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社会学レコード

2024年6月8日よく晴れた土曜日に僕は中岡崎駅で下車し、シビコ岡崎店の正文館にてしこたま書籍を購入した。宇野重規、Qアノンの本や大澤聡の記事がそれだ。だらだら来た道を遡行、駅前のベンチに座り、Twitterのスペースで通話した。関東のある人がひょんなことから大学院社会人入学の話を振った。僕は以前よりアカデミズム批判を繰り返しツイートしていた。ところで今年知り合ったアカウントでアカデミズム批判のセクショニストがいて、かつてのような階級闘争の兆しだと思った。その人は壱村さんという「批評家」で、関東のある人と僕は学歴コンプレックスがアカデミズム批判の正体であり、みずからアカデミシャン志向になることが、憎悪の袋小路から脱け出せる契機になると冗談を飛ばしあった。が、その冗談はみずからの心の襞へ及んだ。引き続き関東のある人に大学院社会人入学は大卒資格と外国語が不要な専攻もあることを教わり、俄然やる気が湧いた。帰宅し、気まぐれなネットサーフィンである大学院へ辿り着いた。社会学でひときわ気になる教授がいた。翌日とりあえず英語学習をし始めたが、募集要項を確認して外国語試験が免除で入試は研究計画書の試問のみの専攻だと知った。夜な夜なスペースで壱村さんやミスターさんという方と雑談を繰り返した。社会学の興味は増す一方で今日はミスターさん推薦の富永健一『社会学講義』を読み始めた。富永曰く社会は「複数の人びとの集まりが、一定の条件をみたすものとして定義されねばならない」。長らく漫然と読書してきた。50歳を前にして、複数性に「一定の条件」が必要だと思う。まだ曖昧模糊とした欲望だが、社会学を学ぶことはマス・コミュニケーションのような一方通行の自我形成に相互理解(コミュニケーション)の穿ちを付与するものと希望している。

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