日記(31)

2020年5月4日

 boa「DUVET」が流れている。韓国のboaではない。「lain」のほうだ。さきほどまで西野七瀬「ひとりよがり」を聴いていた。土曜日、母が庭で転倒した。救急車を呼ぶ騒ぎになった。不幸中の幸いで大事にはいたらなかった。72歳。いろいろと今後の来し方を考えた。古井由吉『この道』はけっきょく2篇しか読めなかった。今日は昼下がりに起き、醤油ラーメンを食べ、公園に散歩に出かけた。帰宅後、イチゴを食べる。カミュ/サルトルほか『革命か反抗かーカミュ=サルトル論争ー』(佐藤朔訳・新潮文庫)を読む。まずは、フランシス・ジャンソン「A・カミュ あるいは反抗心」から。ここではカミュ『反抗的人間』を端緒にカミュの作品について語られる。まだ途中だが、「写実的芸術家」と「形式的芸術家」というカミュが論じる対照的な概念に惹かれる。前者は「内容が形式をはみだし」、後者は「形式が内容を押しつぶしている」とされる。ジャンソンはこの両者を批判するカミュに対し、カミュこそ「形式的芸術家」であると喝破する。その点については留保するとして自分はこれを日本現代文学に置き換えるのなら、写実的芸術家の代表格に保坂和志を、形式的芸術家に阿部和重を当てたいと思った。詳しいことはこれからの批評文にでも書いてみたい。さて、弊誌『マジカント3号』が出た。文学フリマ中止のため部数は伸びないだろう。しかし他者に読まれる過程を通じてしか成長なり発展的解消はない。現下、経済的困窮に陥っている方には届かないのかもしれない。サルトル「アフリカの飢える子供たちに文学はあまりにも無力だ」。そうではないと自分は考える。文学はブルジョアの愉しみではない。火薬だ。無暴力革命のための。装備を整えるには資金がいる。身銭を切るしかないのか。補償が急がれる。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?