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創世記を知ると急にわかりやすくなる「第九」の歌詞(後編)

【歌詞のあらすじと前編のおさらい】

旧約聖書「創世記」によると、神はアダムを創造した後、実のなる植物を創造された。
アダムはエデンの園に置かれるが、そこにはあらゆる木があり、その中央には「いのちの木」と「知恵の木」と呼ばれる2本の木があった。

神はアダムに知恵の木の実だけは食べてはならないと命令した。

後にエバが創造される。
蛇がエバに近づき知恵の木の実を食べるようにそそのかし、エバは食べてしまう。そしてアダムにも食べるように勧めた。

神はアダムとエバが禁じられていた知恵の木の実(禁断の果実)を食べたことから、いのちの木の実も食べてしまわないように、エデンの園から追放した。そして、いのちの木に至る道を守るため、神はエデンの東に天使ケルビム(智天使)ときらめいて回転する炎の剣を置いた。(以上、旧約聖書「創世記」2章、3章の要約)

ベートーヴェンの交響曲、「歓喜の歌」は「創世記」と、シラーの詩「歓喜の歌」をベースにしたベートーベンによる創作ストーリーである。

神に楽園と分断された現世に住む人々(男たち)が、娘たちのいる「エデンの園(楽園)」を探しに出かけ、エデンの園の門を守るケルブ(天使)と会い、そしてケルブの魔法で楽園の門を開き、分断された世界をひとつにして人々が一緒になりたいと願う、人間賛歌の物語である。

前編では、第4楽章冒頭の智天使ケルブの登場から、「現世の男たち」が「娘たちのいる楽園」への憧れを抱き、楽園でみなひとつになりたいと願っているが、ケルブが門の前に立ち、楽園へ行くことができない。ケルブの魔法で門を開き、神によって分断された現世と楽園を再びひとつにできたらと願う様子を表していた。

ここから後編に移る。

場面はいよいよ、人々が立ち上がり神の住むところを目指し旅に出るところから始まる。

【歓喜の歌 (An die Freude) 前編の続き】


Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt'gen Plan,
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.

喜ぼう、華麗なる天空を飛ぶ星々のように、
兄弟たちよ、楽しく自分たちの道を進め。
勝利に向かう英雄のように。

[解説]
この段落は、トルコ行進曲に合わせて、現世にいる男たちが星々の先にある、神の住む楽園をめざして進んでいく場面。

神の住む楽園が星々の先にあるということは旧約聖書では書かれていないが、シラーは星々の先に神が住んでいると表現している。
そして、シラーは様々な言葉で「宇宙」の存在を表している。

「Sonnen」(Sonne=太陽、Sonnenは複数形なので恒星たち)
「Himmels」(空、天、天空)
「Sternenzelt」(星空、星空のテント)
「Sternen」(星々)

余談ではあるが、16世紀、ルネサンスが勃興し再びヨーロッパが天文学の中心となっていき、17世紀初頭には望遠鏡が発明され、ケプラーの法則や万有引力などニュートン力学の成立が18世紀から19世紀にかけて天文学の発展の原動力となり、1781年には天王星を発見するなど、ヨーロッパにおいて天文学が急速に発展する時代であった。(Wikipedia 天文学史 参考)
もちろんこのことが、シラーの詩に影響したかは不明ではあるが、「神の住むところ」が「星々の先」になっているのは、この時代ならではの発想なのではないだろうか。

「トルコ行進曲」について。
16世紀から18世期にかけて、西ヨーロッパではトルコ趣味が流行していた。当時の超大国オスマン帝国への恐れと憧れから発生したとされ、アラビアンナイトやトルコ行進曲、トルココービーなどが流行し、当時流行したファッションにトルコ風が取り入れられるほどの人気だった。(Wikipedia テュルクリ 参考)
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの作品にもみられる。

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.

抱き合おう、幾百万の人々よ!
世界中でこのキスを!
兄弟たちよ、星空の上に親愛なる父(神)が住んでいるに違いない。


[解説]
現世と楽園とひとつになり、世界中の人たちで、抱き合い、キスをする。つまり世界がひとつになるようにと願っている。

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

幾百万の人たちよ、ひれ伏すのか?
世界は、創造主を予感するのか?
星空の上に彼(=神・創造主)を探せ!
彼は必ず星の上に住んでいる。

[解説]
「Ihr stürzt nieder, Millionen?」に入る4小節前の627小節目の標語は、「Adagio ma non troppo, Ma divoto」となっている。この「Ma divoto」とは敬虔にという意味で、神の啓示を示している。


以上が第九の歌詞すべてである。

「創世記を知ると急にわかりやすくなる「第九」の歌詞(前編)」からお読みいただいた方はどう思われただろうか。
前半のストーリーの展開が、言葉が適当ではないかも知れないが「劇的」であるのに対し、後半は詩も短くあっという間に終わってしまう。「え?これだけ?」という感じでがするのは僕だけであろうか。

確かに詩の内容はこれだけなのである。

これだけを読むと、前半部分で結構、話の展開を期待させた割には、結末が全然わからない。このシラーの長い詩も短く抜粋されているため、これだけではまったく意味もわからない。と感じてしまう。

はたして、これがベートーヴェンの意図したストーリーだったのだろうか?

いや、僕はベートーヴェンが音楽の構成と表現によって、ベートーヴェンのオリジナルのストーリーを創り上げているのではないかと思っている。
だから、詩だけ読んでもストーリーはわからないのだ。

さて、ここまで、出来る限り論理的に様々な裏付けに基づいて書いてきたが、ここからは、音楽的な要素から「楽曲分析」をすることを含め、これまで通り、論理的に解釈をしつつ、果たしてベートーヴェンがどのようなストーリーを考えて作曲をしたのかを、僕なりに想像しながら話をしたいと思う。

念を押すが、ここからは、あくまで奥村伸樹の想像する、ベートーヴェンが考えたであろうストーリーを、フィクションで書いたものとして読んでいただきたい。


【ベートーヴェンはいったい第九にどんなストーリーを与えたのか?】


話をまた「歓喜の歌 (An die Freude)」の最初に戻そう。

僕が思うに、ベートーヴェンはソリストと合唱に役割を振り分けたのでは無いだろうか。

■ 登場人物
ケルビム(ケルブ4体)=ソリスト4人
男性たち=男声合唱
楽園の娘たち=女声合唱

こじつけにかなり無理があるのを承知の上で、第九のソリストは、「ケルブ」役と仮定する。
その理由は前編でも触れたが、冒頭部分の「恐怖のファンファーレ(Schreckensfanfare)」のトランペットが「天使が神の声を伝えるもの」であることである。ファンファーレがなるということは天使が現れるというサインであることからそのように仮定した。
また、旧約聖書にある通り、ケルブ(複数形=ケルビム)は、ソリスト4人とおなじ、4体であるということも、こじつけに近いがあったかも知れない。

旧約聖書 「エゼキエル書」1章5節、6節
5 その中に生きもののようなものが四つ現れ、その姿は次のようであった。彼らは人間のような姿をしていたが、
6 それぞれ四つの顔と四つの翼を持っていた。
(旧約聖書 新改訳2017(新改訳聖書センター) 新日本聖書刊行会 より引用)

次に合唱ついて。
男声合唱は、「現世にいる男たち」と仮定する。
女声合唱は、「楽園にいる娘たち」と仮定する。

ベートーヴェンがフリーメイソンであった記録は残っていないが、シラーはフリーメイソンであり、詩もフリーメイソンの儀式のために書かれたものである。フリーメイソンは成人男性しか入会資格がないことから、詩は成人男性からみた目線で書かれている。

このキャスティングで、曲をみてみよう。
これは多くの方々に怒られるかも知れないが、僕は、あくまでこの第九が、ベートーヴェンの創造したオリジナルプロット、しいていえば、

「これはベートーヴェンとケルブ(智天使)との対話、そして、創世記を題材としたベートーヴェンの創作ストーリーであり、現世にいる男性たちが、女性たちのいる楽園を目指し人類愛に触れる冒険譚である。」

という前提で解釈しているので、敬虔な宗教音楽ではない表現になることをお許しいただきたい。

そして、ここからはできるならぜひ第九の楽譜と音源を照らし合わせながら、そして情景を想像しながら読んでいただきたい。
尚、楽譜はベーレンライター版を元に解釈している。

音源については、フェレンツ・フリッチャイ(Ferenc Fricsay)指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による、1958年の録音がパブリックドメインとなっていたので、その音源を引用させていただいた。

【208小節 Presto】

An die Freude
歓喜の歌

O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.

おお、友よ、この響きではない!
そうではなくて、喜びに満ちた、
楽しい歌を歌おう。

「恐怖のファンファーレ(Schreckensfanfare)」とともにケルブたちが現れるとケルブ(バリトン)に男たちへの呼びかけから物語は始まる。

【237小節 Allegro assai】

Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!

Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.

喜びよ、美しい神の火花よ(=ケルブとともにある、「きらめいて回転する炎の剣」から出る稲妻)、娘たちのいる楽園(=エデンの園)へ、私たちは炎の中に飛び込んで(=エデンの園の門にある「きらめいて回転する炎の剣」の中に入り)、天国へ、あなたの聖域へ向かおう。

あなた(=ケルブ)の魔法は、かつて神が分断した、楽園と現世を再び結びつける。
そして、あなた(=ケルブ)の柔らかな翼が留まるところで(=楽園のこと)全ての人々は兄弟となる。

ケルブ(バリトン)がソロで歌ったあと、合唱が「Deine Zauber binden wieder,」から復唱し歌い始める。

「きらめいて回転する炎の剣」を越えれば楽園で娘たちと一緒にいることができる。ケルブの魔法で門を開け、分断された現世と楽園をひとつにすれば、人々はみな楽園で兄弟になれる。と、ケルブ からの呼びかけに、男たちは楽園への憧れを抱く。

Wem der große Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!

Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!

偉大なことを成し遂げた人、(信念)
親友と呼べる人を見つけた人、(友情)
愛する妻を見つけた人、(愛情)
歓喜の声を合わせよう!(3つ全てはどれも等しく共通の喜びだ)

そう、この地球上で(自分の)魂はたった一つしかない。
そして、それ(=上記の3つの喜び)ができないものは、この輪から泣いて立ち去れ。

そして、ケルブ(4人のソリスト)が、「人としてあるべき理想の姿」を示し、合唱が「Ja, wer auch nur eine Seele」から復唱して歌う。

Freude trinken alle Wesen
An den Brüsten der Natur;
Alle Guten, alle Bösen
Folgen ihrer Rosenspur.

Küsse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, geprüft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,
und der Cherub steht vor Gott.

全ての存在は自然の乳房から喜びを飲む。(この世に存在する全ては神の作ったこの自然の中で生きている)
全ての善人も、全ての悪人も、茨の道を歩むこととなった。

(神は)キスとぶどうの木を与えた、一人の友(=イブ)を与えた、死(=死ぬということ)の試練を与えた。欲は虫けらにも与えられた。そして、(楽園に戻ってこられないように)智天使ケルブを神の前に立たせたのだ。


ケルブ(ソリスト4人)が、旧約聖書「創世記」3章の「失楽園」について触れ、合唱が「Ja, wer auch nur eine Seele」から復唱して歌う。
「なぜいまこの世は、現世と楽園が別れているのか」が説明されている。

325小節目から4回続く「vor Gott.」(4回続くのはケルブが4体いるからか?)。
前半最大の山場は、それまでずっと盛り上がり続けていた音楽が急に下降するラインに転じ、場面が変わる。

そして、ここからいよいよ、楽園への旅を実行に移す、後半部分へ突入する。

【331小節 Allegro assai vivace いざ楽園へ!】

Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt'gen Plan,
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.

喜ぼう、華麗なる天空を飛ぶ星々のように、
兄弟たちよ、楽しく自分たちの道を進め。
勝利に向かう英雄のように。

現世の男たちが、いよいよ星々の先にある楽園を目指すことに。
トルコ行進曲に乗せていざ楽園へ!
ケルブ(テノール)のソロが男たちを旅へと誘うように先導し、男声合唱が続いて復唱する。

【431小節 練習番号K】

[オーケストラ]

ソロと合唱が歌い終わると、オーケストラの演奏だけになる。
果たして、合唱が歌い終わってオーケストラだけが鳴っている間、場面はどのような状況になっているのだろうか。
ここの部分、音形から考えられることは、

1. 343小節目からのピッコロのソロによるメロディーのヴァリエーション(変奏)となっていることから、行進、もしくは星々の先にいる神を探す旅に出ていることが想像できる。

2. 431小節目 練習番号Kから、リズムセクションが無くなることから、それまで、男たちはグループ行動だったのが、それぞれ別れて、単独行動で星々の先にいる神を探す旅に出ていることが想像できる。

3. 同じく431小節目 練習番号Kからはじまる華麗で複雑な二重フーガ、そのドラマチックな展開は、まるで旅路の紆余曲折を想像させる。

つまり、この部分はあくまで想像だが、「男たちはバラバラに散ってそれぞれ、星々の先にいる神の住む場所を探索する旅に出ている」場面だと思うのだ。

【543小節 練習番号M】

Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!

Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.

喜びよ、美しい神の火花よ(=ケルブとともにある、「きらめいて回転する炎の剣」から出る稲妻のこと)、娘たちのいる楽園(=エデンの園)へ、私たちは炎の中に飛び込んで(=エデンの園の門にある「きらめいて回転する炎の剣」の中に入り)、天国へ、あなたの聖域へ向かおう。

あなた(=ケルブ)の魔法は、かつて神が分断した、楽園と現世を再び結びつける。
そして、あなた(=ケルブ)の柔らかな翼が留まるところで(=楽園のこと)全ての人々は兄弟となる。

517小節目、それまで激しく展開するフーガが一つの音にまとまり、Fisの音でユニゾンとなる。(弦楽器は2オクターブ間で同じFisの音を上下しているが)、その後、ホルンが同じFisの音のまま、「旅のテーマ」のリズムを刻む。
きっとエデンの東、楽園の入口に誰かが辿り着き、男たちが集まってくる様子なのだろう。
543小節 練習番号M、「歓喜の歌」の冒頭部分(237小節 Allegro Assai) では、ただ憧れるだけだった楽園が、ついに目の前に姿を現したのだ。

そして歌うのが、第九といえば必ず流れる、誰もが知る有名なこの場面だ。
印象的なのが、何度も刻むトランペットのファンファーレ。調はニ長調。
きっと男たちは楽園の前に到着することができたのだ。


そして場面は次の展開へ。
ここからは、はっきりと、「女声合唱」、「男声合唱」がそれぞれ「楽園にいる娘たち」(以下、娘たち)と、「現世にいる男たち(いまは楽園の門の前(外)にいる男たち)」(以下、男たち)に分かれる。

【595小節 Andante maestoso】

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.

抱き合おう、幾百万の人々よ!
世界中でこのキスを!
兄弟たちよ、星空の上に親愛なる父(神)が住んでいるに違いない。

まず、楽園の外から、男たちが娘たちへ呼びかけるのだ。
「抱き合おう、幾百万の人々よ!世界中でこのキスを!」と。
するとすぐに、娘たちが呼応し、男女が楽園の中と外で離れながらも心通じ合う。

608小節 練習番号N、さらに続き、男たちが「兄弟たちよ、星空の上に親愛なる父(神)が住んでいるに違いない。」と歌うと、またそれに続き娘たちも一緒に歌う。

【627小節 Adagio ma non troppo ma divoto 天の声登場】

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

幾百万の人たちよ、ひれ伏すのか?
世界は、創造主を予感するのか?

星空の上に彼(=神・創造主)を探せ!
彼は必ず星の上に住んでいる。

もはや本当にファンタジーになってしまっているが、ここで、男たちと娘たちに天の声が降り注ぐ。

幾百万の人たちよ、ひれ伏すのか?
世界は、創造主を予感するのか?
星空の上に彼(神・創造主)を探せ!
彼は必ず星の上に住んでいる。

と。

なぜここが天の声と解釈したかというと、ここの部分の標語が「ma divoto」となっているからだ。「ma divoto」とは「敬虔な」という意味だが、これを自分でも天の声(神の啓示)とするのはいささか飛躍しすぎかとは思いつつも、敢えてこのように解釈をした。

もうひとつの理由は、「Schöpfer(創造主)」を指す「ihn(彼を)」や「er(彼)」と、「彼」という今までになかった呼称が出てきたのも理由の一つである。

「幾百万の人たちよ、ひれ伏すのか?」の部分、「幾百万の人たちよ、(畏れ多き神に近づくのを諦めて)ひれ伏すのか?」
そして、「世界は、創造主を予感するのか?」とは、「世界は(この世に存在するすべては)、創造主の存在を感じているのか?」
「星空の上に彼(神・創造主)を探せ!」
「彼は必ず星の上に住んでいる。」
と、迷える人々に、ヒントを与えて、647小節目、そして天の声は遠くへ去っていった。

そしていよいよ、男たちと娘たちは神の存在を確信して歌う、「二重フーガ」へ入っていくのだ。

【655小節 Allegro energico e sempre ben marcato 二重フーガ】

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.

抱き合おう、幾百万の人々よ!
世界中でこのキスを!
兄弟たちよ、星空の上に親愛なる父(神)が住んでいるに違いない。

Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!

喜びよ、美しい神の火花よ(=ケルブとともにある、「きらめいて回転する炎の剣」から出る稲妻のこと)、娘たちのいる楽園(=エデンの園)へ、私たちは炎の中に飛び込んで(=エデンの園の門にある「きらめいて回転する炎の剣」の中に入り)、天国へ、あなたの聖域へ向かおう。

これまで、ずっと男たちから呼びかけていたメッセージが、ここで初めて、娘たちからの呼びかけに変わる。

娘たちは、

「Seid umschlungen, Millionen! ...(抱き合おう、幾百万の人々よ!・・・)」と
「Freude, schöner Götterfunken, ...(喜びよ、美しい神の火花よ・・・)」

この二つのメッセージを同時に歌うと、また男たちが呼応し、同じく二つのメッセージを同時に歌う。

合唱は女声も男声も、限界に近い高音域を常にエネルギッシュにはっきりと、そして長い時間をかけて徐々に高揚しながら訴えていく。

この部分の標語、「Allegro energico e sempre ben marcato」とは、「精力的に、力強く、速く、そして、常に非常にはっきりと(marcato=英語のmarkと同じ)」

ところで、気がついたであろうか?
この「二重フーガ」の部分、「Freude, schöner Götterfunken, ...(喜びよ、美しい神の火花よ・・・)」の後の、

「Deine Zauber binden wieder, ...(あなたの魔法は再び結びつける。)」の文章が無いことに。

これまで、必ずこの2つの段落がセットになっていたのが、ここで「Freude, schöner Götterfunken, ...(喜びよ、美しい神の火花よ・・・)」だけになっているのである。
もちろん、二重フーガにするために、長さの都合で無くしたことは十分考えられるが、ここは、少し深読みしてみれば、もしかしたら、これまで「魔法」に頼らなければ入れないと思っていた楽園に、娘たちからの呼びかけに、いよいよ「魔法にたよらずに」自分たちの力で楽園の門を超えて入ろうという、決意を表したのではないだろうか。

【730小節 練習番号R 天の声が確信へ変わる】

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?

Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.

幾百万の人たちよ、ひれ伏すのか?
世界は、創造主を予感するのか?

兄弟たちよ、星空の上に親愛なる父(神)が
住んでいるに違いない。

そして、再び歌詞は、「Ihr stürzt nieder, Millionen?(幾百万の人たちよ、ひれ伏すのか?)」の段落が再現される。

しかし今度は先ほどとは全く変わり、「Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?(幾百万の人たちよ、ひれ伏すのか?
世界は、創造主を予感するのか?)」のあと、「Brüder, über'm Sternenzelt Muß ein lieber Vater wohnen.(兄弟たちよ、星空の上に親愛なる父(神)が住んでいるに違いない。)」という、「予測」だったのに対し、今度は、「Such' ihn über'm Sternenzelt! Über Sternen muß er wohnen.(星空の上に彼(=神・創造主)を探せ!彼は必ず星の上に住んでいる。)」という、「断定」になっているのだ。

もし、これをベートヴェンが意図的に詩を並べ替えているのであれば、先ほどの天から聞こえた神の啓示が、もはや間違いなくそれが「確信」に変わったことを表しているのではないか?

この「男たち」と「娘たち」の「決意」と「確信」がとうとう、ケルブたちを動かすのだ。

【763小節 Allegro ma non tanto 再びケルブ登場】

Tochter aus Elysium
Freude, Tochter aus Elysium

Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
Wo dein sanfter Flügel weilt.

ここは娘たちのいる楽園です。
喜びなさい、ここは娘たちのいる楽園です。

あなた(=ケルブ)の魔法は、かつて神が分断した、楽園と現世を再び結びつける。
そして、あなた(=ケルブ)の柔らかな翼が留まるところで(=楽園のこと)全ての人々は兄弟となる。

しばらく登場していなかったケルブたちが再登場する。

きっと、男たちと娘たちの心が一つになり、「決意」と「確信」した様子を見て、ケルブたちが楽園の門を開けるチャンスを人々に与えるために、謎かけを問いに来たのではないかと思うのだ。

763小節目、弦楽器の下降していくラインは、智天使ケルブが上から降りてくる様子を表現しているのではないか。
そして、ケルブが人々の前に降りてきて歌う。

777小節目、まず、ケルブ(テノール)と、ケルブ(バリトン)が、「ここは娘たちのいる楽園です。(Tochter, Tochter aus Elysium)」と歌うと、続いて、ケルブ(ソプラノ)とケルブ(アルト)が、「喜びなさい、ここは娘たちのいる楽園です。(Freude, Tochter aus Elysium)」と歌う。
そして、逆に、今度はケルブ(ソプラノ)とケルブ(アルト)から、「ここは娘たちのいる楽園です。(Tochter, Tochter aus Elysium)」と歌えば、またケルブ(テノール)と、ケルブ(バリトン)が、「ここは娘たちのいる楽園です。(Tochter, Tochter aus Elysium)」と、ここが間違いなく楽園であることをケルブたちが示す。

ちなみに、ここの「Freude」の部分は間違いではないかと指摘されることも多い箇所だが、僕は敢えてわざわざ一度だけ入れたのではないかと考えている。

そして、ケルブたちはまず、男たちに問いかける。

あえて日本語で書くと、

「あなたの魔法は、あなたの魔法は、結びつける。結びつける。かつて神が分断した楽園と現世を!?」

そしてどうなるのか?

「全ての人々は、全ての人々は、全ての人々は、全ての人々は兄弟となる。あなたの柔らかな翼が留まる楽園で」

2回繰り返されるこのシーン、実は1回目と2回目は若干違うのだ。
1回目はソプラノが低い音で、2回目はソプラノが1オクターブ高い音になっていることから、同じ問いかけを2回するのは、1回目は男たちに、音域の高い2回目は娘たちに問いかけたのではないか?と想像する。

そして、ケルブたちは「Alle Menschen werden Brüder, Wo dein sanfter Flügel weilt.(全ての人々は兄弟となる。あなたの柔らかな翼が留まる楽園で)」とかけ合い、いよいよ楽園の門を開けるのであった。

【843小節 poco Allegro, stringendo il tempo, sempre più Allegro いよいよ門を通り楽園の中へ】

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.

Diesen Kuß der ganzen Welt!
Freude, schöner Götterfunken!

抱き合おう、幾百万の人々よ!
世界中でこのキスを!
兄弟たちよ、星空の上に親愛なる父(神)が
住んでいるに違いない。

世界中でこのキスを!
喜びよ、美しい神の火花よ!

いよいよ、楽園の門が開いた。

一人一人、娘たちと男たちが顔を見合わせるように歩み寄り、いよいよクライマックス。男たちはいよいよ楽園の中へ。

なぜ、ここから楽園へ向かうということがわかるのか?
それは、851小節目 Presto、ここから、そう、冒険の象徴、トルコ行進曲の打楽器が入ってくるのだ。
そして、オーケストラも合唱も誰一人休むことなく音楽は最高潮で突き進み歌う。

もう他に言葉はなく、
「抱き合おう!(Seid umschlungen!)」
そして、
「世界中でこのキスを!(Diesen Kuß der ganzen Welt!)」
と連呼して歌い進むのだ。

いよいよ最高潮に達した時、「喜びよ、喜びよ、喜びよ、美しい神の火花よ、美しい神の火花よ、(Freude, schöner Götterfunken,)」

なぜここで「喜びよ、美しい神の火花よ」が出てきたのだろうか?
それは、今まさに、「きらめいて回転する炎の剣」のところを通過しているからであろう。


【916小節 Maestoso いよいよラスト。楽園への到着】

Tochter aus Elysium
Freude, schöner Götterfunken!, Götterfunken!

娘たちのいる楽園よ
喜びよ、美しい神の火花よ!、神の火花よ!

物語はいよいよラストへ。
とうとう楽園に到着した。

ここで興味深いのは915小節目の部分だ。

弦楽器をはじめ、激しい上向の音形に乗り、「ff」で突き進み、いよいよ到着し足を踏み入れた瞬間、「これが娘たちのいる・・・」まで「ff」だったのに対し、突然「楽園」の部分、到着した瞬間「p」になるのだ。
これは、「ああ、これが楽園かー!」という、はっと息を飲むような感嘆の表情を表しているのではないだろうか。

その瞬間、弦楽器とフルートが32分音符の順次進行で下降してくる。これはまるで、天から降り注ぐ光を表しているかのようだ。

一瞬の間のあと、再び人々は、「喜びよ、美しい神の火花よ!美しい神の火花よ!(Freude, schöner Götterfunken!, Götterfunken!)」と「f」、「ff」で唱和するのだ。
ちなみに何度も出てくる、この「神の火花よ!(Götterfunken!)」は最後だけ「!」がついている。

【920小節 Prestissimo 旅の終わり。感動のフィナーレ】

[オーケストラのみ]

人々の「神の火花よ!(Götterfunken!)」の唱和と同時に、オーケストラはPrestissimo [全音符=テンポ88?]という、驚異的な速さと勢いで、トルコ行進曲の打楽器も加わり疾走するようにラストに向かう。

ラスト5小節、木管楽器は華麗なる上向の音形を見せ、最後の四分音符が打たれフィナーレを向かえる。

楽園の門は開かれ、分断された世界はひとつとなり、世界中の人々が楽園で抱き合うことができただろう。

完結


さて、ここで疑問が残る。

「果たして、人々は本当に楽園にたどり着いたのだろうか?」

楽曲分析をしていくと、どうしても細かいことが気になってしまう。

「なぜ最後の一音、上に上がらず、下降したのだろうか?」

上に上がればもっと激しく華やかに盛り上がって終われたに違いない。
でも、もしかしたら、大したこだわることではないのかもしれない。もしくは、楽器の音域の都合だったのかもしれない。

いや、ここまで緻密に考えて作られているベートーヴェンの曲が最後にこだわらない訳はないのではないだろうか。

最後の2小節前の音から最後の音は5度下がっているのだ。

「5度下がる音形」、それは第1楽章の冒頭部分と同じではないか。

もしかしてだけれど、人々が到着したと思っていた「楽園」は「楽園じゃなかった」のかもしれない。神のいる場所に近づくことはやはりできなかったのか。
智天使ケルブだと思っていたソリストたちも、やはり本当はケルブではなく同じ人だったのではないか?

それはそうか。そんなに簡単に楽園に行けるわけがないのであろう。

そして人々の楽園を求める旅はさらに続く。
自分を見つめる旅は果てしなく続く。

ベートーヴェンはそのようにいっているように思えてならない。

【さいごに】

長文にお付き合いいただきありがとうございました。

繰り返しになりますが、これは、あくまで僕が楽曲分析をする中で想像しながら作った「創作ストーリー」です。
理解が及ばないながらも、もしもこの解釈が近からずとも遠からず、少しでもベートーヴェンの意図に触れられてたらと思います。

ベートーヴェンの楽譜は眺めているだけで、頭の中が「こうだったのではないか?」とか「こうであって欲しい!」とか、次々に妄想が膨らんでくるのです。そこを抑えて、あくまで楽譜を冷静に分析して読み取るのはなかなか難しい作業です。
こんなに想像力と探究心を掻き立てられる音楽が、現在にいたるまで人々を惹きつけ、輝き続けるベートーヴェンの偉大さなのでしょう。

ベートーヴェンがどのように考えていたのかは、250年経った今まで、誰一人として知る由もありません。

しかし、楽曲分析の楽しみ、そして、音楽の楽しみの大きなひとつは、この「想像する」ということだと思うのです。
決して真相にたどり着けないことがわかっても、出来る限りの資料や情報を集め、ベートーヴェンの真意に少しても辿り着く努力をすることが大きな楽しみであり、喜びであると思うのです。
そして、それがもしかしたら、ベートーヴェンが想像していた以上の音楽をこれまでたくさんの演奏家たちが生み出してきたことでしょう。

今日の段階でいったんはこのようにまとめましたが、また明日には新たな発想、新しい発見が生まれて、解釈が変わっているかもしれません。今思う、ベートーヴェン像、第九像を「第九の歌詞」に焦点を当てて、出来る限りまとめてみました。

この文章がきっかけで、第九を愛するすべての人たちに、少しでも発想の一翼を担えるならば、指揮者としてそんなに嬉しいことはありません。

先日の投稿にも書きましたが、ケンブリッジ大学で学位を取得したばかりのアイザック・ニュートンは、ペストの流行で疎開して出来た時間の間に、微積分法の証明や、プリズムでの分光の実験、万有引力の着想などを行うことができたわけで、「ニュートンの三大業績」とされるものはいずれもこのペスト回避の疎開の時に生まれています。

残念ながら集まって演奏できないこのときに、今だから出来ることをし、一刻も早く、この厳しい時を抜け、またステージで第九をたくさんの皆さんと共有する日がくることを心待ちにし、そしてまた、みなさんの素晴らしい音楽ライフが送れることを願い、この、「創世記を知ると急にわかりやすくなる「第九」の歌詞」を締めたいと思います。

便利なのは、今の時代、すぐに修正出来ること。
またいつの間にか、修正して内容が変わっているかもしれませんがご了承ください。

2020年5月23日
指揮者 奥村伸樹


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指揮者&オーケストラプロデューサー。クラシックから、オペラ、ポップス、映画音楽はじめ、様々なジャンルのオーケストラを独自のスタイルで活動を展開する。また、クラシックの音楽を中心に「演奏法」ついて研究している。 https://www.okumuranobuki.com/
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