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『マジカント5号』東北/記憶 序論冒頭

2024年5月19日文学フリマ東京38販売予定
『マジカント5号』東北/記憶 序論冒頭
沖鳥灯

かの過ぎ去った悲しく、また取りとめのない青春
魯迅『野草』

本誌は東北と記憶で〈公〉と〈私〉が〈共〉になる契機を探ろう。ローカルな文学は回想法により強度を増し、「ひとつの日本」の呪縛を解く。従来のオリエンタリズムから国際と地方の境界に新しい線を引く。ゲーテの画一的な世界文学に抗い「いくつもの東北」(赤坂憲雄)でローカルと内的領域によって交換価値の商品を使用価値の作品に再建しよう。東北はローカルに留まらず、記憶は内的領域で自己完結しない。ローカルと内的領域を世界と〈共〉にする文学。
私と文学の出合いは小学時代のジュール・ヴェルヌ『地底旅行』(一八六四)とコナン・ドイル『失われた世界』(一九一二)だった。高校で読んだ魯迅は『地底旅行』の翻訳を学生時代に行っている。魯迅は一九〇二年に国費留学で日本へ渡った。一九〇四年、仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)入学。後年魯迅と大江健三郎の深甚な影響関係を知った。魯迅は好きだが高校の自分はむしろ大江健三郎が苦手だった。蓮實重彦『表層批評宣言』(一九八五)のあとがきで「現代日本のもっともすぐれた小説家」と形容されて知った大江健三郎らしき作家は「目次に蓮實重彦の名前が印刷されているのを見ると、その雑誌を即座にくず籠に放りこんでしまう」と記されていた。さらに彼の「破壊者ウルトラマン」の言説に違和感を覚えた。十九歳で駅前の古書店で購った『見るまえに跳べ』(一九七四)の表題作とデビュー作を読んだ。難解さと時代錯誤な感覚を抱いた。
ところで私のいとこは六〇年代生まれで筒井康隆の読者。オタク第一世代だ。東北大学理学部で学び、曾祖母の葬儀の際、宇宙飛行士になりたいと言っていた。現在は二児の父として一般企業の勤労者である。ほかに縁戚では樺太庁の役人がいた。祖母の自慢だった。そんな祖母が嫌いな私は学も職もない。とはいえ同人誌主宰は二十年持続している。さて、そのほかで私の東北にまつわる印象的な名前は、石ノ森章太郎、大友克洋、宮澤賢治、ますむらひろし、後藤俊夫、大和屋竺、太宰治、水木しげる、石川さゆり。
詳述していこう。
(以下本誌)
 

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