解放のあとで 五通目 α

2020年7月3日

古谷みのりさんへ

 7月になり、書簡が二巡目に入りました。当初は毎回テーマを設ける予定でしたが、書簡という形式の特質である個人的な流れを活かしたほうがよいという古谷さんの指摘から、今月は肩の力を抜いて前信の問いに応答しつつ好きなことを書いていこうと思います。
 さて、週末は都知事選ですね。こちらもそちらも都政へ一票の洗礼は下せないのでなんですが、選挙は延期にするべきでしょう。
 僕が東京に住んでいた1997年から2002年の都知事は青島幸男と石原慎太郎で、東大総長は蓮實重彦、内閣総理大臣は橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎でした。今月は軽くいこうということでした。政治や大学の話は避けますね。先週の水底燕さんからの提案でこの3ヶ月、どのように過ごしていたのかについて書きます。
 これは「一通目 β」でも述べたことですが、あまり読書が捗りませんでした。それはなぜなのかを考えるに、社会の自粛による疲労と頻繁に出歩いていた疲労のためだったのではないかと思われます。とはいえ求職中の身であるゆえ出勤していたわけではない。つまるところ喫茶店は営業時間制限があり、映画館は休業、コンビニは入りづらく、普通免許はあるが自動車は運転できず原付を所有していない自分は、近所の百貨店で文庫本を買うことくらいしか生活のストレス発散ができませんでした。それだけ「日々変化し続けること、変化の中に生きること」が困難でした。この抑圧的な日々に無理にでも動かないと自壊する恐れがあったといえます。文学フリマが中止になり、地元の友人と約束していた観劇が取りやめになり、四国への取材旅行は無期限の延期、閉塞感に押しつぶされそうです。貯めていた限りある旅費を散財ですり減らす日々は気持ちよいものではありません。アルベール・カミュ『ペスト』でも猖獗が蔓延するほど民衆は無駄なことに浪費してゆきます。その過剰消費は給付金を当てにして継続中です。また暗い話になってきました。
 最近読んだ本の話をします。この1ヶ月は、前言の『ペスト』を読み終え、保坂和志「コーリング」、坂口安吾「文学のふるさと」、パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』、中上健次「岬」、ペーター・ハントケ『不安』を読みました。そして7月、ハントケにつづけて海外文学しようか、戯曲にしようかと悩みましたが、佐々木敦『シチュエーションズ 「以後」をめぐって』(文藝春秋)でも言及されていた、綿矢りさの『大地のゲーム』(新潮文庫)を読んでいます。古谷さんは以前、柴崎友香に興味を惹かれていましたね。「移人称」の書き手として。いま自分のTLで日本の女性作家が小さなブームのようです。『シチュエーションズ』では、柴崎の『わたしがいなかった街で』も触れられています。
 今月に入り、夏の批評誌の制作が活発になってきました。表表紙が上がり、エッセイのほうも揃いつつあります。古谷さんにはラヴクラフトの翻訳をお願いしていますね。引き続きよろしく頼みます。
 戻って綿矢は全共闘SFといったストレンジな小説です。佐藤優の解説では茂木健一郎や永作博美の名前が躍ります。なんだか時代を感じてしまいます。ところで川上未映子がTwitterを始めましたね。英訳や他言語への翻訳も進んでいるようです。だいたい若くして頭角を現した日本人作家は40代になると海外での需要がニュースになることが多いです。村上春樹もそうでした。最近では又吉直樹『火花』と村田沙耶香『コンビニ人間』の英訳が評判になりました。これは国内でかなり売れたから海外の反応も速いです。又吉と村田も40歳くらいです。近所の書店でも見かけましたよ。そういえば池田雄一は昔から日本の女性作家を高く評価してきました。清水博子や工藤キキ、藤野千夜など。
 批評誌に掲載予定の漱石論を終え、7月はカズオ・イシグロやクンデラ、カミュなどの海外文学を読もうと読書計画を組んでいたのですが、どうやら反故になりそうです。ドリフターです。といったわけでどうなるか確約はできませんが、来月の書簡では上記の作品などの感想が述べられたらよいです。
 最後に古谷さんに質問。この3ヶ月の生活、そしてここ最近の興味対象についてお訊きしたいです。

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