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トルコがソープに変わった日

 トルコがソープに変わった日のことを覚えているだろうか。
 事の発端は1984年9月、一人のトルコ人青年が「愛する祖国の名前が、いかがわしい風呂屋の名前になっている」と当時の渡部恒三厚生相に直訴。それを受けて渡部氏は「貴国の風呂とは何の関係もないのに、いつの間にか俗称が使われている。いますぐ行政の力で命令することはできないが、自粛するよう呼びかける」と約束した。
 厚生省は、公衆浴場に外国の国名、地名、人名を使わぬよう都道府県に通知。一方、東京都特殊浴場協会はトルコ風呂に代わる新しい名称を一般公募、同年12月19日に新名称「ソープランド」が発表された(以上、1984年12月19日付朝日新聞東京夕刊および1985年1月25日付朝日新聞東京朝刊より)。

 この手の“上からお仕着せ”的な名称はなかなか定着しないのが世の常だが(例:E電)、トルコ→ソープについてはかなりすみやかに入れ替わったような記憶がある。業界関係者も客であるオヤジ連中も「言われてみればトルコ風呂ってのも変だよなあ。トルコ人青年がそう言うなら、ここはひとつソープってことでワシらも一肌脱ごうじゃないか!(風呂だけに)」って感じだったのではないか。

 というわけで、この一件は私のなかでは「ちょっといい話」の箱に入っているのだが、先日、ちょっと戸惑う出来事があった。『野性時代』(角川書店)の連載「やりすぎマンガ列伝」(南信長名義)で、本宮ひろ志『硬派銀次郎』について書いたところ、校了ギリギリになって編集者から次のような連絡が来たのである。
〈「トルコ嬢」という表現が国際関係への配慮から「ソープ嬢」と言い換えられるようになって、現行の集英社文庫版では、ネームが差し替えられています。編集部としても、「トルコ嬢」のままで掲載するのはよくないとの判断をいたしまして、このマンガ引用部分1ページを集英社文庫版に差し替え、本文およびキャプションの「トルコ嬢」を「ソープ嬢」と変更させていただきたいと思います〉

 何のこっちゃとお思いでしょうが、主人公・銀次郎が長屋の存続を賭けて極道チームとアメフトの試合をするエピソードで、極道チームのチアガールとしてトルコ嬢が登場するのだ。原稿でそのシーンのことに触れ、図版も引用した。私が資料として用いたのは1976年刊の単行本で、そこでは当然「トルコ嬢」と記されている。それが96年刊の文庫版では、きっちり「ソープ嬢」に差し替えられていたのである。
 うーん、国際関係への配慮はわかるけど、そこまでする必要あるのかなあ。この作品の時代には「ソープ嬢」なんて言葉は存在しないわけだし、どうも違和感を覚えてしまう。まあ、「トルコ嬢」だと逆に若い読者に通じない可能性もあるし、妥当といえば妥当な措置なのかもしれないが……。

 イマイチ釈然としないながら、「『トルコ嬢』のままで!」と強く主張する理由もないので先方の方針に従ったが、このように「文庫版では差し替えられてた」という例は少なくない。
 アニメの再放送では「ピー」が入ることで有名な『巨人の星』の「ぼくの父は日本一の日雇い人夫です」のセリフも、文庫では〈日本一の日やとい労働者です〉になっている。これは、ブルジョアの子弟が集う青雲高校の面接で、父の仕事を問われた飛雄馬が誇りを持って答える名シーン。差別的視線を浴びていたからこそのセリフであり、そこで「人夫」(一発変換では「妊婦」としか出ない!)を「労働者」に言い換えることに何の意味があるのか。ましてや音声を消すなんてのは、それ自体が差別意識の表れ。トルコをソープに言い換えるのとはわけが違う。

 ちなみに、トルコ風呂改称に尽力した渡部氏は、トルコ政府から招待されて同国を訪れた。それを報じる記事(1985年1月25日付朝日新聞東京朝刊)の書き出しは渡部氏の「トルコへ行ってくるよ」というセリフ。何となく記者のドヤ顔が浮かんでくる。

(※当記事は「季刊レポ」が発行していたメルマガ「メルレポ」2012年7~9月配信分を再構成して掲載しています)


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