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創世記を知ると急にわかりやすくなる「第九」の歌詞(後編)

【歌詞のあらすじと前編のおさらい】

旧約聖書「創世記」によると、神はアダムを創造した後、実のなる植物を創造された。
アダムはエデンの園に置かれるが、そこにはあらゆる木があり、その中央には「いのちの木」と「知恵の木」と呼ばれる2本の木があった。

神はアダムに知恵の木の実だけは食べてはならないと命令した。

後にエバが創造される。
蛇がエバに近づき知恵の木の実を食べるようにそそのかし、エバは食べてしまう。そしてアダムにも食べるように勧めた。

神はアダムとエバが禁じられていた知恵の木の実(禁断の果実)を食べたことから、いのちの木の実も食べてしまわないように、エデンの園から追放した。そして、いのちの木に至る道を守るため、神はエデンの東に天使ケルビム(智天使)ときらめいて回転する炎の剣を置いた。(以上、旧約聖書「創世記」2章、3章の要約)

ベートーヴェンの交響曲、「歓喜の歌」は「創世記」と、シラーの詩「歓喜の歌」をベースにしたベートーベンによる創作ストーリーである。

神に楽園と分断された現世に住む人々(男たち)が、娘たちのいる「エデンの園(楽園)」を探しに出かけ、エデンの園の門を守るケルブ(天使)と会い、そしてケルブの魔法で楽園の門を開き、分断された世界をひとつにして人々が一緒になりたいと願う、人間賛歌の物語である。

前編では、第4楽章冒頭の智天使ケルブの登場から、「現世の男たち」が「娘たちのいる楽園」への憧れを抱き、楽園でみなひとつになりたいと願っているが、ケルブが門の前に立ち、楽園へ行くことができない。ケルブの魔法で門を開き、神によって分断された現世と楽園を再びひとつにできたらと願う様子を表していた。

ここから後編に移る。

場面はいよいよ、人々が立ち上がり神の住むところを目指し旅に出るところから始まる。

【歓喜の歌 (An die Freude) 前編の続き】


Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt'gen Plan,
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.

喜ぼう、華麗なる天空を飛ぶ星々のように、
兄弟たちよ、楽しく自分たちの道を進め。
勝利に向かう英雄のように。

[解説]
この段落は、トルコ行進曲に合わせて、現世にいる男たちが星々の先にある、神の住む楽園をめざして進んでいく場面。

神の住む楽園が星々の先にあるということは旧約聖書では書かれていないが、シラーは星々の先に神が住んでいると表現している。
そして、シラーは様々な言葉で「宇宙」の存在を表している。

「Sonnen」(Sonne=太陽、Sonnenは複数形なので恒星たち)
「Himmels」(空、天、天空)
「Sternenzelt」(星空、星空のテント)
「Sternen」(星々)

余談ではあるが、16世紀、ルネサンスが勃興し再びヨーロッパが天文学の中心となっていき、17世紀初頭には望遠鏡が発明され、ケプラーの法則や万有引力などニュートン力学の成立が18世紀から19世紀にかけて天文学の発展の原動力となり、1781年には天王星を発見するなど、ヨーロッパにおいて天文学が急速に発展する時代であった。(Wikipedia 天文学史 参考)
もちろんこのことが、シラーの詩に影響したかは不明ではあるが、「神の住むところ」が「星々の先」になっているのは、この時代ならではの発想なのではないだろうか。

「トルコ行進曲」について。
16世紀から18世期にかけて、西ヨーロッパではトルコ趣味が流行していた。当時の超大国オスマン帝国への恐れと憧れから発生したとされ、アラビアンナイトやトルコ行進曲、トルココーヒーなどが流行し、当時流行したファッションにトルコ風が取り入れられるほどの人気だった。(Wikipedia テュルクリ 参考)
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの作品にもみられる。

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.

抱き合おう、幾百万の人々よ!
世界中でこのキスを!
兄弟たちよ、星空の上に親愛なる父(神)が住んでいるに違いない。


[解説]
現世と楽園とひとつになり、世界中の人たちで、抱き合い、キスをする。つまり世界がひとつになるようにと願っている。

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

幾百万の人たちよ、ひれ伏すのか?
世界は、創造主を予感するのか?
星空の上に彼(=神・創造主)を探せ!
彼は必ず星の上に住んでいる。

[解説]
「Ihr stürzt nieder, Millionen?」に入る4小節前の627小節目の標語は、「Adagio ma non troppo, Ma divoto」となっている。この「Ma divoto」とは敬虔にという意味で、神の啓示を示している。


以上が第九の歌詞すべてである。

「創世記を知ると急にわかりやすくなる「第九」の歌詞(前編)」からお読みいただいた方はどう思われただろうか。
前半のストーリーの展開が、言葉が適当ではないかも知れないが「劇的」であるのに対し、後半は詩も短くあっという間に終わってしまう。「え?これだけ?」という感じでがするのは僕だけであろうか。

確かに詩の内容はこれだけなのである。

これだけを読むと、前半部分で結構、話の展開を期待させた割には、結末が全然わからない。このシラーの長い詩も短く抜粋されているため、これだけではまったく意味もわからない。と感じてしまう。

はたして、これがベートーヴェンの意図したストーリーだったのだろうか?

いや、僕はベートーヴェンが音楽の構成と表現によって、ベートーヴェンのオリジナルのストーリーを創り上げているのではないかと思っている。
だから、詩だけ読んでもストーリーはわからないのだ。

さて、ここまで、出来る限り論理的に様々な裏付けに基づいて書いてきたが、ここからは、音楽的な要素から「楽曲分析」をすることを含め、これまで通り、論理的に解釈をしつつ、果たしてベートーヴェンがどのようなストーリーを考えて作曲をしたのかを、僕なりに想像しながら話をしたいと思う。

念を押すが、ここからは、あくまで奥村伸樹の想像する、ベートーヴェンが考えたであろうストーリーを、フィクションで書いたものとして読んでいただきたい。


【ベートーヴェンはいったい第九にどんなストーリーを与えたのか?】

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