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東大寺の転害会、正倉院


朝早く起きて阪神御影駅から近鉄奈良駅へ。その後バスで東大寺大仏殿まで慣れた足取りで向かう。行きの電車の中から子供達が先生に引率されてどんどん入ってきて遠足の小学生だらけの東大寺。大仏さんも賑やかで喜んでいるだろう。

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この日のメインの「転害会(てがいえ)」は1年に一度、10月5日の東大寺の手向山八幡宮で行われるお祭り。今年はコロナで縮小されているものの、法華堂の隣の手向山八幡宮で神事が行われているのでまずそちらへ行く事にする。着く少し前から雅楽が聞こえてきて期待が膨らむ!舞台の周りには2.30人の観客と関係者たち。「手向山八幡宮」と書かれた法被のおじさんも数人いて祭り感を少し感じることができた。

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この神社は749年の東大寺大仏建立のため、九州の宇佐八幡宮より東大寺守譲の神としてむかえ、祀られた神様で、その時に転害門を通ってこられたので「転害会」と呼び、それ以来奈良時代より毎年一回10月5日に開かれている。

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いつもなら神事の後に御神輿を転害門まで運んで、転害門でも神輿を迎える神事を行うとのことだ。そして神仏分離のために東大寺に移されたというご神体である「国宝・僧形八幡神坐像」が東大寺の「勧進所八幡殿」にてこの日だけ特別開扉される。
今回はお神輿がないので、順番は気にせず法華堂へ行く。

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この神事は東大寺のお坊さんも一緒に法会をするのだけど、それが終わったお坊さんの後をついていったらちょうど法華堂だった。お坊さんの袈裟はかっこいいね。

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法華堂東大寺ファンクラブの私は無料なのでまたまじまじと拝見させてもらう。そして今日の一つの目標にしていた「朱印帳」を購入。朱印を集めるのは義務みたいになるのが嫌いで避けていたんだけど、朱印をいただきますということで拝観できるお寺もあることを知ってそれならばもう潔く買ってしまおうと。買うなら大好きな法華堂にしよう。法華堂はひっそりしているので私の質問に答えてもらえそうだしw、と拝観後に受付で朱印を書いているおじさんに初めて購入するのでどの朱印帳がおすすめか聞いてみた。するとおじさんはもちろんどれでも気に入ったのでいいと、書く方からしたら小さいサイズよりも通常の大きいサイズが書きやすいと言われたので悩んだけど、「篠原ともえ」デザインの刺繍朱印帳にする事にした!

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篠原ともえちゃんデザインってのがちょっと悩みどころだったんだけど、紫の生地に細かい刺繍で表が大仏、裏が鹿でなかなかかっこよす!なのだ。

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価格は他の東大寺オリジナルよりも少し高くて2千円。気に入ったw。ともえ氏ありがとう。(そのいえば、この前、フワちゃんが「もう少ししたら篠原ともえみたいに、大人しくなるのかと思ったら大間違いだ!絶対私はならない」と言ってたけど、多分なると思うw)

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法華堂で御朱印をもらって、さあ、勧進所へ。この日だけ見れることになっている3体のお像を見せてもらう。門をくぐるとお庭が広がっていて小さな二つの小さなお堂が見える。まず順路に従って、「公慶堂」へ。

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ここには公慶上人の像があり、それは鑑真タイプのリアルなおじいさん僧侶の像だ。公慶上人は戦乱で焼け焦げて大仏殿もなく悲惨な状態だった大仏を再建させた人。当時は大仏は頭もなかったらしい。公慶上人の勧進のお陰で今の状態の大仏殿を見ることができるという私にとっても大恩人なのである。ありがとう!と御堂を出て小さな門をまたくぐり、奥の「八幡殿」へ。

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ここに、「国宝 僧形八幡神坐像」がおられる。なんとも上品な像で神さんって見えたらこんな感じなの?という気持ちにさせられる。そしてこれが快慶作なのだ。慶派の荒々しさとは全く正反対の優しさに満ちあふれた像で、実はパンフレットを見て快慶と書いてあっ!てびっくりした。


さあ、そして「阿弥陀堂」アフロな仏で有名な「五劫思惟阿弥陀如来」へ。

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この読み方が難しい。「ごこうしゆい」と読む。
五劫とはめちゃめちゃ永い間という意味で、ながーーい間四十八の大願を成就するために、剃髪をすることもなく坐禅・思惟していたので、このようなアフロになったということらしい。思ったよりも大きくてごろっとしていて、そして丁寧に作られていてものすごく可愛い。印ではなく小さな手で合掌しているのもなんとも言えない。この阿弥陀堂、真ん中に五劫思惟阿弥陀如来がおられてその上の天蓋に美しい天女が描かれていて、その右左奥に一体づつ美しい如来がいるんだけどそのバランスがものすごく良くて真正面から少し俯瞰で見たらかっこいいのだ。インテリア的にもすごいいけている。何度も言うけど超カッコ良いのだ!wこれは来年も見に行きたいと思わせる。そして、今回改修していて見れなかった、「五劫院」こちらにはまた別の五劫思惟阿弥陀如来がおられるとのことなので、それも見てみたいものだああ!

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↑八幡殿からの大仏殿の眺め


はぁはぁ。ちょっと感動疲れをしたので、隣の指図堂によっていつもの阿弥陀様を拝み、

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せっかくの転害会だし、久しぶりに転害門へ行ってみる事にした。もしかしたら何か普段と違う飾り付けなどがあるかなと思ったけど、、、、何もなかった。ただただ東大寺創建当時のままの姿で立っていた。何度見てもかっこいい。

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これは裏側↑

転害門前にカフェ転害門ってのがあったので、そこで前日にダイエットアプリのあすけん先生にビタミンが足りないと言われていたのでフレッシュのグレープフルーツジュースを飲む。
そして、秋の正倉院展に行こうと思っているので宮内庁が管轄している、正倉院の外構を見にいった。ここには平日の10時から3時までしか入れなくてちょっと外れにあるので行きにくかったけど初めて入ることができた。

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よく正倉院ぽい校倉作りの倉って見たことあるので舐めていたけど、本物の正倉院はものすごくデカかった。ひえええ。と思っていたら、宮内庁警察と書かれた制服を着たおじいさんが写真を撮るならそこの緑のコーンから撮れ、全景が撮れるからと言ってきて、

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撮らされた写真↑

聖武天皇の頃を思いつつその大きさを愛でていたのに、もう落語になっているおじいさんの正倉院の大きさの例えをずっと聞かされた。京都御所の紫宸殿よりも大きく、その大きさはスエズ運河と同じ33メートル。戦艦大和よりもでかいと。サービスで言ってくれてるんやけど、奈良時代へと思いをはせていた私にはその喋りが場違いな感じで恥ずかし寂しくなった。昔、ベニスでゴンドラに乗った時に、船頭のお兄ちゃんが日本人と思ってサービスでスキヤキスキヤキ!とか下手な日本語でずっと話しかけてきた悲しさを思い浮かべたぐらいだ。

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気を取り直してご飯にする事にした。いつも釜飯が美味しすぎて釜飯ばかりになるので、他のものを食べてみようと。東大寺を抜けて県庁の下あたりに小綺麗なホテルがあってそこでランチなどをしているのを通りすがりにいつも見ていて、あそこは疲れた時に立ち寄りやすそうだからちょっと行ってみようと思ったのだ。ランチが千五百円ぐらいの店。広くて清潔で普通にお洒落なお店の味はやはり普通だったwこれならば、もしかしたら、東大寺の中の食堂に美味しいところがあるのか?見仏記ではいつも猿沢池の茶屋で二人は親子丼を食べている。これは、みうらじゅんの子供の頃からのルーティーンらしい。私にもそんな場所が欲しい。東大寺の食堂を次回は攻めてみようとバルサミコソースのチキンソテーを食べながら思う。
お腹もいっぱいになり、近鉄奈良駅よりバスに乗り、大安寺へ。

長くなったので続く。。。

21.10.5



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