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今まで何気なく見ていた景色

 この3月で3年間勤めた仕事を退職した。4月に入ってそれまで使っていた保険証を職場に返還しに行った帰り、毎日の通勤途中で気になっていたお寺に寄ってみた。行きに通ったときに桜がきれいに咲いていたので、それを見たかったというのもある。

 場所は西新橋から虎ノ門にかけて。JR新橋駅の南西側で、慈恵医大病院付近と言ったらいいだろうか。周辺は虎ノ門ヒルズや愛宕グリーンヒルズなど高層ビジネスビルが林立する地域である。そのビルの間にぽっかりと静寂なお寺がある。

 そのお寺は青松寺という。お寺の山門が都道301号線(日比谷公園につながる道)に面しているのでわかりやすい。寺の前に行くと、まるで「入っていいよ」と言わんばかりに道路に対して門が開いている。門には青松禅寺と大きく書かれた額がかかっている。石段を登って門をくぐると、満開のしだれ桜が寺の奥の方にひょこっと見える。その姿がなんとも言えず美しい。

青松寺 正面から。奥の枝垂れ桜がひょこっとのぞいている。


 桜を見ながらうろうろと歩いてみるが広い境内に誰もいない。しんと静まりかえっている。周りを見上げると高層ビルに囲まれている。寺の前の道路は車が多く行き交っているが、寺の中は外の喧噪をシャットアウトしている。ただただ静寂。通勤時は山門を見ながらその前を通るのみだったが、中に入ってみるとこんなに静かだったんだと改めて気がついた。

 普段、職場の行き帰りに前を通るだけなので「早く職場に着かないと」「早く家に帰らないと」などと時間に追われていると、この寺が視界に入っていてもゆっくり訪ねることができないでいた。それが心残りだった。退職して、もう職場に来ることはないとわかっていたので絶対行ってみようと思ったのである。


象は仏様の乗り物と言う。象を見ているとなんとなくほっとする。

 咲き誇っている桜を一人で見る。なんて贅沢な時間なのだろう。少しの間、桜の花びらがひらひらと落ちてくるのを惜しみながら、境内で桜を楽しんでいた。

 行ってみてよかった。気になっていた寺を訪ねるなどは小さなことだが、私にとっては2度と来ることのないだろう場所なので来た意義はあった。お寺の静けさにも気づけたわけだし。

 毎日通っているときはお寺のことはお寺の名前や場所しか知らなかった。しかし、ここはもう通らない、自分は退職したのだと意識したら、なんだか大事なものを手放したような気分にもなった。もう、あとがない。

 失くしてみて初めて人はその物事の大切さに気がつくというが、まさにそのことなのかもしれない。仕事を辞めたのは次へのステップに行くためであり、さらに上に上がっていこうとする自分自身の希望ではあった。次にはいいことが待ってるかもしれない・・・と思いたいが、努力あるのみ、努力しても報われない艱難辛苦の道しかないかもしれない。今までの職場にいたら当分安泰だっただろう。でもやりたいことはできないままだ。

 自分の成長のために前に進むしかない。このお寺に来たのは、こんなささやかな自分の意思決定を、無意識に自分で叱咤激励する意味があったのかもしれない。今後への大いなる希望が、桜を見ることに込められているのかもしれない。

 ま、だめでもいいじゃない。素敵な桜とお寺の存在を認識できたのだから。また機会をつかんで再チャレンジすればいい。

 などと考えながら、数分間の思索を終えた。


借景が高層ビル群。桜を下から見上げると華やかさが広がる。

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