日記(34)
2020年5月29日
とある読書会に参加することでまた夜型生活に戻ってしまった。昨日は昼過ぎに起きてパンと塩豚を食べた。外には出ず土曜のツイキャスのためにカミュ『ペスト』を読む。といっても10頁しか読めず、今後の活動についてあれやこれやと思考を遊ばせた。たぶんキャスは一週間ほど延期することになるだろう。火曜に参加した読書会は楽しかった。ウエルベック『ある島の可能性』を読んだ。伊藤計劃や村上龍、村上春樹、マーク・フィッシャー、儒教、ヒトラー、ユーロ・トラッシュ、ズーフィリアなどの話も出て大いに盛り上がった。次回は東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』の予定。80頁ほど読む。先週の誕生会から橘いずみを聴き直している。「上海バンドネオン」「永遠のパズル」「サルの歌」。痛快無比。さきほどまではショパンの「革命」と「別れの曲」をイヤホンで聴いていた。普段、クラシックはスピーカーから大音量で流している。たまには違う聴き方もよいものだ。欲をいえば大ホールなどでクラシックを体感したいものだが、そんなチャンスはほとんどなかった。哀しいかぎりだ。家には凡庸な文化資本として「G線上のアリア」や「エリーゼのために」「白鳥の湖」「くるり割り人形」などのアナログ盤が揃っていた。ぼんやり鑑賞はしていたがあまり思い入れはない。チャイコフスキーだけは好きだった。レコードに挿絵が付いていたからだろう。それはもはや散逸したか、あっても傷だらけで聴くに堪えない。そのうちCDで買い直したいものだが…… 思えば生来の凡庸さと闘ってきたような半生だった。これは終わりなき闘いなんだろうが。
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