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大江健三郎の話

二〇二二年十月十八日

先日五十枚程の短篇を脱稿した。来月二十日刊行予定の同人誌の目処が立った。今日はささやかながらデパートでかけそばを食べて慰労とした。書店に寄って『小説すばる』を探す。『正論』『WILL』『HANADA』ばかりで目当てのものはなかった。休憩所でカフェオレをがぶ飲みした。滝本竜彦『超人計画』を八十四頁まで読んだ。スーパーで買い出しをした。帰宅後ミスチルやアジカンを流した。夕飯はカレーを食べた。食後ダフト・パンクを流した。今年刊行のサークルの同人誌を眺めた。取り留めのない雑文を書いてみようと思った。
年末に広島旅行の計画を立てた。NHKスペシャル『響きあう父と子・大江健三郎と息子 光の30年』というドキュメンタリーを観たからだ。本放送の一九九四年九月十八日に鑑賞の番組をYouTubeで先月末に再見したというわけだ。光は広島の演奏会で披露する曲を作り、健三郎は『燃えあがる緑の木』の脱稿を試みる。印象的な場面は一九六三年の原爆慰霊祭で「光」と書いて灯ろう流しをしたこと。息子はまだ生きているのにも拘わらずと健三郎は自嘲していた。番組に触発され光のCDを聴きなおした。「Mのレクイエム」と「広島のレクイエム」が耳に残った。とはいえ資金難から広島行きは断念した。来夏あたりにお金を貯めて行こう。
昨年の初春に同人誌の企画で大江健三郎『芽むしり仔撃ち』読書会を行った。その記事を読み返した。事細かい感想の嵐に眩暈を覚えた。よくここまで読み合ったものだと過去のメンバーたちに驚いた。記録に残すことは悪いことではない。もう同人誌は絶版だがWebではいまでも読める。興味があれば、noteで「どくしょびより」と検索願いたい。
以前ツイートしたが、私が大江健三郎を初めてリアルで見たのは二〇〇〇年六月十八日の千駄ヶ谷の津田ホールにおいてだ。大江は前日に『取り替え子』の第一稿を書き終えていた。私はイベント後のサイン会で並ばなかった。当時大して大江を読んでいなくて気後れしたのだ。中上健次における重松清とは別種の屈託があったというわけだ。
二〇〇七年五月十八日。第一回大江健三郎賞の公開対談を観覧した。受賞者は長嶋有だった。大江賞は二〇一二年の第六回(綿矢りさ受賞)まで毎年足繁く通った。大江はユーモアと毒舌を交え、会場を沸かした。どの対談かは失念したが、真面目な話では、たびたび報道されるような加害者の読書遍歴ではなく、むしろ被害者の読んでいた本を知りたいと言っていた。ほかの話題では『砂の女』『白い城』『酒国』などを推薦した。最後の参加から早いもので十年になる。大江の近況を聞き及ぶと甚だ感慨深い。
大江の四方山話になってしまった。個人的な回想をお許し願いたい。年末まで暇なので気が向けば徒然と日記を書き連ねるつもりだ。よろしくお願い申し上げる。

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