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引退宣言

皆さんこんにちは^ ^

この度、夫の増田繁人が13年間の現役生活にピリオドを打つことを決めました。


引退というと悲しい響きのようではありますが、
今回私が記す内容はもしかすると皆さんが思っているような泣ける内容ではなく、
家族側から見ていたどちらかというと笑い話のようなここまでの歩みをざっとお話しして彼の次へのステップへのはなむけの言葉にしたいと思います。


まず、彼がファジアーノ岡山に移籍してきた2018年、元々地元のテレビ局でアナウンサーをしていた私はファジアーノ岡山の応援番組を担当することとなりサッカーを勉強しはじめました。なのでサッカーのことはほとんど知りませんでした。

当時はピッチに立っている時の選手のことしか知らなかったので
サッカー選手は残業もないし
練習も1日2、3時間。
ピッチでサポーターの人に応援してもらいながら大好きなサッカーができて幸せだな。くらいに思っていました。


そんな素人感覚だった私にとって
彼との結婚生活は衝撃の連続でした。


そもそもの大前提として
私が彼と結婚した2019年彼は原因不明の膝の痛みを抱えていて日常生活では自転車にも乗れないし階段も一段一段足を引きずりながら降りている状態でした。


それなのに、週末にスタジアムに行くと
ピッチに立っている彼。


痛そうなそぶりもなく、跳んだり走ったり、跳んだり、跳んだりしている彼を見て頭の中はハテナマークでいっぱいです。


膝も曲げられないくらい痛いのになぜ走ってるのだろう?
痛くて堪らないはずなのになぜ平気なふりをしているのだろう?
この先の試合はどうするつもりなのだろう?


その時初めて、選手たちは本当に言葉通りの意味で目の前の試合に選手生命を賭けて出場しているんだ、と知りました。

練習は週6日、約3時間。
午前中には練習が終わることがほとんどです。

けど現実は違いました。

朝、練習の時に一番いいコンディションに持っていくため今日の体の調子を把握してトレーニングや治療、交代浴を2時間かけて行いそれを終えてやっと練習がスタート。

練習を終えたら、回復のために時間を割きます。

治療やマッサージ、日々のサッカーノートを書き
夕食は夕方5時。

食事は栄養摂取と考えているのですき焼きが食べいたい。なんてリクエストはなく
今日は練習がハードだったからタンパク質とビタミンとミネラル多めでお願い。と栄養素で要求される始末。

体重が落ちやすい彼は食事の途中で体重計に乗りに行き、夏場の食事は1日4回。


その後、お風呂に入り針治療とストレッチに1時間〜1時間半ほどかけて就寝。

毎日毎日、この生活。
サッカーのために生きています。

なんなら痛みを多く抱えている彼は、痛みが出ない歩き方や重心の掛け方、姿勢まで毎日意識して生活していました。スーパーで買い物中、不意に彼を見ると謎な体勢で重心の掛け方を研究する姿を幾度となく目撃してきました。笑
おそらく私と話している時も頭の中の3割くらいは自分の体のことに意識が向いていたと思います。(話しながらふくらはぎの裏とかよく触ってたな。)


おっと、段々と悪口になってきたのでこれくらいにして・・・笑


秋田でプレーしている時はその後両足首の手術をすることになりましたが
その時はもう日常歩行でも痛みがひどい中、試合に出場していました。

練習が終わる度に腫れ上がる足首。


もう限界でした。

やっと手術に踏み切った時も手術予定時間を大幅に超えた手術後、先生からは『これでよく歩けてたね。今までで一番ひどい症例だった。』と一言。

先生!この人これでボール蹴ってたんですよ!!!と心の中で叫びながら、
麻酔で眠っている彼を睨み付けたのを
今でも覚えています。笑

だから、ピッチに立つ姿を見る度に
嬉しさよりもいつも不安な気持ちでいっぱいでした。

家では足を引きずっているのに
彼が跳んだりスライディングをする度に胸が締め付けられましたし
少しでも足を気にするそぶりがあれば試合中心配でたまりませんでした。
試合の90分が私にはとてもとても長かったです。

振り返ると、試合を楽しく観れたことはほとんどなかったように思います。

一番の謎は、それでもサッカーをやりたいと思う彼自身なのは言うまでもないですが・・・笑


もう辞めたら?と何度も喉元まで出かかったけど
結局、本人の前では一度も言えなかったなぁ。


必死な相手を止めることってできないですよね。だって本人本当に必死だったから。笑


痛みがとれない日々の中でも、
最後まで笑顔で頑張ろうと彼が決めるから
私も笑顔でそばにいました。

でも、
大切な人が毎日痛みと闘っているのも
体がどんどんボロボロになっていくのも
そばで見ているのはなかなか辛かったです。



だから正直、
私はサッカーが好きではない!むしろ嫌い!!笑


なので、彼から引退の意向を告げられた日のことは一生忘れられません。
じんわり涙が出ました。嬉しくて。

やっと、もう毎日痛みと闘わなくていいんだって。ほっとしました。

それでも彼のサッカー人生で
彼は一人の人間として大きく成長させてもらって
私が好きになった彼の人間性も
そのサッカーによって培われたものだとすると
サッカーは嫌いだけど、やっぱりサッカーには感謝しないといけないんですよね。



不本意ですが、サッカーありがとう!!!


そしてもう一つ。皆さんにお伝えしたい感謝があります。

実はプロポーズをされた時も、
『多分俺は体的にもう今年で最後だと思ってる。最後までやりきれるように見守ってくれたら嬉しい。』と言われて結婚しました。

それから早5年。当初の宣言よりも長く選手生活を見守ることとなり、
プレーを続ける彼をそばで見てきました。

私が見てきたのは彼の競技人生13年間の半分にも満たない期間ですが、
それでも彼の日々の取り組み、壁に向き合う誠実な姿勢、成長しようとする意欲を誰よりも一番近くで見てきました。


もう絶対無理だ、と思うことは幾度となくありましたが
その度に周りの方々からの声援やサポートを得て、その想いをしっかり糧にし日常に落とし込み努力する。

手前味噌にはなってしまいますが、
本当に応援しがいのある選手だったなと思います。

なので今まで一言でも彼に声援を送ってくださったサポーターの方々、
そして治療に携わってくださった方々には心から感謝しております。

皆さんからのエールはしっかり彼に届いていましたし、彼はそれを毎日のエネルギーに変え、きついリハビリに取り組み続けていました。

彼が限界突破(私のカウントでは少なく見積もって3回。笑)できたのは、
紛れもなく皆さんのおかげでしかありません。

本当にありがとうございました。

今回は彼を例にお話ししていますが
これまでたくさんの選手とお会いしお話を伺ってきて、
人それぞれのストーリーはあれど皆さん命懸けでサッカーと向き合ってこられたんだと感じる方々ばかりでした。
ある人は、どれだけ痛くてもスパイクが履けるならそれはやれるってことだから。とおっしゃっていました。

それくらい選手たちは皆さんの前でいろんな不安や葛藤、時には痛みを抱えながらも自分自身を鼓舞し全身全霊でプレーしていることを改めて感じてもらえたら嬉しいです。


そして彼が老後も自分の足で歩けるように
これからもそっと見守って下さると嬉しいです。ダメだったら一緒に車椅子押してください。お願いします。笑

長くなりましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

これから始まるJリーグも、
全力で応援していきましょうね!!

そして、最後にはなりますが
彼の第二の人生も温かく見守っていただけると幸いです。

これまで本当にありがとうございました。


夜の公園(私まで何で走ってるんだろう?笑)
最後にはいつも笑顔な夫。
心配でたまらなかったけど
私も意外と楽しそうな顔してますね。笑

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