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神はポケットのなか

家の周りはとても住宅が密集していて、いわゆる下町という風情がある地域。
風情は俺が感じてるだけだけど。


それが故に、火災が起こると消防車が入れないので、火災現場一帯が火の海になるのだと危惧されている地域。
と友人から聞いたことがある。


つい先日は家の隣にある古い家屋に消防隊がわんさか流れ込んでいた。

それも深夜1時。


赤いランプがピカピカ光り、消防隊のオレンジの制服や救急隊の水色の制服がすりガラスの窓越しに右往左往していて、只事ではない騒ぎになっていた。


隣の家が燃えたら、うちも燃えるよな。
寝れないよな。
どうしよう。
でも明日は舞台公演の初日だしな。
寝たいな。
でも寝たら、二度と起きることなく、舞台の初日も迎えることができないかもしれないよな。
でも寝ないとな。
てかあのおばあちゃん大丈夫かな?
でもあのおばあちゃんはこの家には住んでないよな。
たまにこの家に来るくらいだもんな。
住んでる形跡はないもんな。
大丈夫だよな。
てか寝ないとな。


とか考えながら換気扇の下でずっとタバコをチェーンスモーク。


俺の口から出る煙が換気扇に吸い込まれる。
それを消防隊員たちに浴びせながら、申し訳ない気持ちと、初日前夜なのにぃ〜という不安を感じながら事がおさまるのを待った。


幸い火災はなかったようで、翌朝家を出ると古びた隣の家はいつもと何ら変わらない様子で佇んでいた。
何勝手に騒いでんのよ!と言わんばかりにどんと居る。



そこの所有者であるおばあちゃんのような、古くておくゆかしい一軒家。


外に錆びついた螺旋階段がある、かつてはスナックだったのであろう一軒家。


天気の良い日には玄関前でおばあちゃんが日向ぼっこしている。
古い家と一緒に日向ぼっこしている。
まるで長年一緒に連れ添った犬であるかのように古びた一軒家と日向ぼっこしている。


建物もこれまでの歴史や人の匂いが染みつくと生き物のよう。


住んでいる地域の周辺では、ここ数年の間に古い家々は取り壊され、大きな道ができ、至る所で空き地が目立つようになってきた。


帰り道や近所で、毎日家が取り壊され、空き地になったかと思えば、次は違う家が取り壊されている。
本当に次々と家が解体されて、新築のマンションや一軒家になっている。

死と生がひたすら繰り返されている。



壊されるのは本当にあっという間で、無くなって空き地になるとどんな家だったかなんて思い出せない。

新しい家が建とうものなら、ずっと昔からそこに居たかのように感じさせる。

人の記憶は曖昧なもので、過ぎたことはあっという間に改ざんされてしまう。

好きだった風景を慈しむ暇もなく、どんどん昔になる。


自分がどう生きようとそんなのはお構いなし。全ては流れていく。

自分も忘れてしまうし、そもそも忘れてしまうのは無関心であったのだろうし。


今起きている現実を直視するけど、起きる以前には気にも止めていなかった。
のに、その今を直視してどうこう思うってどうなのかね。


消防隊の騒動に群がる野次馬。

一歩引いたところで見物する第三者。

スマホ越しに現実を見る傍観者。

部屋越しに消防隊へタバコの煙浴びせる無関心論者。


神社や願掛けは好きなのにねぇ。
神様は見ておられるよねぇ。
都合のいい時だけ神頼み。
無関心でもブラックホールのような画面撫でてりゃモウマンタイ。
全知全能のこのブラックホールにお賽銭。

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