書物書簡 五通目 大江健三郎『死者の奢り・飼育』『見るまえに跳べ』

2021年1月29日
沖鳥灯

あかふしさん
瀬希瑞世季子さん
Takuさんへ

 2019年の企画からメッセージの遣り取りをするようになったTakuさんに誘われるかたちで昨年にDiscordのボイスチャットに参加して、そこから世季子さん、あかふしさんと知り合うことになりました。そして、Takuさんとあかふしさん主催の読書会にたびたび顔を出すことになり、いつのまにかこのような書簡形式の活動にいたったわけです。出会いとは不思議なもので意識して特定の誰かと遭遇することではなく、いつだってそれは突然向こうからやってくるものなのかもしれません。
 さて、出会ってまもなく四人ではじめたこの書簡ですが、無事に一巡しました。二通目の書簡内劇、三通目のクソコテ問題、そして前回のニムロッド。お三方とも20歳前後の同世代ですが、それぞれの持ち味があってどれも興味深く拝読しました。僕の序文と一通目はかなりイキガって頭でっかちな書き方をして一部から不評を買ったこともあり、そのあとに書かねばならぬ三人にはよけいなプレッシャーを与えてしまいました。ですがそれは杞憂だったようです。三通とも気取らぬ筆致で自己の考えを率直に文章にしており読んでいて気持ちがよかった。僕もそれにならい余計な力みを捨てて率直に語ることができればよいのですが、元来の頑迷さにより容易に改善できることではないとも思います。しかし、あかふしさんの「緩やかな諦念」には今月初旬より書き進めていた五通目との「緩やか親和性」を覚え、これと序文ならびに一通目の「ポスト文字社会」「青い社会」を重ねて思考できるのではないかと、いつものことながら近視眼的に概念を寄せ集めて自己の至らなさをどうにかしようと苦闘しています。
 では、この「諦念」と日本の1960年代の革命の正否を併せて、以下の文章をお読みいただければ幸いです。

 大江健三郎は『小島信夫全集Ⅰ』の月報に「かつて僕は『島』を頂点とする、小島信夫氏の抽象的な小説世界にひきつけられる若者であった」という文章を寄せている。利沢行夫は「遠藤(周作)のあとに来るのが小島信夫である。第三の新人のあとには石原慎太郎、大江健三郎といった新戦後派ともいうべき作家たちが現れて、引き継がれていったことを考え合わせると、前後の流れがより鮮明に見えてくる。この二人は学生作家で、父の権威など戦争とともにすっかり喪失してしまい、仲間たち同士で自分たちの共同社会を編成する」(小島信夫『殉教・微笑』講談社学芸文庫)と述べる。
 というわけで今回、大江の初期作品にスポットを当てるにあたり小島にも触れておきたい。小島と大江については江藤淳も言及している。「小島氏と大江氏との根本的な相違は、大江氏にとっての「アメリカ」が明らかになにかを解放したものととらえられているのに対し、小島氏のそれがもっとも深い敗北をもたらした圧力──しかしつながりようのない圧力としてとらえられている点にあるものと思われる。」(小島信夫『アメリカン・スクール』新潮文庫)
 大江は行動の作家とも呼ばれる。これにくらべ小島は前述のとおり「抽象的」で内省的な作家といえる。両者に共通項があるとすればそれはやはりアメリカの「抑圧」なのだ。江藤の見解のように大江はアメリカが戦後民主主義で日本に解放をもたらしたと強調する作家だとされる。しかし大江の小説を一篇でもプレーンに読めばその鬱屈とした描写に民主主義の解放感なんて微塵も感じないだろう。それは小島も然りだ。僕はこの感覚に団塊ジュニアとしても強いシンパシーを覚える。
 大江を知ったのは兄が読んでいた『表層批評宣言』のあとがきからで16歳ぐらいだった。当時の僕は、定時制高校で中学どうよう不登校になり、テーブルトークRPGに耽溺するようなよくいるタイプのゲームオタクだった。まだ大江がノーベル文学賞を受賞する以前のことだ。大江という現代日本最大の作家がいるらしいと(蓮實の同著では大岡昇平『野火』も推している)。蓮實の影響もあり徐々にTRPGから距離を置きたくなった。
 そのとき日本文学といえば兄の影響で漱石、芥川、太宰、乱歩などを嘗める程度だった僕は、現代文学に疎く居ても立ってもいられず書店に急いだ(安部公房は「棒」だけ読んでいた)。茶色い背表紙の新潮文庫が10冊ほど並んでいた。手に取ったのは『同時代ゲーム』(1979)だった。まずゴシック体の文字に愕然とした。冒頭の一行を読んでみても近代文学との差に呆然として失笑したと思う。買わなかった。しかしその日から大江の棚を意識しはじめた。『性的人間』(1963)というタイトルにもびっくりした。兄がそれに収録されている「セヴンティーン」が大江の代表作だと教えてくれた。17歳の誕生日に立ち読みしようと思った。僕は23歳ぐらいまで古今東西の短篇を書店で立ち読みした。だが誕生日に元町の書店でくだんの作品を読もうとしたが早々に挫折した。けっきょくこれを読み終えるのは24、5歳の夏だったと思う。
 大江の『死者の奢り・飼育』(1958)と『見るまえに跳べ』(1958)を見ていこう。僕が19歳のときの1994年に大江が例の世界的な賞を受賞した。それで近所に「文庫やさん」という文庫専門古書店があったので新潮文庫の大江を一山買ってきた。それでまずビートたけしが好きだという理由で『見るまえに跳べ』を開き、表題作と「奇妙な仕事」を読んだ。19歳の僕は、筒井康隆や高橋源一郎を好きになっていた。それゆえか大江は正直よくわからなかった。だがひっかかるものはいくつかあった。米兵、酒、ドブ河、ちっぽけな日本人、時計台、犬の鳴き声、私大生(岩波文庫版では「院生」)、犬殺し。「奇妙な仕事」は三回は読んだ。友人は『同時代ゲーム』が最高傑作だと嘯き、出たばかりの『燃えあがる緑の木』(1994ー1995)を読んでいた。同時期の『ねじまき鳥クロニクル』はロッカーに入れっぱなしだと自嘲する知り合いもいた。大江が受賞した夜その友人に祝電をかけた。友人は快活に喜んでいた。ちなみに僕は大江ファンを自称してもいいが、いまだに60年安保の時代と並走した『われらの時代』(1959)、『遅れてきた青年』(1962)、『叫び声』(1963)、『万延元年のフットボール』(1967)を未読だ。なにせ自分の大江長篇デビュー作は『個人的な体験』(1964)である。それからレイトワークをのぞけば『洪水はわが魂に及び』(1973)と『人生の親戚』(1989)に進んだ。ゆえに68年革命後の挫折を描いた作品群のほうに思い入れが深い。平野啓一郎や中村文則は『われらの時代』に大きな憧憬があるようだ。自分にはその感覚はない。全共闘運動は押井守のアニメで知った。生粋のシラケ世代である。映画『LEFT ALONE』(2004、スローラーナー)さえ観ていない。外山恒一やスガ秀実の著作を読むまで運動は失敗だったという世間の認識と同じマインドだった。いまでも大江の時代感覚のほうが身体に馴染んでいる。しかし同人誌を作ったり、ツイッターで交流したりすることはどこか運動の残滓が色濃く刻印されているように思える。意識するしないに関わらず、下の世代に多大な影響を及ぼすことで革命は勝利し続けているのか。とはいえニューレフトに興味はあるが、柄谷行人にシンパシーを抱くぐらいともいえる。加藤周一『日本文学史序説 下』(ちくま学芸文庫)では、大江のことを「彼は政策の批判者ではない。またマルクス主義がそうするであろうように、60年以後の「経済大国」に代替の体制を対置する革命家でもない。」(529頁)と評している。
 それで1月は「戦いの今日」(『死者の奢り・飼育』収録)と『見るまえに跳べ』を読んでいた。前述のとおり「奇妙な仕事」と「見るまえに跳べ」の初読は1994年だ。「死者の奢り」「他人の足」「飼育」「人間の羊」「不意の唖」は時間を置いて読んできた。戯曲「動物倉庫」は去年に読み、「鳩」は2018年に読書会で取り上げた。そのようなわけで年初に未読の「運搬」「鳥」「ここより他の場所」と「上機嫌」を途中まで読んだ。「後退青年研究所」「下降生活者」には及ばなかった。ほかに『河馬に噛まれる』の表題作(1983)などは当たれた。
 記憶は不確かだが「戦いの今日」は、はじめて大江に触れた時期に読んでいたかもしれない。だがそれは「見るまえに跳べ」との類似性があるための錯覚ではとも思う。その類似点とは「戦いの今日」においては


「君のかつての同輩が、日本人を河のなかに投げこんで溺死させたんだ、ドブ川へやにわにほうりこんで、日本人がじたばたやるのを楽しんで見たというわけだろ」


 いっぽう「見るまえに跳べ」では


「そしておれたちは汚くてちっぽけな日本人を有楽町の臭いドブ河へ投げこんで溺死させた。その時、日本人の群衆はおれたちをリンチするかわりに、黙って見ていたぜ」


 この出来事は実際にあったことらしい。1950年に朝鮮戦争が勃発した。大江と合わせ原民喜「夏の花」(岩波文庫)を読んでいたら解説にアメリカが朝鮮で核兵器を使用する計画もあったらしいことが書かれていた。ずいぶんこれで反戦・反米ムードが当時高まったようだ。いまは月末の読書会のために大江の『芽むしり仔撃ち』(1958)を読んでいるのだが、これは感化院の少年たちが移送中に寒村に閉じこめられる話だ。このアポリアと戦後の日本の閉塞感を重ねてみるのは素人読みだろうか。スガは『革命的な、あまりに革命的な』において大江の『われらの時代』などを論じ、性的人間が政治的人間に実存的ロマン主義を抱き、故郷喪失=保守的革命という感情を神経症的パラノイアで反復することで逃走を図っているとする。現代日本人はすべからく失郷者だと思う。それはGHQに敷かれた戦後体制「象徴天皇制」に表象されるように日本は独立した領土=故郷を持たないのではないか。大江そして小島はこれにもっともビビットに反応した作家だと思う。それは前掲のふたつの引用に顕著な「日本人」という「ちっぽけさ」だ。しかしかといって天皇回帰のナショナリズムを称揚しては愚の骨頂である。大江は反米で知られる。そして天皇を信仰することもない。古井由吉もそうだろうか。作家は過激なものなのだ。
 天皇を元首にして米軍を廃し(アメリカ文化は素晴らしい)国土を自衛する。このためには近隣諸国との和平が不可欠だ。日米同盟だけでは限界がある。日本はもっと世界に出るべきだ。フランス、ドイツ、イタリアと同盟を結ぼう。国際交流をしよう。これに小島、大江、古井などの戦後文学はとても意味のあるものとなるはずだ。文学は「「時代精神」が埋葬していった「穴ぼこ」・「空洞」へと肉薄する」(宮澤隆義)。「戦いの今日」の末語で主人公は日本人に「ジャップ」と罵られる。近親憎悪だ。日本は外からではなく内から滅びるかもしれない。
 
 当初は「脱生産社会とアメリカ」と題して書くつもりでいた。しかし己の怠惰と時間不足で準備がままならなかった。それは次の最終書簡ならびに夏に刊行予定の社会思想系の小冊子で開陳したい。来月は小島信夫を中心にする予定だ。『アメリカン・スクール』は読み終えた。あとは『抱擁家族』『成熟と喪失』(江藤淳)に当たってみようと思う。
 最後にふたつ引用する。ひとつ目は、加藤『日本文学史序説』の結語だ。


時代の条件は、──あるいは一世代の現実は、その受容や描写よりも、それを批判し、拒否し、乗り超えようとする表現の裡に、またその表現の裡にのみ、抜きさしならぬ究極の性質を、あらわすのである。


 ふたつ目は寺山修司の「事物のフォークロア」。大槻ケンヂの影響で16歳の僕はわけもわからず読んだ。長文なので一部引用する。


まだ一度も作られたことのない国家をめざす
まだ一度も想像されたことのない武器を持つ
まだ一度も話されたことのない言語で戦略する
まだ一度も記述されたことのない歴史と出会う

たとえ
約束の場所で出会うための最後の橋が焼け落ちたとしても


 あらためて大江の保守的革命主義を乗りこえ、「緩やかな諦念」を耐えぬいて、現在の日本や世界の閉塞を打破しようとするのであればこのような構えがいるのではないだろうか。
 次回の投稿者の世季子さんにはこの点について少し触れてもらえればありがたく思う。

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