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感想【タイぐるり怪談紀行】

著;バンナー星人

私は怪談が苦手だ。スプラッタもNGである。ホラー映画を好んで観る人間の気が知れない。…と書いてはみたが、怖いもの見たさで読んでしまう、観てしまうのが人間である。

昔、夫がまだ彼氏だった時分、一緒に「SAW」を観た。言わずと知れたスプラッタ映画の代名詞であろう。しかし直視できない私は映画の半分くらいは両手で顔を覆っていた。怖くないシーンになったら教えてね、と夫に言って寄り添い映画を観たあの頃が懐かしい。夫はそんな私をか弱く可憐な女性と思っていただろうか。一生こいつを守ってやりたいと思わせただろうか。しかし私は計算でも何でもなく、素で苦手なのだ。「SAW」においては映像こそ観てないけれどおどろおどろしい音は聞こえてくる訳で、隣で平然とそれらの映像を見続けている夫に「こいつまじかよヤベェな」と思った事は秘密である。

「SAW」は人間の仕業だ。ジグゾウめが悪いと判っている。けれど人間以外の存在による恐怖はなす術が無い。マイケルジャクソンの「スリラー」でさえもちょっと怖い。アメリカのホラーは心臓に悪い。
自国のホラーも苦手だ。「リング」と「仄暗い水の底から」を観た後で、私は一生ジャパニーズホラーは観ないと誓った。日本のホラーは湿っていていやらしい。ねちっこい。ホラー映画の場数を踏んでいないからなんとも言えないが、日本のホラーが一番タチが悪いと私は勝手に思っていた。

そんな経験から、タイホラーはあっけらかんとしているだろうと勝手に思っていた。私が好んで観るタイBLにも時折ホラー描写が出てくるが、そのどれもが可愛いものであった。タイ BLドラマ「LovelyWriter」のホラー描写はあそこまでのホラー要素を取り入れる必要性が理解できず、別の意味で怖かったが…。タイ人はやるとなったらとことんまでやる民族なのだろうか。しかしまぁ、ドラマレベルの怖さであるなら私にも耐えられると思った事は確かだ。
どこかタイホラーに対して鷹揚と構えていた私だ。日本のホラーの右に出るものはいないだろうとたかを括っていた。しかしバンナー星人さんの「タイぐるり怪談紀行」を読んで後悔した。普通に怖いだなんて聞いてない。特に死者の存在が生者の世界と境界を曖昧にしていて、超常現象をタイ人がすんなり受け入れている点が既に怖い。精霊信仰があるとは聞いていたが、ここまで深く精神に根付いているとは思わなかった。(この場合の精霊と幽霊を一緒くたにするのはいささか乱暴であろうけれど)
幽霊、妖怪、呪術、そのどれもがまだタイ社会で呼吸をしている。
タイの方々の精神的な部分に触れ、怖かったけれど満足した私は後書きを読んで後悔することになる。ネタバレになるのでここでは書かないが、この本で一番怖く、かつ人間らしい感情を伴いつつも日本人には理解しづらい感覚を持ったタイ人の姿がそこには描かれていたからだ。上座部仏教の教えが支配するタイにおいて、輪廻の思想は生活に根付き、今生への執着を持ってはいけないものだと私は思っていた。遺灰を火葬場の庭に巻いて帰る方もいると聞いたくらいだ。今生の肉体に執着はないのかと思いきや、後書きに書かれていたそうではない場合の極端な例に唸る他無かった。母の愛情という点においては理解できる。…けれど。
後書きが気になる方はどうか実際に読んで頂きたい。この本は推しの国の精神世界に旅立てる一冊である。

読了後、私のタイ語の先生にこの本の話をした。先生もこの本の存在は知っていて、「まぁでも…タイ人みんなが怖い話を好きなわけじゃない」と言っていた。肩透かしを食らった私は他愛無い雑談の中で、怖い話に特化したタイのラジオの話を振ってみた。この本によれば、月曜から金曜の深夜10時から午前3時まで毎日生放送で怖い話の体験談が放送されているという。本当にそんなご長寿ラジオ番組があるのか?と。別にそのラジオの存在を疑っていた訳では無いのだが、怖い話が好きな国民性の出身でありながら、どこか怖い話に冷めた視線を送る先生にこの話を振ったらどう反応するのか気になったのだ。
あろうことか彼女はこう言った。

「あぁ!そのラジオは私も聴いてますよ」

しかも続けてこう言うのだ。

「昔、私が母と一緒にホテルに泊まった時、少し心霊現象に遭った。それは…」

たった今冷めた視線で「タイ人全員が怪談を好きと思うなよ」と言っていたかと思いきや、持ちネタのホラー話を披露してしまう。
タイ人とはげに興味深い人達である。

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