日記(11/19)
2021年11月19日
明けて今日は古井由吉の誕生日だ。生きていれば84歳になる(2020年2月没)。古井は「遺稿」(『われもまた天に』)で「自分が何処の何者であるかは、先祖たちに起こった厄災を我身内に負うことではないのか。」と記した。この言葉を遺した後、世界がパンデミックの災禍に見舞われたのはなんとも宿命的なものを感じざるを得ない。そのコロナ禍は終息に近づいているのかリバウンドがあるのかは予測はつきにくいのだろう。とにかく決して予断は許されない。この20ヶ月程、様々なことを見聞きし体験してきた。幸い近親者にコロナ感染者はいない模様だ。果たしてこの経験で「厄災を我身内に負うこと」ができるのか甚だ疑問ではある。ゆえにコロナ禍を主題にした小説や映画を今後鑑賞したいという欲望を抱いている。感染症の小説はカミュ『ペスト』や大江健三郎『芽むしり仔撃ち』、ポー「赤き死の仮面」など読んできた。以前読んだ佐藤友哉『デンデラ』でも伝染病が蔓延した。だがもっとも考えさせられたのはコロナ禍緊急レポートのような体裁のパオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』だった。医学的なデータからイタリアの混乱、過去の自然災害などを新聞記事のようは速度のある文体で活写しているエッセイだ。日本では共著による「コロナ禍日記」という体裁の書籍が多数出版された。文芸誌ではいくつもそんな企画を掲載した。ご多分に漏れず弊サークルは同人誌でアフターコロナ書簡を編纂。それで僕のこれからの希望としては単著によるコロナ禍の体験記である。日本は東京オリンピックという超大イベントが特異な情勢下で開催された分、コロナ禍の検証書籍は待望されていると思う。でもあまり堅苦しい本ではないほうがいいかもしれない。わからないけど。
さて、昨日は10時ごろ起床してコンビニで文学フリマの宅配搬入をしてきた。その足で町内を散歩して自販機でアクエリアスを買って借家でポー『黒猫・アッシャー家の崩壊』(新潮文庫)を読み終えた。ポーは生と技の最高峰だろう。本宅に帰って、疲れてはいたけどファスビンダー監督『ヴェロニカ・フォスのあこがれ』(1982・西ドイツ)を観た。名画はまずもってショットが美しい。いろいろ活動したり鑑賞したりしていても実感としては我ながらなんとも腑抜けた人生だ。外で働いていない代わりに何かしたいと手を尽くしているのだが労働の機運は高まっている。ところが身体の節々で不調を来たしている。困ったことだ。来年は同人誌を4点刊行予定なのでこれがなんらかの仕事に繋がれば幸いなことだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?