日記(13)

2019年12月2日

 1994年と2014年のことをたびたび考える。前者は5月に阿部和重がデビュー、10月に大江健三郎がノーベル文学賞を受賞。コーネリアスのファーストアルバム『ファースト・クエスチョン・アワード』が2月に、小沢健二のソロアルバム『ライフ』が8月にリリースされた。大江以降の文化的礎がはじまった年といえる。僕はこの年の6月にダイエー岡崎店のアシーネでバイトをはじめた。同月、名古屋大学映画研究会に入部もした。まだ19歳で通信高校生だった。バイトの通勤電車では夏目漱石『三四郎』を読んでいた。あとは兄とレンタルビデオばかり観ていた。
 いっぽう後者の2014年。この年、ガルシア=マルケスが亡くなった。コルタサル、カサーレス、パスの生誕百年でもあった。僕はといえば、39歳でメルキド出版が十周年だった。文学フリマでPさんやウサギさんに出会ったのもこの年である。あれから早いもので5年が経った。二人と立ち上げた生存系読書会がことし終わり、協力体制からそれぞれの立ち位置で独自の道を探るフェイズに入ったと思う。
 ときどき十数年後、数十年後のことを空想する。たとえば2034年。僕は59歳だ。阿部は66歳、ハルキは85歳で大江は99歳。いったいどうなっているのだろうか。59歳といえば大江がノーベル賞を受賞した年齢だ。残り15年でそんな偉業が達成できるほど大した努力も出来ずに、日々Twitterと音楽に溶かされている僕の還暦間際は大丈夫なんだろうか。健康を害し死んでいてもおかしくはない。
 そんなに悲観的になっても、考えなしに楽観的になっても痛々しい。やはり本を読み、大いに怠け、金勘定をし、本を読み、盛大にハメをはずし、生活費に奔走、を繰り返すしかなさそうだ……

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