日記(2)

2019年10月29日〈夜〉

 まずはフロイトから。 

 彼(※フロイト)が十代の時から愛読していた作家にルートヴィヒ・ベルネという人がいます。その随筆に、「三日間で独創的な作家になる方法」というものがある。これは要するに、三日間部屋に閉じ籠もって思ったことを何でも紙に書き付けろ、ということです。しかし、これは一見したよりもなかなか難しいことでね。何でも、というのは、どんな恥ずかしいことであっても、ということですから。自らの無意識の検閲、抑圧といったものを振りほどくようにして、書いて書いて書きまくっていると何か見えてくる。まるでシュルレアリスムの自動記述のようだ、と思うかもしれません。が、それは話が逆です。そちらが精神分析の影響下にあり、その精神分析がベルネ法に基づいているのですから。このベルネ法が、フロイトの精神分析法のひとつである「自由連想法」の起源の一つとされています。彼も長椅子に横たわった患者にむかって言うわけですね。どんな恥ずかしいことでも言いにくいことでも、自分の心に浮かんだことは何でも言ってほしい、と。そこから彼の「解釈」は始まるわけです。つまり読解が。無論、読む人フロイトは書く人でもありました。毎日ー「毎日のように」ではなくて、伝記的研究によると本当に「毎日」なのですがー手紙、日記、論文、随想、大量に書いていて、こちらとしては一体いつ寝ていたんだと呆れかえってしまう。
  (佐々木中『切りとれ、あの祈る手を』河出書房新社 ※引用者注)

 自分は中三で不登校になって以来、父が大量に買ってくるキャンパスノートに鉛筆や万年筆で独自といっては口幅ったいが哲学的思想を書き連ねていた。べつに当時読んでいた思想家・哲学者なんてほとんどいないわけだから思考の戯れみたいなまさに自動記述みたいなものだったかもしれない。たぶんいまでもガレージに眠っていることだろう。
 このノート狂というべき思考記述の習慣はけっこう長く続いた。「人生日記」という題をつけ、たびたびの中断をはさみ二十冊くらいはあると思う。それから「記録帳」というまさにその日起きたことをただ淡々と列挙するだけの日誌を十年ほどやったこともあった。とにかく手書きにこだわった。
 しかし2004年からインターネットを家に引き状況は一変した。ブログだ。これもかなりはまった。2009年にパソコンを買い換えさらに熱中して「Goroの日記」としてログがいまでもネットの海に残っている。ブログのほかの同人誌の原稿は手書きとノートパソコンの併用だった。
 そして今年またこの場でいろいろと文章を書いている。Twitterも面白いが、ゆったりと気楽に書けるスペースがあるというのはとてもいいことだ。即効性・即時性がないのもいい。まるでロビンソン・クルーソーのように無人島で自分にむかってもしくは投瓶的に海のむこうへ日記を書いているかのごとく。Twitterは必ず誰かに届いてしまう。それが利点だが欠点でもある。まったく誰にも読まれないかもしれない、だがそれは何年、何十年か先の人類が読む可能性をTwitterよりも高く秘めている。もちろん本の比ではない微少の希望であるわけだが。

 ロビンソンは浜辺で足跡を見つける。そして驚く。俺の他に人がいるのか。いや、俺の足跡かもしれない。俺は滑稽にも自分の足跡に怯えているだけかもしれない。でも次の日にまたその場所に行くと、足跡はきれいに消えている。どういうことでしょう。
 これは「ひとりで見たものは、実は見たことになっていない」ということですね。何か確実と思われるものをまざまざ見ても、そこにその確実性を共有してくれる他人がいない。その他人が確実性を否定したとしたら、中立的な立場に立ってくれる第三者が必要になります。が、無人島だからそういう人も望めない。自分以外の人が居ない、ゆえに自分の知覚が自分によってしか保証されない。ということは、それは実は知覚していないというのと同じことになる。するとこのありありと眼前に繰り広げられる光景と、自らの妄想とを分け隔てる線が、不意に掠れ破線のようになって消え果てていってしまう。かくして、ふと恐怖が触れるわけです。無意識の恐怖が。
                            (同掲書)

 自分は遠くて遅い第三者をここで待っている。

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