見出し画像

とりとめのない「文学の楽しみ」

永年の難読本については、樋口一葉が読めないのは古文だから、泉鏡花が読めないのは雅俗折衷文体だから、吉田健一が読めないのは長文体だから、と開き直ってきた。とはいえ樋口一葉の原文は読めずとも阿部和重現代語訳「わかれ道」は読める。吉田健一『金沢』『時間』は読めずとも「文学の楽しみ」は読める。だが泉鏡花に限っては無理だった。坂東玉三郎『外科室』(1991)さえ観ていない。かつて「泉鏡花が楽しめるなら院進の資格がある」というようなツイートに遭遇した。吉田健一は「文学は学問ではない」と述べた。初期のT・S・エリオットが提唱した「文学に文学しか認めないこと」だ。むろん泉鏡花の雅俗折衷文体に「学問」を見ず、「文学の楽しみ」で鑑賞するものはいるだろう。私はその人に羨望の眼差しを向ける。「文学を高等教育で学ぶこと」に何の意味があるのか。教育、教員、大学、教授、研究、学術論文、学会、紀要。私は通信制大学の哲学科で4年間学んだ。正直息苦しかった。近代的教育の虚しさを覚えた。他方で映画研究会の活動に精を出した。この感覚は現在の同人誌活動の基礎になっていると思う。大学教育の外で学ぶこと。学生の「自治と参加」だ。とうぜん社会人も例外ではない。機関や企業、家族や地域の外で活動すること。最近はインターネットとリアルワールドの交通について思いを馳せることが多くなった。振り返れば虚構と現実の往還の原風景は小学4年生で観た『ネバーエンディング・ストーリー』(1984)であろう。原作はミヒャエル・エンデ『はてしない物語』。母の知人から単行本を借りた。ウロボロスの環が装幀にあしらわれている「魔法の本」。最後まで読み切れなかったが大切な本になった。自分にとって本は魔法だった。異界、異者、異物。幼少期から思春期に実生活で数多く躓いた。友達ができない。勉強ができない。嘘を吐く。物を盗む。暴れる。本は逃げ場所だった。読んでいるとき別の世界にいた。読み終わったあとも余韻が続いた。病みつきになった。いくら努力しても成績の壁があった。中三で勉強を諦めた。家でひたすら映画を観て、本を読んで、音楽を聴く生活が続いた。15歳からいままで希死念慮は消えない。登校していたころはそんなものは皆無だった。本と映画と音楽が友達だった。くわえてゲームとアニメと漫画も好きなオタクである。19歳で大学の映画研究会へ入部した。世界がグンと広がった。恋をした。バイトした。夜遊びした。失恋した。21歳で郷里を離れた。映像の専修学校で学んだ。学歴の壁でバイトを落とされた。冷たい社会を知り、大学入学した。が、前述のように大学教育は厳しかった。必死で齧りついたが、そのうちサークル活動も苦しくなった。くるりが「絶望の果てに希望を見つけたろ」と歌っていた。復唱した。100Sが「いたい、いたい、いたい、いたい? そりゃ。そうだよ、当然、痛い」と歌っていた。復唱した。非人間性が求められるインターネットで人生を語ることはダサい。「文学は学問ではない」という確認から「人生の挫折」まで及んだ。学問はいい。学問はするべきだ。階級闘争のための『学問のすすめ』だろう。とはいえ「文学は楽しみ」だということは忘れたくない。10歳の15歳のあのころのように。そして高等教育の文学は一生後を引きずるものだと思う。人生において文学は何度も回帰し、あなたの生を彩ることだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?