序文(下書き)
平成文学全集
序文 昭和のおわりと平成のはじまり──間違いだらけの文学史を求めて
沖鳥灯
昭和天皇崩御、ベルリンの壁崩壊、湾岸戦争、バブル崩壊、ソビエト連邦解体、EU誕生、大江健三郎ノーベル文学賞受賞、地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災。1989年1月8日の昭和から平成への改元後の数年間は「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマ)と謳われたように激動の時代だった。
昭和と平成の転換ならびに昭和文学の終わりと平成文学の始まりについて、令和4年の現在に語りえることはなんであろうか。そもそも元号という区切りに果たして意味はあるのか。これは難しい問題なので本稿では措く。平成の精神という仰々しいことは語れそうにないので個人と読書の「歴史」の話をしたい。
とはいえ所謂「平成文学」の概観を提示する試みが本書の存在意義。そのためには平成以前の文学を概略する必要があるだろう。
明治以前の和歌や朝廷文学、中世・近世文学は古文である。日本近代文学は明治に開花した。明治は古文・漢語文化の色濃い旧字・旧仮名遣いであり現代人は、漱石、芥川、太宰、谷崎、川端、三島らを新字・新仮名遣いで読み下している。生まれてさえいない時代を知るために教科書や文学賞、Wikipediaは一定の役割を果たす。日ロ戦争、漱石の死、関東大震災、芥川の死、日中戦争、太平洋戦争、終戦、太宰の死、朝鮮戦争を経て、1951年(昭和26年)、安部公房は衝撃のデビューを飾る。1952年(昭和27年)、谷川俊太郎デビュー。1953年(昭和28年)、松本清張が続き、ここから第三の新人の安岡章太郎、吉行淳之介、小島信夫、遠藤周作と連続して芥川賞を受賞。そして1955年(昭和30年)、若者のサブカルチャーを体現した石原慎太郎はデビューした。一躍、芥川賞と文芸誌の新人賞はスターシステムとなった。1956年(昭和31年)、江藤淳デビュー。1957年(昭和32年)、星新一デビュー。1958年(昭和33年)、戦後文学の最終ランナーとなる大江健三郎は芥川賞を受賞して時代の寵児となる。1960年(昭和35年)、筒井康隆と倉橋由美子デビュー。1961年(昭和36年)、小松左京デビュー。1965年(昭和40年)、谷崎と江戸川乱歩死去。1968年(昭和43年)、川端ノーベル文学賞受賞。この年、野坂昭如は直木賞受賞、丸谷才一と大庭みな子は芥川賞受賞、後藤明生は専業作家、金井美恵子デビュー。1969年(昭和44年)、柄谷行人デビュー。1970年(昭和45年)、純粋天皇のもと自衛隊のクーデターを訴え、川端の寵愛を受けた三島は自決した。翌年、内向の世代の古井由吉は芥川賞を受賞した。1971年(昭和46年)、志賀直哉死去。1972年(昭和47年)、川端自害。1974年(昭和49年)、花田清輝死去。同年、蓮實重彦は批評家デビューした。1976年(昭和51年)、中上健次と村上龍は相次いで芥川賞受賞、藤枝静男は谷崎賞受賞、赤川次郎デビュー、武田泰淳死去。1978年(昭和53年)、色川武大は直木賞受賞、松浦理英子デビュー。1979年(昭和54年)、第三の新人とアメリカ文学の影響下で村上春樹はデビューした。この年、大江は難解小説『同時代ゲーム』を上梓、笠井潔デビュー。1980年(昭和55年)、向田邦子は直木賞を受賞、1981年(昭和56年)、事故死。1983年(昭和58年)、小林秀雄死去、浅田彰デビュー。1987年(昭和62年)、深沢七郎死去、綾辻行人デビュー。1988年(昭和63年)、大岡昇平死去。1989年(平成元年)、色川武大死去。
井上靖、開高健、林京子、三浦哲郎、田久保英夫、黒井千次、庄野潤三、高井有一、河野多惠子、田辺聖子、庄司薫、三田誠広、そして森敦など戦後作家を芥川賞に絞っても多くの傑出した作家はほかにもいる。それ以外でも戦後派では大西巨人や埴谷雄高、また林達夫、中野重治、吉本隆明、高橋和巳、あるいは火野葦平、尾崎一雄、岡本かの子、森茉莉、北條民雄、原民喜、阿部昭など。切りはない。歴史は途方もない。歴史化とは何だろうか。
個人的な話をしよう。父方の祖父は1986年に亡くなった。3年後の天皇崩御は祖父の死とどことなく重なるものがあった。私は13歳だった。このニュースはバレーボール部の練習中に知った。早退してテレビを点けると軒並み崩御の報道で、雨の中の中継を覚えている。私は中学時代に膝の故障、足の骨折、極度の歯痛、金縛り、いじめなどに思い悩んだ。1990年6月、不登校になった。平成はひきこもりの時代だった。それから純文学を読みあさった。漱石、芥川、太宰、乱歩。海外では魯迅、ポー、ゴーゴリ、カフカ、バタイユ、ジョイス、キイス。読書は純粋な喜びだった。だが遠い世界のような気がした。私が親密な関係を読書に持ったのは畢竟「平成文学」だったと思う。
本企画は気まぐれに開いたTwitterのスペースで瀬希瑞世季子さんと佳浩さんと歓談しているうちに突発的に立ち上がったものである。衝動的に組まれた「平成文学全集」という妄想企画は日を経るうちに輪郭をあらわにして現実味を帯び始めた。
私は平成の1989~1994年と1995~2003年、佳浩さんは2004~2010年、瀬希瑞さんは2011~2019年を担当する。基本的に自分が読んだものを中心に選書する。それぞれの期間ごとに目次と解題を付す。
偏った「全集」ではあろう。どうぞ読者諸賢の趣味嗜好との比較やブックガイドとして活用しながら「平成文学」を存分に楽しんでいただけると幸いだ。昭和はもとより平成を歴史化する責務は今後においても課題とする。
素案
Ⅰ期 オウム以前
第一巻(1989)
『ペンギン村に陽は落ちて』高橋源一郎
『妊娠カレンダー』小川洋子
第二巻(1990)
『人生の親戚』大江健三郎
『至高聖所』松村栄子
『かかとを失くして』多和田葉子
第三巻(1991)
『犬婿入り』多和田葉子
第四巻(1992)
『朝のガスパール』筒井康隆
『石の来歴』奥泉光
『ソルジェニーツィン試論』東浩紀
第五巻(1993)
『グミ・チョコレート・パイン』大槻ケンヂ
第六巻(1994)
『タイムスリップ・コンビナート』笙野頼子
『アメリカの夜』阿部和重
『原形式に抗して』池田雄一
Ⅱ期 オウム以後
第七巻(1995)
『この人の閾』保坂和志
『ねじまき鳥クロニクル』村上春樹(途中)
第八巻(1996)
『F』鷺沢萌(途中)
『暗殺百美人』飯島耕一
『くっすん大黒』町田康
『ノックする人びと』池内広明
第九巻(1997)
『インディヴィジュアル・プロジェクション』阿部和重
『ゴーストバスターズー冒険小説ー』高橋源一郎
『柔らかい土をふんで、』金井美恵子
『街の座標』清水博子
『最後の吐息』星野智幸
第十巻(1998)
『夜明けの家』古井由吉(途中)
『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』中原昌也
第十一巻(1999)
『熊の敷石』堀江敏幸
第十二巻(2000)
『取り替え子』大江健三郎
第十三巻(2001)
『アクロバット前夜』福永信
『フリッカー式』佐藤友哉
第十四巻(2002)
『パークライフ』吉田修一
『銃』中村文則
第十五巻(2003)
『ハリガネムシ』吉村萬壱
『シンセミア』阿部和重
『中国の拷問』仙田学
『蛇にピアス』金原ひとみ
『蹴りたい背中』綿矢りさ
『四十日と四十夜のメルヘン』青木淳悟
※追加の可能性あり
本誌『平成文学全集』は2022年9月25日の文学フリマ大阪で頒布予定です。
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