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女性国会議員を定員の半数にする案件のアレコレ

今回も面倒な案件に首を突っ込んだホイルです。

世界経済フォーラムが「ジェンダー・ギャップ指数2020」を公表
内閣府男女共同参画局総務課

上記の結果(順位は153か国中121位)を受けて盛り上がりをみせてる『女性国会議員を半数に』という主張について幾つかの論点とそれに対する意見をつらつらと書いてみます。

大前提として『衆議院の女性議員率が9%と著しく低い、参議院だけを見れば2019年の選挙では28%が女性なのですが、とはいえ、これでも世界基準の男女均等には程遠い』事に留意。

Ⅰ.何故『女性国会議員を半数に』と求められているのか。

意外とこの【そもそも】が浸透していない事を実感したので先ずはココから。

① 内閣府男女共同参画において【国際規範・基準】を守ると決定されたから。
 単純に”お上のご意向”が一つ目。
 ソコには【女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(CEDAW)】なんてものまで存在してたりします。

② 日本では政治家という職業自体が家庭との両立を前提にしていない
 不規則な勤務時間、対面式の選挙活動、小選挙区制における枠の問題(党の代表は1人だけ、そこに新たに女性が入り込める枠はなかなか空きません。)

③ 人口の半数が女性なら議員もそうあるべき。というべき論。
 ココで【能力優先であるべき】というべき論を反論としてあげてみよう。
 ①では国策として決定されているのに②のように女性が参加し辛い環境下で【能力優先であるべき】とするのは合理主義に偏り過ぎではないだろうか?

 そもそも【政治家】の〈能力〉(政治力)とはなんなのだろう?
 政治学者である菅原琢氏の記事から引用してみる。

一般的な意味での“能力”について考えてみましょう。例えば身体の大きさは平均的に見ると男性の方が大きいことはよく知られています。筋肉量も違います。結果、たとえば100メートル走の世界記録は男性の方が速いわけです。その一方で、みなさんの周りの方々を見てみれば、階段を軽々と上る女性もいれば、すぐにバテる男性もいるはずです。
レスリング五輪メダリストの名前を出さなくとも、これをお読みの男性の方々よりも身体能力に秀でている女性が周辺に当たり前に存在することは、日ごろの経験から理解できるものと思います。人間の性別格差のうちでも明確に差がある身体に関する能力でさえ、女性と男性という群の差以上にそれぞれの性別内の個人間の差が大きいようなことは往々にしてあるわけです。
そしてこれが社会で必要とされる人間としての能力となれば、性別格差よりも個人差が大きい傾向はより一層強まります。多様な能力に関して、自分よりも高い能力を一つでも持つ女性に出会ったことがないという男性はまずいないでしょう。政治に関する能力は男性のほうが女性よりも高いと当たり前のように言う人は、男性議員率が高い日本は女性議員率下位の他の国々と並び、政治に関して“先進国”の側にいると本気で思っているのでしょうか?

 性差よりも【個人差】というモノを採用するなら”議員候補の選定の際に本当に政治力を重視しているなら、もっと女性議員率は高くなっているはず”と菅原琢氏は主張する。

④ マイノリティーが3割になるとカルチャーが変わる。
 ビジネスシーン等でいわれてる事ですが少数派が1割の時には多数派に潰されがちな意見でも3割を上回ると採用されやすくなり【カルチャーが変わる】とされています。

 政策を通す為、多数派に譲歩しがちだったモノもよりストレートに機能するようになるでしょう。

まとめると。
❶ 国策案件である
❷ 男性に有利な選挙システムである
❸ 【個人差/能力主義】を本当に重視するなら❷を改善して有能な女性を                  政治の場に出しやすくするのが【合理的判断】ではないか?
❹ 政界のカルチャーを変えよう

Ⅱ.『女性国会議員を半数に』に対する反論

また『選挙で選ばれるのだから”下駄を履かせる”のは不当だ』という意見もある。
 別の視点で見ると②で”下駄を履いてる”のは男性議員だとも言えるのだが更にもう一歩進んで【下駄が機能しない選挙制度】に変更すればよいと僕は考えます。

 例えば男性議員への票と女性議員への票を其々有権者に与えるなど。(有権者は2票持つ事になる) 

 そもそも《選挙で当選する》というのは有能/優秀だから当選するのではないという事は理解して頂きたい前提です。
 現実的に玉石混交となるのが【選挙】でありその結果も又、玉石混交になってしまう。
 ソノうえで単純に『クォーター制』ダケを導入すると本来受かっていたはずの男性議員が足切りになり【逆差別】と批判される事は容易に想像できますし既にその懸念は表に出ています。

 しかし最初から男性候補者は男性候補者と競い、女性候補者は女性候補者と競えば良いのではないでしょうか?
 そうすれば『女性に足切りされた』という話では無く『男性候補者の中で当落が結した』となるので。

誤解して欲しくないのはこの案は『① 内閣府男女共同参画において【国際規範・基準】を守ると決定されたから。』を【達成するには】という条件付きの意見であるという事です。

そもそも『【国際規範・基準】を守る必要が無い』という意見もあるでしょう。
その場合は『批准を取り消せ』というのが先ではないかとは思います。

既に動き出してる流れに逆らう自由はあります。

ですが決定された目的を達成する為に【逆差別】が生じない選挙システムを構築する事。
 ソノ事を論じ合う方が【建設的】であると僕は考えます。

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