思いやりという怖い槍

とある日の某沿線で優先席に座っていた部長クラス年代の男性が立ち上がり、目の前に座っているおばあさんに席を譲っていた。


おばあさんはお孫さんと思わしき二人の大学生くらいの女の子と一緒にいて、席を譲られたことに
「譲られちゃったわよ〜」
と、少々恥ずかしそうにしながらお孫さんと話していた。
そして席を譲った部長年代男性との会話は和やかな空気で微笑ましかった。

部長男性の声が異常に大きいなとは思ったが素敵な場面を見れて、自然と微笑んでいた。


おばあさんが座ろうとすると、部長年代おじさんが
「普通は若い人が譲らないといけないんだよ。なんで譲らなかった?」
と周囲に聞こえる声で、隣に座ってスマホをいじっていた若い女性を問い詰める。


若い女性「お腹がいたいから」
一瞬、車両内に変な空気が漂った。

あぁ。部長男性やっちまったなぁ。
女の子かわいそう。
嘘で乗り切ったな。
部長男性どうすんだこのあと。
謝らないとな。

その場にいた人たちの様々な思惑があの瞬間の間に詰まっていた。


本当にお腹が痛かったかもしれないし、そうではないかもしれない。
真意はわからないが、もう仕方ない。


課長男性「お腹痛いくらいで座ってんのか」


小劇場なら楽々響き渡る声量で、若い女性をさらに詰める。
自分の意見をぶち通した。

おそらくこの部長男性は女性のお腹痛いというのは嘘だと決めつけているであろう詰め寄りかた。


こうなると譲られた側のおばぁさんも気まずくなり、譲られた席には座らない。
その席から少し距離を置いて孫たちと知らん顔。
そりゃそうだ。嫌だろ。あの空間で座ってられるか。


微笑ましい光景が、一転して殺伐な車両となってしまった。


他人を思いやるのは素敵だったけど、それを正義として他の誰かにも強要するのは寒いよね。

部長男性時代の言葉で言わせてもらおう。あなたは寒い!

これだけ寒けりゃ、そりゃお腹痛くなるよね。


自分は席を譲ったんだ!という大義名分の元、年長者、男性という力を存分に使い、若い女性(体調悪い)を劣勢な空間にさせた、大声のパフォーマンス。

その女性は頑としてその席から動かないという、肝が座っている人でしたが。
動けなかったのかもしれないけど。

結局何が言いたいかと言うと、、俺はこのやりとりを聞きながら

「ちょっと待てよ」と
「あなたが席を譲った。それだけでかっこいいじゃないか」と

これを言いに行こうとしても、面倒に巻き込まれるのを恐れてやめてしまった。

こういう原理で集団は無意識にハラスメントに加担してしまっているんですね。

ごめんね。あの若い女性。

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