見出し画像

陸の孤島・豊田市でミニコミを出すということ(『模索舎月報』2009.12)

世界のトヨタ、だが豊田は陸の孤島と揶揄され、頑張っているが文化不毛の地・名古屋よりもっと酷い実益の企業城下町ときた。
私が"文芸アンダーグラウンド宣言"という少々大げさな創刊の辞を掲げた「メルキド」は、東京から帰郷した27歳にもなって学生風情のまま、およそ2年後の2004年7月に*さんという岐阜のトヨタ系会社員の男性とともに、豊田で発行した。
「メルキド」という命名の由来は、そもそも早稲田文学新人賞へ送った劇作中に閃いた同人誌の名だった。これは「ドラゴンクエスト」というゲームソフトにでてくる壁に囲まれ、モンスターのゴーレムが入口を番人している架空の街からとった。壁に囲まれ外との接点がもてない孤立した街。それが自分の当時の境遇と、豊田という街に漠然と感じる閉塞感を投影したと、いまとなっては後付けできる。
真相は*さんが考案した題名で私が撮った「ゴーレムの花嫁」からの連想だった。*さんとは大学の映画研究会で出会い、そこで出されていた「映画的」というフリーペーパーをともに作った。コミケやこの経験が活きたのか、「メルキド」は好調なすべりだしをする。
ところで本音を漏らせば、この文芸ミニコミ誌は私の勝手な都合があった。それは前年に群像新人文学賞へ応募しており、落選確実な通知のダメージを軽減するために創刊を画策したのだ。
「メルキド」創刊号は刊行1ヶ月後の8月、朝日新聞夕刊で文芸評論家・清水良典氏に紹介された。しかしこれから「メルキド」は過酷な途を歩むことになる。
新聞掲載に有頂天となった私は、「メルキド」配置場所が東京2ヶ所、京都1ヶ所の東海不在の現状を打破すべく行動に出た。名古屋シネマテークつながりで、書物の森、書肆孤島、ちくさ正文館、猫飛横丁と勢力を拡大させたのだ。
新聞記事の帯を貼ったり、ちくさ正文館で面陳してもらったり、販売員さんとおしゃべりしたり、いろいろ手を打ったが売れたのは1冊だった。
文学フリマ東京参加。売れたのは4冊である。追い打ちをかけるように早稲田文学新人賞落選。ウィルスメールでホームページ停止。いきすぎたネットの書き込みに耽った。当初の勢いが衰え、徐々に精神を病みだす。病院送りとなった。入院中、兄が制作に加わった。ほどなく休刊した。退院後の寝たきりのような生活のなか、文学フリマ名古屋に参加。1冊だけ売れた。
2008年6月復刊。体調が良くなった。『文學界』の全国同人雑誌リスト掲載。豊田の前衛作家・尾関忠雄氏との交流。2009年の文学フリマ東京では11冊売れた。模索舎10冊、タコシェ5冊など計30冊ほど売った。ネットの活動を再開した。
豊田は『近代文学』の本多秋五氏の出生地だ。陸の孤島であっても、この地で活動を続けたい。いまの豊田には尾関氏や書苑イケダなどこだわりのものがある。独学で文芸を書き、自分たちで発表するオルタナティブ・ノベルを目指したい。

メルキド出版編集長 松原礼二
(再掲に際し加筆・修正しております。ご了解ください。また模索舎さまの許諾は得ておりませんのでご寛恕いただきたいです。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?