日記(17)

2019年12月25日

 父が亡くなってから、うちではクリスマスが消えた。母は家庭的ではあるけど非常にドラスティックなので風物的な行事というものをしない。
 というわけでケーキも七面鳥もないイブを過ごした。それでベケットや稲垣足穂を読んでいる。
 秋から現在にかけて長篇をやめて、短篇、詩歌、評論、戯曲、占い、写真集などを読みあさっている。そうして目先を変えてみると、春から夏にかけて必死で取り組んでいた読書会で小説の読解を律儀にしていたことに疑いのようなものが生じてきた。ブランショの書くものは批評や読解とは呼べない、もう芸術作品みたいなものである。それは柄谷行人の『探究Ⅰ』(講談社学術文庫)にも感じたことだ。そうしてたまたまこの深夜に手に取ったドゥルーズ+ガタリ『哲学とは何か』(河出文庫・財津理訳)で縦横無尽に述べられている思考の渦に、クリスマスの物足りなさもどこかへ吹っ飛んでしまった。
「哲学者は概念の友である」というやつだ。哲学は芸術であり、芸術は既存の概念に疑問を抱く創造である。
「哲学は、観照でも、反省でも、コミュニケーションでもない」
 これは耳が痛いですね。
 僕はここ数年、作品を「観照」し、批評精神のようなものにかぶれてそれにうぬぼれていたと「反省」するし、Twitterで「コミュニケーション」ばかりをとってきて肝心の読書や創作を疎かにしてきた。
 批評から芸術へ。
 来年の望み薄な抱負です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?