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古井由吉の話

二〇二二年十月十九日

最近熟睡できない。今朝は頭と腹が痛い。九月八日に胆石症の手術を行い、九月十六日に本退院した。十月五日に再診を受けた。ガスターなどを処方され、経過を見ている。転移していないことを祈る。
昨晩は大江健三郎の思い出を綴った。興が乗ってTwitterで自身の偏狭な文学観を開陳した。甚だおこがましい。一夜明け、性懲りもなくブログを記している厚顔無恥。救いようがない。
とはいえ小説脱稿のオーバーホールで雑文を書こうと思い立ったわけだ。とりあえず想像力のタンクが切れるまで継続してみよう。今日は古井由吉について想いを巡らしたい。
古井とは不思議な縁がある。古井の本籍は岐阜で、祖母は岐阜出身。古井は一九三七年十一月十九日生まれで、いとこは一九七五年十一月十九日生まれ。古井家は一九四五年五月二十四日の山手大空襲により罹災し、私は一九七五年五月二十四日生まれ。古井は一九六二年四月助手として金沢大学に赴任し、父は一九六二年同大を卒業。古井は一九七一年一月十八日芥川賞を受賞し、兄は一九七一年七月二十一日生まれ。
初読はご多分に漏れず『杳子』だ。一九九八年渋谷センター街のマクドナルド二階で読み終えた。当時拙い恋をしており、ひどく打撃をこうむった読書だった。
短期アルバイトの早稲田文学編集室で古井の話題がよく出た。『山躁賦』『仮往生伝試文』は傑作だとほめそやしていた。私は新刊の『夜明けの家』を図書館で借りた。蒲田のアパートで読みふけった。「祈りのように」「クレーンクレーン」「島の日」「火男」まで。「火男」は「ひょっとこ」と読むと後年岐阜の友人に教えられた。阪神大震災の記述があって新鮮だった。このころから連作短篇のスタイルを確立したのではないか。
一九九八年秋に日本大学入学。後藤明生に心酔した。古井に還ったのは一九九九年八月の後藤死去を経た二〇〇一年だった。大学の仮設図書室で『忿翁』の初出を読んだ。古井の東大時代を回想録めいた通俗性の高い文体で綴る連作短篇。並行して『ニッポニアニッポン』『あらゆる場所に花束が……』『アクロバット前夜』を読んでいた。思えば同年舞城王太郎と佐藤友哉がデビューしている。知る由もなかった。
大学を辞めて帰郷した。二〇〇八年名古屋の丸善で『夜明けの家』の文庫を買った。「不軽」「山の日」「草原」を読んだ。とんでもない構造と描写だった。あまりに壮絶でいまだに本作を読み切っていない。
東京で入手し、長らく積んでいた『木犀の日』で「先導獣の話」を読む。終盤の一文「おもてで俺が降っている」に度肝を抜かれた。アマゾンで『円陣を組む女たち』(中公文庫)を買った。古井の第一作「木曜日に」を読む。怪奇・幻想小説だった。ほかには文芸誌のエッセイ「紙の子」、佐々木中や中原昌也、大江健三郎らとの対談、種々のエッセイ集、新聞のインタビューなどを愛読した。
二〇二〇年二月古井永眠。「遺稿」を『新潮』で読んだ。末尾の「自分が何処の何者であるかは、先祖たちに起こった厄災を我身内に負うことではないのか」は真理だろう。
古井の死後岐阜の友人と『この道』読書会をした。友人はこの機会に古井を集中的に読み込んできた。結果、大江健三郎よりも革新的だという感想を抱いたそうだ。私はやんわりと疑問を呈した。スカイプで録音したがいまでも音源が生きているか不明だ。
古井をリアルで見たことはない。又吉直樹との交流やセクハラ問題など嫌いな面もある作家だった。そもそも評価の高い『聖耳』や『槿』などは読んでいない。私は古井のよい読者ではない。何度も表明してはいるがいつか古井の読者になりたいものだ。

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