村積日記(6)

2021年5月25日

 最近は早朝寝て正午過ぎに起きる生活リズムだ。月曜は『中日新聞』の「中部の文芸」掲載日だが夕方に晩ご飯の買い出しに行った際、買い忘れてしまった。来週は必ず手に入れることにしたい。母が狭窄症で難儀しているので家事の代行をなんとなくするようになってきた。このままスムーズに生活の基盤を移行できればよい。自分も様々な持病を抱えての生活を実家で二十年ほど続けているとマンネリズムに陥るものだ。その解決策というか打開策として絶対的な必要に駆られ本を読んだり映画を観たり音楽を聴いたりしてきた。だが享受するだけではあきたらず創作の真似事は三十年前ぐらいからするようになったわけだが東京に出て実家戻りになっての二十年間の創作はより真剣に取り組んできたつもりだ。とはいえ元来まぬけ性であることから著しい成果は上がっていない。先日、同人誌を二点作り、文学フリマと通販で合わせて四十冊ほど売れたのは正直嬉しかったが内容的にはまだまだ諸手を挙げて満足できるものではないだろう。それは形式的な問題点のほうが比重が高いと思う。レイアウト、組版、校正など。表紙デザインやコンテンツには充分満足している。もちろんそれぞれの実作者にもやり残したことが大いにあるだろう。そして関わっている人同士のコミュニケーションや意思確認などはどなたも遠隔地にお住まいなので難しい。ツイッターやディスコードなどを活用して情報交換や議論を活発にしてゆくしか手だてがないのはもどかしい限りだ。文学フリマ名古屋があればいくぶん楽に交流を見いだせそうだがそのような動きは寡聞にして知らない。自分は三河住みなので名古屋での開催に名乗りは上げにくいのでこれもまたもどかしい。新しい動きを待つしかなさそうだ。また起業の話題が出たがいまはむしろ「啓蒙と発見」の時期だと思う。理念や志の錬成も必要だろう。ところで先日誕生日を迎えた。四十六歳になった。高校時分に「五十歳で死ぬ」と広言していた。宣言通りなら余命四年だ。その間に長い小説を書いてみたい。だがこれからの一、二年は同人誌で短篇をいくつかその習作として書くことになるだろう。できれば宣言を覆したいので「自分は百歳まで生きる」と無責任な予言を書き記して今日の終わりとする。


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