見出し画像

多和田葉子の話

二〇二二年十月二十七日

昨日は昼頃起き、駅前の書店で阿部和重の新刊を買った。他に『シンプルな情熱』『ぼくらの戦争なんだぜ』『小説すばる』(最新号)。帰りの駅で立ち往生するご老人を駅員さんに案内した。ポカリスエットを飲み干した。帰宅後遅い昼食を食べた。仮眠。二十時ごろ目覚めて夕飯を食べた。
さてTwitterアンケートで多和田葉子の話をしてほしいとの要望が多かった。というわけで今回は多和田の思い出を語ろう。スキマ時間にでもご笑覧ください。
一九九八年二月二十七日に多和田『犬婿入り』を読んだと昔の手帳にある。翌日に同著者『アルファベットの傷口』(『文字移植』に改題)を読んだとも記載されていた。私の記憶が確かならば両作ともに蒲田の図書館で借りて読んだはずだ。当時の仕送りやバイト代のほとんどは映画のチケット代とパンフレット代につぎ込んでいたから本はあまり買えなかった。福永信は阿部和重と多和田葉子がいま現在の作家であると『リトルモア』のあとがきで述べていたように思う。私も同感だった。九〇年代はとにかく阿部と多和田を貪るように読んだ。多和田の「かかとを失くして」「三人関係」「ペルソナ」『きつね月』『ゴットハルト鉄道』『ニーダーザクセン物語』(『ふたくちおとこ』に改題)『飛魂』。傑作と誉れ高い『聖女伝説』(『批評空間』一九九四年四月~一九九六年四月連載)は読んでいない。
二〇〇〇年刊の『光とゼラチンのライプチッヒ』(初出一九九三年)を二〇〇二年に帰郷後公民館で手にしてからはぱったりと多和田を読まなくなった。なぜミレニアム以後の多和田を読めないのか。多和田がローカルからグローバルの問題に舵を切ったからだろうか。うまく言語化できないので深堀は避けよう。
二〇〇〇年以降は多和田フォロワーが数多くデビューした。川上未映子(二〇〇七)諏訪哲史(二〇〇七)朝吹真理子(二〇〇九)黒田夏子(二〇一二)石沢麻依(二〇二一)など。彼らのインタビューや多和田との対談を文芸誌で読んだ。とても悔しかった。
二〇〇九年十一月九日。愛知淑徳大学で多和田葉子と諏訪哲史の対談があった。私はこれ幸いと馳せ参じた。「かかとのない人、アサッテの人に会う」と題されたこの模様は弊サークル発行『メルキド6』(二〇〇九)でルポにした。読み返してみると印象深い多和田と諏訪の言葉が刺さってくる。列挙しよう。

・「この言語では書けない」という挫折から文学は生まれる
・言語の内部に外国語を発見する(ドゥルーズ)
・読んだ本からなど自分以外から言葉を出す
 
私は外国語に不慣れだ。むしろ言語弱者のコンプレックスで日本語の文章を書いている節もある。ドゥルーズは「外国語のように母国語でどもること」といった。また「水で酔っぱらう」ともいう。日本語で日本語を壊すこと。外国語との断裂を書くこと。言い訳に過ぎないだろうか。
昨年多和田の『雪の練習生』(二〇一一)を読んだ。第二部「死の接吻」がとくに素晴らしかった。とはいえ二十年以上ぶりに多和田を読み終えたわけではない。川上未映子が「ゴットハルト鉄道」を全文筆写したことに発憤して再読したり、清水良典「かかとを失くして論」(『デビュー小説論』収録)を読んだり、多和田訳のカフカ「祈る男との会話」「酔っぱらった男との会話」(『カフカ』ポケットマスターピース収録、集英社文庫)を読んだりしたぐらいだが。これから『容疑者の夜行列車』(文庫化希望)や『ボルドーの義兄』などを読みたいものだ。
二〇一八年『献灯使』で全米図書賞(翻訳文学部門)受賞。そして今年も『地球にちりばめられて』で同賞にノミネートされた。新刊『太陽諸島』も楽しみだ。ノーベル文学賞受賞の呼び声も高まる。いちおう多和田の著作は一通りは揃えようとは努めている。詩集なども集めている。室井光広『多和田葉子ノート』などの評論を今後は手に取りたい。
二〇二〇年『ニュースウオッチ9』でドイツの自宅からコロナ禍について話していたのが印象的だった。二〇二一年同番組で石沢麻依が三・一一について語ったのも興味深かった。多和田と石沢のオンライン対談(YouTube)は観ていない。お二人の活躍は注視していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?