Face to Fate

こんにちは.
いままで散々生死観をつらつら書いていましたが,
先日,祖父が亡くなりました.

一番下は48番の記事

まぁ,他人(身内)の不幸をネタに書くのは
どうかという話もあるのですが,
経験と表現の輪廻だって自然の摂理だと思うので
気にしていません.


物理的変化

精神的な部分から話し始めるのは
自分らしくないので,
観測して"あれ"と思った部分を調べてみました.

死斑

納棺だったので全身に対面する
最後の機会だったのです.
顔は化粧で生気らしく,四肢はやせ細って
白くなっていたのですが,指先だけ赤かったのです.
調べてみると死斑というもので,
血液循環が停止したあとに
色素が沈殿することでできるものらしいです.
でも彼は仰向けだったはずなので,
重力的な沈殿というより
毛細管現象で残った部分なのかなと
素人ながらに推測しました.

死後硬直

死後,数時間から3日くらいに筋肉が
緊張した状態で固定されること
ということは知っていましたが,酸素供給がなくなり
好気性の活動より嫌気性の活動が優位になるから
らしいです,
今回は時間が空いていたので嫌気性の活動も
終了し弛緩した状態でした.

死冷

恒温動物の筋肉などによる発熱がなくなるため
深部体温まで外気温と同じになるのです.
やはり温かいはずの体がそうでないと
異様に冷たく感じました.

社会的死

やはり,上記の記事(2つめ葬儀,3つめ#48)に
あるように生物的な死と社会的な存在意義の死は
かなり別物で時期も違うものだなと
改めて感じました.
個人の感想としては非常に費用のかかる
葬式パックだと思ったのですが,
社会的死に重きを置く人はこだわるのも
理解できます.

現代に適応

それにしても,今回は細かい所作や手順などを
解説しながらだったので
宗派的な供え物や三途の川用装備などの話を
聞いたのですが,
例えば火葬するため六文銭は印刷になったり,
三角頭巾は顔のイメージが変わってしまうので
被る傘にとりつけたり
現代のニーズに対応して柔軟な解釈を行っている
ところが日本的で興味深かったです.

特に,"足元が寒くないように足袋を
履かせましょう"と言った10秒後に
ドライアイスを山々詰めている状況はとても
物理世界と精神世界との差を感じました.

時代が変わってもそれに追従していく
弔いの形を目の当たりにした納棺でした.

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