京都、沖縄はスイス、ギリシャ、スペインのような映画的に辺境の場所とは言い難いのかもしれない。だがツイッター上の希薄なつながりでおよそ従来の「同人」とは異なるメンバーで構成された「一つの目的を共有しつつ結成されたグループではない」同人誌とは「73年の世代」のような「散発的」で「孤独な作業」を余儀なくされるものだろう。

 その世代から五十年を隔てた二〇二三年。本誌は「ゴダールの世代」を小特集する。巨匠ゴダールの影響を受けた映画監督としてモーリス・ピアラ、青山真治、黒沢清、北野武を論じる。また京都おもちゃ映画ミュージアム館長のインタビューを掲載。次号からも東西、古今、硬軟、性差を問わず自由な映画鑑賞を編集方針としたい。

 映画と自己を重ね合わせることは両者の転落をもたらす。だが融合による破裂の行為こそが「時代閉塞の現状」(石川琢木)を打ち破る力ではないか。映画は「鏡=脳髄の遮蔽幕=イマージュ」である。ナルシシズムの突破は鏡に亀裂を生じさせることだ。まず鏡へ自己投影し、対象分析をほどこし、まなざしの熱で自己とフィルムを灰燼に帰すこと。映画の内的焼尽こそ忘我で社会を開く道であろう。本誌は映画を焼き尽くすボーダレスな羅針盤でありたい。そのためには暗闇の光を見つめ、映像の星座と自己の倫理を照らし合わせなければならない。

 なお創刊号は二〇二四年九月の文学フリマ大阪で初売りの計画である。今後ともよろしくお願い申し上げる。

ジャーナル・リュミエール 創刊準備号(第二版) - メルキド出版 - BOOTH


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