日記(9)

2019年11月25日

 むかしから薄い本が好きだった。ウィリアム・バロウズ『トルネイド・アレイ』(思潮社)、アントニオ・タブッキ『夢のなかの夢』(岩波文庫)、中原昌也『キッズの未来派わんぱく宣言』(リトル・モア)。
 はじまりは、コナン・ドイル『失われた世界』やサン=テグジュペリ『星の王子さま』などの絵本の幸福な原体験からなのだろうか。
 戯曲というものはほとんど読んでこなかった。あのシェイクスピアやチェーホフすら読み通していない。イヨネスコ『椅子』、ピランデッロ『作者を探す六人の登場人物』、宮沢章夫『あの会話の中で集まろう』なんかは何度か興味をもったが読めていない。なにせあらためてイヨネスコを調べるまでルーマニア生まれなのにロシア人だと勘違いしていたくらいなのだ。ブレヒト、ハロルド・ピンター、別役実もそうだ。名前だけは知っている、本だけは持っている、でもほとんど知らないことがほんとうに多い。
 ノーベル文学賞作家の作品もそうだ。ことしに入って『老人と海』、『百年の孤独』、『モロイ』、『路面電車』に触れ、それまでサルトルとカミュ、川端と大江、またはマンローや莫言、マルケス、リョサの短篇くらいだったノーベル文学賞の圧倒的な凄みを新たに味わされた心持ちではある。まだまだ汲めども尽きぬ泉である。
 そして本年のノーベル文学賞受賞者、ペーター・ハントケの戯曲をミーハーまるだしで新宿の書店で買い求め、いま読んでいる。終わったら書評を書きたいがどのようなものになるかはわからない。
 文学フリマ東京は、2004年から参加しているイベントだ。なんとなく雨のイメージが強いが当日は降らずによかった。会えてよかった方が大勢いたが、会い損なってしまった方もいた。来春やそのまた以降に巡り会えたら僥倖である。でも知らないことが多いほうがいいのかもしれない。


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