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『マジカント五号 東北/記憶』(2024年5月19日刊行予定)


装画:川田はらいそ

目次

短篇 菫辺喬大 地涌 
序論 沖鳥灯 常民の歴史 
論考 朝村甲人 哀悼の時間を歩く──石沢麻依『貝に続く場所にて』論 
論考 moka 読むことをよく味わうこと──石沢麻依「獏、石榴ソース和え」に関する些細なメモ・ノート 
論考 大沢野 櫻 イーハトヴとユートピア──二つの地名 
短篇 湯本実 灰で充ち満ちた街 
短篇 歌猫まり 赤べこ人間 
エッセイ 織沢実 竜飛行 
エッセイ 大沢野 櫻 略辞典 


目次

序論

常民の歴史


沖鳥灯


常民(じょうみん)とは、民族伝承を保持している人々を指す民俗学用語で、最初に使用したのは柳田國男である。「庶民」の意味に近いが定義は一定しない(柳田自身も明確な定義を示さないままであった)。

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革命、断絶、転向といったことばをきらう彼(※柳田國男)は、日本常民の歴史過程をも、また自分自身の生涯をも、断絶のない連続的進行と見たかったのである。彼が『読史余論』を否定し、「あのくらい有害なものはおそらくあるまい」と断定したのは注目に値する。新井白石が歴史を輪切りにして時代区分したことが承知できなかったのである。それは政治権力者の歴史であって常民の歴史ではない。

「解説」桑原武夫(柳田国男『遠野物語・山の人生』、岩波文庫、324頁)

かの過ぎ去った悲しく、また取りとめのない青春

魯迅『野草』

 いくつもの東北

 常民は過去のものではない。過去と未来の境界つまりは〈現在〉だ。むしろ来るべき常民なのだろう。未来の民族伝承とは何か。
 本誌は東北と記憶で〈公〉と〈私〉が〈共〉になる契機を探ろう。ローカルな文学は回想法により強度を増し、「ひとつの日本」の呪縛を解く。従来のオリエンタリズムから国際と地方の境界に新しい線を引く。ゲーテの画一的な世界文学に抗い「いくつもの東北」(赤坂憲雄)でローカルと内的領域によって交換価値の商品を使用価値の作品に再建しよう。東北はローカルに留まらず、記憶は内的領域で自己完結しない。ローカルと内的領域を世界と〈共〉にする文学。
 私と文学の出合いは小学時代のジュール・ヴェルヌ『地底旅行』(一八六四)とコナン・ドイル『失われた世界』(一九一二)だった。高校で読んだ魯迅は『地底旅行』の翻訳を学生時代に行っている。魯迅は一九〇二年に国費留学で日本へ渡った。一九〇四年、仙台医学専門学校(現・東北大学医学部)入学。後年魯迅と大江健三郎の深甚な影響関係を知った。魯迅は好きだが高校の自分はむしろ大江健三郎が苦手だった。蓮實重彦『表層批評宣言』(一九八五)のあとがきで「現代日本のもっともすぐれた小説家」と形容されて知った大江健三郎らしき作家は「目次に蓮實重彦の名前が印刷されているのを見ると、その雑誌を即座にくず籠に放りこんでしまう」と記されていた。十九歳で駅前の古書店で購った『見るまえに跳べ』(一九七四)の表題作とデビュー作が大江健三郎の初読だった。難解さと時代錯誤な感覚を抱いた。さらに彼の「破壊者ウルトラマン」(『世界』一九七三年五月号)の言説に違和感を覚えた。ウルトラマンシリーズは大江健三郎が批判するような排除の物語ではない。「ウルトラマン=米軍」VS「怪獣=異民族・異教徒・虐げられし者たち」という二項対立の背後には単一民族幻想に挑んだ沖縄生まれで本シリーズ脚本家の金城哲夫と上原正三がいたのだ(参照『映画秘宝 異人たちのハリウッド』収録「ウルトラマンと在日朝鮮人」切通理作)。琉球民族と共にアイヌも単一民族幻想を撃つファクトである。アイヌならびにカムイなどについては『マジカント六号』(二〇二六年五月刊行予定)で探究したい。
 東北と記憶のテーマで同人誌を作る企画は二〇二二年春に閃いた。3・11の代理表象で語られる〈東北〉へカウンターを撃ちたかったのだ。とはいえ始めに想起したのは志賀理江子『螺旋海岸 album』『螺旋海岸 notebook』(共に二〇一三)だった。『螺旋海岸 album』の表象を描写することは困難である。本稿では本書巻頭に記された言葉の引用で代行しよう。

いまだ覚めぬ
内へ内へ 一緒にしたら角が生えてしまう
もう目が見えない 私には角が生えていない バケモノと一緒に暮らした
千体地蔵 歌が誰にもわからない 夜中3時にラジオをイヤホン
朝いきなり死んだ 赤い犬の殺し方 白虎の歌も聴いた
同じ穴を何度も掘り返して 何度も言う 何度も帰ってきた
あのときはあった 髪は腐らん 30年経つと行ってはった
砂浜消える クジラが埋まってるっちゃ 駆け落ちする
誰もいない家 砂の人 小さな顔 ちよこちゃんちよこちゃん
沢山の私 亡骸と一緒に眠った 開墾 昏睡 手もねえ足もねえ
今すぐに写真とって なにもねえ 魚は魚 肉は肉
目隠しパイロット 針の山 メキシコへいく
真っ黒松林 山ツツジを食べながら帰った 皆さんさようなら
秘密どこ また物語できる メロン娘 黄色の花が好き
オルガンが弾きたかった キツネのよだれが光って
夢中で歩いた 埋まっていく ガラス越しのテレビ
波打ち際まで300メートル 夜中の嫁入り
めーいったわみえねえ
鶏は夜眠らない どこが家だがわからねえ 
(『螺旋海岸 album』)

 「本書「螺旋海岸」notebookの中心的内容は、せんだいメディアテークが2011年の東日本大震災より復旧して以降実施している「考えるテーブル」というプロジェクトのひとつとして、2011年6月から2012年3月まで行なった志賀理江子の連続レクチャーを再編したものである。/「考えるテーブル」とは、私たちの価値観を大きく転換する事態となった大震災から、どのように地域社会を復興していけばよいのかについて、多方面から思考し対話するための場である。志賀理江子の作品展は震災以前から計画していたが、震災という巨大な災禍を受けて、メディアテークでは新しい展覧会の構築方法を模索すべきだと判断した。/そこで、「考えるテーブル」をつうじて作家やメディアテークの意思をできるだけ公開し、ここに集まった人々の声を反映させながら展覧会や写真というメディアのあり方について共に思考していきたいと考えた」(『螺旋海岸 notebook』)。せんだいメディアテークの展覧会「螺旋海岸」ホームページでは「自らの生活環境や経験と写真表現を一体にしようと探究してきた志賀の現時点での成果を提示するものです。一九八〇年生まれの志賀は、快適に、整えられ自動化された日々の生活と社会に身体的な違和感を感じるところから表現を始めました。国内外で活動しながら、二〇〇六年の当館の企画展参加を契機に初めて宮城県を訪れました」とある。私は「あいちトリエンナーレ2013」で本展示を鑑賞した。志賀理江子という写真家を知ったきっかけだった。後年飯沢耕太郎『写真的思考』(二〇〇九)で志賀理江子を再発見して喜び勇んだものだ。『螺旋海岸』の写真からは「境界の民俗学」が浮かび上がる。

自然海岸の喪失は民俗学にとっても大きな損失である。かつては渚は現世と他界とをつなぐ接点とみなされ、そこに墓地も産屋も設けられた。来訪神や死者を送り迎える儀礼の場所が渚であった。海の彼方からよりくるものへの期待と畏怖の切実な情は日本人の心理の底ふかく宿っている。

『民俗の思想 常民の世界観と死生観』谷川健一、同時代ライブラリー、270頁

 二〇二四年一月一日能登半島地震が発生し、海の向こうではロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの紛争が激化している。たぶんに現在を戦時下と捉えて間違いはなかろう。いまこそ「境界の民俗学」=「常民の歴史」が語られ始めなければならない。
 太宰治は第二次世界大戦末期に故郷津軽半島を凡そ三週間かけてすみずみまで旅した。金木、五所川原、青森、弘前、浅虫、大鰐。戦時下に死を意識した太宰治が故郷のフィールドワークへ傾倒したことは、谷崎潤一郎が戦時下に『細雪』を孤独に書き継いだことと比較対照できよう。
 一六八九年に江戸を出立し、みちのくから伊勢へと旅した『おくのほそ道』(一七〇二)の松尾芭蕉句碑が私の地元にあった。「木のもとに汁も鱠も桜かな」(拳母神社)、「郭公招くか麦のむら尾花」(白髭神社)、「枯枝に鴉のとまりけりあきの暮」(巴川畔)。凡そ四〇〇年以上の時を隔てた言葉の旅路。「常民の歴史」とはまさにそういうことだと思う。
 ところで私のいとこは六〇年代生まれで筒井康隆の読者。オタク第一世代だ。東北大学理学部で学び、曾祖母の葬儀の際、宇宙飛行士になりたいと言っていた。現在は二児の父として一般企業の勤労者である。ちなみに筒井康隆『聖痕』(二〇一三)では東日本大震災の被災地が描かれた。この点は震災にコミットメントした小松左京と比較できよう。ほかに縁戚では樺太庁の役人がいた。祖母の自慢だった。そんな祖母が嫌いな私は学も職もない。とはいえ同人誌主宰は二十年持続している。
 そのほかで東北にまつわる印象的な名前は、石ノ森章太郎、大友克洋、宮沢賢治、ますむらひろし、後藤俊夫、大和屋竺、水木しげる、石川さゆりなど。それらの中で映画『マタギ』(一九八二、青銅プロダクション)の監督後藤俊夫と脚本大和屋竺に関して詳述しよう。エピグラフの桑原武夫の言葉を想起されたい。本作は「歴史を輪切りにして時代区分した(略)政治権力者の歴史で」はなく「常民の歴史」なのである。
 本作は秋田県阿仁町のマタギ(熊猟師)・関口平蔵(西村晃)と家族の人文地誌的作品である。巨大ワタリグマ(ツキノワグマ)退治に執念を燃やす老人の平蔵は『白鯨』のエイハブ船長や『老人と海』のサンチャゴを彷彿とさせる。平蔵のマタギの矜持は、200メートル射程以上のライフルで熊撃ちはせず、至近距離の弾三発のラッパ銃で熊を仕留めることだ。また倒した熊を山から下ろして解体するのではなく、山に埋めるという山神信仰をもつ。現代日本において熊は「害獣」扱いだろう。むろん猟師たちに平蔵のような山神信仰はなく、駆除・排除・排斥の対象として熊がいるに過ぎない。巨大ワタリグマは科学的・学術的に存在しないと場末の酔漢に平蔵は糾弾され、平蔵の孫・太郎は悔し涙を浮かべる。太郎はマタギ犬シロの仔犬チビを立派に育て上げ、平蔵と共に雪山へ入り、熊退治の手伝いを買って出た。終盤、積年の敵・ワタリグマは平蔵の三発の弾丸で仕留められる。が、現役の猟師たちで熊退治が成されないことに本作の特異点はある。存在しないとされた巨熊は、老人・子供・犬(未熟児として出生)、旧式の銃、平蔵の案山子(太郎の亡祖母が織った羽織)作戦によって達成されたのだ。社会の外の脅威を社会の外のものたちが一致団結し、危険と犠牲をともなって解決する。このことは本作が八〇年代の文部省、日教組、PTAから推薦され、小中学校で推奨された「教育映画」であった事実と響き合う。
 私は中学の学年集会で本作を鑑賞した。多くの生徒と共に体育館のスクリーンで体験したことは「トラウマ」となっている。むろん中学生の自分が、後藤俊夫が山本薩夫の弟子なのは知る由もないし、『ルパン三世』は観ていても大和屋竺は知らないわけだ。とはいえ十三、四歳の自分は激しく啓蒙された。八〇年代の監督や脚本家がどれほど高い志で映画を撮っていたか。しかも児童・生徒のための教育の一環として全身全霊を賭した仕事なのだろう。それは円谷英二や手塚治虫、石ノ森章太郎、大友克洋などの日本戦後サブカルチャーを牽引したレジェンドたちにも共通するところだ。私は浅学ながらその端緒を宮沢賢治に見ている。『注文の多い料理店』の「序」を引こう。
 
 ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
(略)
 わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
(新潮文庫、9─10頁)
 
 『マタギ』において、マタギ犬は終末の自身の亡骸を周囲に見せないために独り山へ入るという。東日本大震災の犠牲者の多くの遺体は行方不明のままだ。松尾芭蕉、柳田国男、魯迅、太宰治、志賀理江子、後藤俊夫、大和屋竺らが描いた東北の生と死。歴史的な書物や時代的な映像に残される人々の生と死、刻々の時間や風景。それは決して永続するものではないだろう。生きとし生けるものには必ず終わりが訪れる。私は「一個の人間」の前に「一匹の犬」でありたい。マタギ犬のように自然のなかで死にたい。ワタリグマのように雪山で埋まりたい。それこそが宮沢賢治の描いた「そのとおり書」くことだろう。想像と現実の世界をそのとおり生き、そのとおり死ぬ。東北の自然と人間を描く諸作品に見た普遍性はそのようなことであった。 

主な参考文献
柳田国男『遠野物語・山の人生』(岩波文庫)
魯迅『野草』(岩波文庫)
芭蕉『おくのほそ道』(岩波文庫)
赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』(岩波現代文庫)
太宰治『津軽』(新潮文庫)
映画宝島『異人たちのハリウッド』(JICC出版局)
『假面特攻隊』(二〇〇四年号)
志賀理江子『螺旋海岸 album』『螺旋海岸 notebook』(共に赤々舎)
谷川健一『民俗の思想』(岩波書店)
弘中孝『石に刻まれた芭蕉』(智書房)

詳しい内容紹介は5月予定です。





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