記録せよ、と彼女は言った

2023年1月12日
元旦のトルストイ「イワンのばか」から小説をほとんど読み終えていない(同人誌のゲラなどは除く)。取り組んでいるのは泉鏡花「龍潭譚」とディック『時は乱れて』。両作は対照的な文体だ。かたや雅俗折衷文体の観念小説であり、かたやアメリカの風俗をふんだんに取り込んだSF。その間論考は三点(平倉圭『ゴダール的方法』序章、三千周介「なかやまきんに君の記憶喪失」ぬかるみ派、河中郁男「流れの外に出ること」同人雑誌季評)を読んだ。漫画は立入譲「164番地のめくるめく夕べ」(『月刊スピリッツ』2022・12)を読んだ。現代のサヴァイヴ感に陥る青年が、妖術で過去に迷い込むことによって、寛容な未来を招福させる秀作。
生活の大半は家事と音楽鑑賞に与えられている。家事については特段書くことはない。音楽はAdo、米津玄師、結束バンド、KING GNU、ニール・ヤングをヘビロテ。賃労働と子育てをしない私に生きる価値は乏しい。だが家族の手前死ぬわけにもいかない。時が過ぎてゆく。
「楽観的リアリスト」と「悲観的ロマンチスト」という言葉があるらしい。旧来なら「悲観的リアリスト」(蟻)と「楽観的ロマンチスト」(キリギリス)と言われてきたものだろう。時代は変わったもんだ。ますますマイノリティは死ねという風潮なんだろうか。
年始より映画は3本観た。『すずめの戸締り』(2022)、『シンドラーのリスト』(1994)、『セブン』(1995)。刈谷日劇で回顧上映の『恋する惑星』(1994)と『天使の涙』(1995)はブックオフウルトラセールにかまけて観に行けなかった。残念。『すずめ』については先日フォロイーの方とスペースで語らった。私は大岡昇平を引いて「あの人は死んだのに私は生き残った」という戦争体験者と被災者の心情を重ねた。新海誠は当初より一人称による二者関係を描いてきた。大岡の『野火』『俘虜記』はひとりの兵士の視点を借りながら群像劇となっている。新海の作家性とは反するのだろうが今後の震災作品には被災体験者の複数の風景が投影された群像劇を望む。『すずめ』において鈴芽が日記で黒塗りにした場面と被災前の「死者の声」をポリフォニックに演出した場面を、微細に描き出すことが犠牲者への追悼になることを夢想する。

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