11/23文学フリマ東京の新刊その1

『山羊の大学 第二号』
特集:音楽と本
エッセイ
おさかなそこ「みふぁそらじお」
山坂槿「このようにきくべきではない」
Yoshioka「読むように聴いてしまう」
織沢実「美空ひばりと戦後──ときどき三浦哲郎」
論考
芳野舞「扉を蹴り破る試みとしての音楽」
短篇
たいやき「書くって何?」
論考
有島みこ「詩と狂気の境界線 R・D・レインをめぐって」
ヤマグチ「中動態と五発の弾丸 『異邦人』の j 'ai crispé ma main sur le revolver. 」
沖鳥灯「自分が死んでも世界はある──保坂和志と三島由紀夫」
ルポルタージュ
金村亜久里「紀行文・徳島・抜粋」

巻頭言
沖鳥 灯
新生活「音楽と本」

 私はテレビを切って音楽を聴きはじめた。それは岡林信康や遠藤賢司、SION、奥田民生、橘いずみ、アジアンカンフージェネレーション、東京事変、櫻坂46、ショパン、ワーグナー、ドビュッシー、ラフマニノフ、キング・クリムゾン、レディオヘッドなどだった。なぜだかはよくわからないけどおそらくじっと座ったままでいるのが苦痛で単に音楽に耽溺して横になったり踊ったりしているのが気持ちいいからなのだろう。とはいえツイッターは手放せない。モニターとしてもテレビを点けないからあまりビデオも観なくなった。あれだけ熱中していたBDプレーヤーで予約録画する習慣さえ流れ作業と化した。晩夏に映像誌を出すために一時フル稼働したが。睡眠サイクルが崩壊した生活のなかでCDコンポイザーが鳴り止むことは深夜を除いてなかった。二十年近く私は実家から離れていない所謂ひきこもりの世間知らずだ。  
 この間近所のレンタルCDとCDショップが消えた。だがいまだにサブスクには手を出せずにいる。昨年、中上健次『十九歳の地図』を再読したとき、くるり『さよならストレンジャー』が流れていた。今年、牧野信一『ゼーロン』を読み終えたとき、ジョン・コルトレーン『マイ・フェイバリット・ソングス』がカフェでかかっていた。行きつけのカフェではガルシア=マルケス『百年の孤独』やサミュエル・ベケット『モロイ』も読んだ。本を読むときBGMがあってもまったく気にしない。だがこの無為な日々も九月十六日を境に一変した。コロナ禍により生じた空き室に仮住まいすることになったのだ。それはメゾネットの築十数年の賃貸物件である。私はそこで主にお昼から(ときには朝から)夕方までぼんやりと読書したり音楽を聴いたり昼寝したりして過ごすことにした。元の部屋のCDコンポイザーは持ち込まずポータブルCDプレーヤーでひたすら馴染みの音楽に耽った。深く社会に傷ついた病人の暢気な生活。お陰で耳が痛い。
 勉学、労働、恋愛、どれも中途半端に挫折してきた。ただただ本、映画、音楽、ネットに溺れる日々でふと五月に手に取った遠藤賢司のアルバム『niyago』に同封されていた広告に目が留まった。URC(アングラレコードクラブ)の広告。ザ・フォーク・クルセダーズ、はっぴいえんどなど名だたるアーティストのCDを販売した伝説のレーベルである。これを文芸同人雑誌で出来ないだろうか。いまはそんな夢を抱いている。
 さて、本誌第二号は「音楽と本」という特集を組むことになった。エッセイが四つに論考が一つ。そのほかには短篇が一つ、テーマ自由の論考が三つ、そして徳島の紀行文である。どうぞごゆるりと音楽を愉しむように頁を繰ってほしい。読者の耳に様々な音色が鳴ることを望んでいる。

東京流通センターで11月23日開催の文学フリマ「メルキド出版」(ソ-36)にてお待ちしています。頒価は500円を予定。また同時刊行『游遊』(写真句集)と文学フリマ大阪で初売りした『REBOX2 特集=反映画』も並べる予定です。そしてイベント終了後、BOOTHにて通販を準備中。オールジャンルの純文学を目指していますので興味のある方はぜひよろしくお願いします。

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