日記(5)

2019年10月31日<深夜>

 パスカル・キニャール『謎』(水声社・小川美登里訳)を読んだ。以下、印象的だった箇所を引用する。

 体を起こしながら彼は例の名を繰り返そうとした。その名はそこ、彼のすぐ近くにあって、舌の先まで出かかっていた。まるで靄のように彼の口の辺りに漂っていた。その名は彼の唇の端に近づいたり、遠ざかったりした。しかし、いざ妻にその名を告げる時になると、その名は彼のもとから消えてしまった。
                  「舌の先まで出かかった名前」 

 薄暗い部屋の隅で沈黙の中に引き籠もった彼は、不安と恐怖、そして幸福への欲求を知った。非難や辱め、束縛や嘲弄、打擲にも黙って耐えた。半ば野蛮ながらもいくばくかの自尊心と感情を含んでいて、彼にとっては一種の個性にすらみえる、怒りに彩られた無言状態の中に閉じこもった彼はそのとき、耐えがたい喜びと同時に我慢しがたい悲嘆を味わったのではないだろうか。喜びというのはつまり、秘められた感情が込み上げるときのイメージや、輝かしい報復のもくろみ、彼自身が非凡で寡黙な英雄となって果たす比類なき復讐の夢、そういったものを自分の心だけにしまっておくことができるという意味での喜びのことだ。苦悩というのはつまり、彼が状況に応じて作り出し、おそらくは想像にすぎないとはいえ、それを他人と共有しようとはしなかったがゆえに彼自身の中に積み上げられていった重罪や汚点、苦痛などが心のなかに鬱積したという意味での苦しみだ。 
                     「死色の顔をした子ども」

ーそのからだはまるで収穫後の黄金色の立ち藁のように青白くなっていきました。その肉体は太陽の下の一握りの雪の塊のように衰えていったそうです。そのとき、まるでなくなりかけの灯心の周りに残った炎の最後のゆらめきのように、その瞳は輝きを失いました。ひとしずくの雨が残した道筋ほどの意味ももたずに、命は消えていったのです。そして命があった場所に見出されたのは、冷たくて物言わぬ命なき肉でした」
                     「死色の顔をした子ども」

 思考だって宙に運ばれていく。それは、ほんのささいな物音や声、かすかな香りや匂い、わずかの光や影ですら捕らえ、糸で巻き付けて存在を見せつける蜘蛛の巣のようなものだ。音の光や香りの種子たちですら小蠅のような存在で、空気中で完全に消失するわけではない。すべて揺らめきながら空中を運ばれていく。しかし、まるでまどろんでいるかのようなその姿とは裏腹に、刺繍刺しの娘は待ち伏せをしている肉食動物と同じなのだ。あるいは、獲物を待ち構えるオニグモに。敵を麻痺させることはあっても、すぐには殺しはしない。敵に喰らいつくまでは、彫像のように不動のまま根気強くいつまでも待ち続ける。心臓の鼓動、昔ながらの動作、カーテンの揺れ、恥辱、人目を忍ぶ行為、出来あがる前に漂ってくる料理の匂い、タイル床の上を滑るスリッパの音、残酷さ、庭の花々や芝の匂い、扉のきしむ音ー、空気中を進んでゆくこうした不可視の痕跡を、頭を上げない分より一層鮮烈に彼女は感じ取る。
                 「エテルリュードとウォルフラム」

 

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